2019年7月19日

西日本新聞「上五島と、かんころ餅と、私」Column for newspaper

西日本新聞から、「かんころ餅への愛を、エッセイにしてください」と言われ、
愛ってなに?
と、悩みながら、まとめました。

西日本新聞なら、長崎県の人が多く、読んでくださっているでしょうか。

この記事が掲載された直後、
私は、東京に行き、かんころ餅のことが一冊にまとまることが決定しました。
感無量です。

かんころ餅はおいしいですが、
よそ者の私にとっては、そもそもは「おいしい芋菓子」に過ぎません。
むしろ、その背景や、携わる人たちに惹かれて、はまっていきました。

しかし、食べて育った娘には、特別な食べ物です。
さらに、今回東京で、何人かと話したのですが、
それぞれ、ルーツがどこかで、長崎(or天草)とつながって、
かんころ餅を食べてる人が、相当数いました。
彼らにとっても、かんころ餅は、特別な食べ物でした。

原価計算とか、儲けとか、生産性とか、将来性とか、
食べ物も、商品になると、きびしい数字の世界でザルにかけられる。
かんころ餅は、真っ先に、そのザルの穴から落ちていくような、
コストに合わない食べ物です。

でも、今年、自分の畑にサツマイモ苗を刺してみて気づいたのですが、
やせた畑なのに、放っておいても、ぐんぐんのびていく。
イノシシ対策さえすれば、どうやら、収穫できそうな見通しです。

アベノミクスの恩恵をまったく受けることができず、
ここ数年、ほとんど昇給がない相方と、
出版不況の中で、どうにもこうにも、活路を見出せない
節約下手の私が、
消えた年金の割りを食って、2000万円を貯めることは、
以後、不可能なので、
年をとったら、かんころを主食にして、生き延びようかと
本気で考えました。

お金に換算すると、割りが合わなくなるけど、
生きるためには、有効。
なんだか、いろんな含みを感じさせる食べ物なのだと
改めて、思うのでした。

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