西日本新聞から、「かんころ餅への愛を、エッセイにしてください」と言われ、
愛ってなに?
と、悩みながら、まとめました。
西日本新聞なら、長崎県の人が多く、読んでくださっているでしょうか。
この記事が掲載された直後、
私は、東京に行き、かんころ餅のことが一冊にまとまることが決定しました。
感無量です。
かんころ餅はおいしいですが、
よそ者の私にとっては、そもそもは「おいしい芋菓子」に過ぎません。
むしろ、その背景や、携わる人たちに惹かれて、はまっていきました。
しかし、食べて育った娘には、特別な食べ物です。
さらに、今回東京で、何人かと話したのですが、
それぞれ、ルーツがどこかで、長崎(or天草)とつながって、
かんころ餅を食べてる人が、相当数いました。
彼らにとっても、かんころ餅は、特別な食べ物でした。
原価計算とか、儲けとか、生産性とか、将来性とか、
食べ物も、商品になると、きびしい数字の世界でザルにかけられる。
かんころ餅は、真っ先に、そのザルの穴から落ちていくような、
コストに合わない食べ物です。
でも、今年、自分の畑にサツマイモ苗を刺してみて気づいたのですが、
やせた畑なのに、放っておいても、ぐんぐんのびていく。
イノシシ対策さえすれば、どうやら、収穫できそうな見通しです。
アベノミクスの恩恵をまったく受けることができず、
ここ数年、ほとんど昇給がない相方と、
出版不況の中で、どうにもこうにも、活路を見出せない
節約下手の私が、
消えた年金の割りを食って、2000万円を貯めることは、
以後、不可能なので、
年をとったら、かんころを主食にして、生き延びようかと
本気で考えました。
お金に換算すると、割りが合わなくなるけど、
生きるためには、有効。
なんだか、いろんな含みを感じさせる食べ物なのだと
改めて、思うのでした。
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