2019年5月7日

平成から 令和へ The time change

ゴールデンウィーク。
地方企業にお勤めで、10連休を取れた人は、いたのだろうか?
雨のキャンプで始まったゴールデンウィーク
アドリブ劇に興じる女子
引っ越して、テレビをダイニングから移動させた。
そもそも、見なかったものが、まったく、見なくなった。
すると、平成最後とか、時代の移り変わりとか、全く感じないまま過ぎていった。

平成最後の日、長崎駅前で、テレビ取材を受けた。
「平成最後のランチに、こちらの浦上そぼろを選んだ理由は?」
と聞かれ、目の前で売ってたから、と答えた。
「平成最後の夕ご飯に、何を食べますか?」
とも聞かれたが、昨日材料買ったから、焼きそばと答えるしかなかった。
なにも、考えていなかった。
放送しないでほしいなあ、、、と思った。

夜となり、12時前に寝ちゃダメかな、と思い、
本を読みながら、年越し(?)をしたが、眠くて、辛かった。

しみじみ思ったのは、テレビや、公共の情報にさらされて、
初めて、気持ちが、盛り上がるということ。
よきにしろ、わるきにしろ。

だれもが、情報発信をできるようになった、ネット時代。
ネットの伝達力の速さと広がりに、希望を感じるとともに、
違和感を感じることも多い。

ネットでは、
今まで、人のお腹の中に入っていた「差別心」や「悪口」が、
公共の場所に無検閲で、出てきてしまうようになったため、
ともすると、とても、残念な意見を、目にすることがある。

根拠がなかったり、
誰かの人権を犯していたり、
書かれた相手の気持ちを想像できていなかったり。
とても、公共の場所に出られるレベルに達してないと感じる。

でも、なぜか、そういう言葉は、
共感者を集め、膨らんでいくことがある。
不思議だ。

生きている人、働く人と会い、
人生の話を聞き、地域の実情や自然を肌で感じると、
簡単には、一言が出なくなる。 
自分のつむぐ言葉の先にいる人のことを、
正しく表しているか、考えてしまうからだ。

人とつながり、しっかりと生活している人は、
より、考えて発言するし、
言葉も少ないように思う。

今、あふれる言葉の中で、
目を覆いたくなるようなものを、かき分けないと、
共感できる言葉と出会えなくなった。
自然と、目を通すのが、苦痛になった。

目にする数が多くなれば、
その言葉は、時代の空気になっていく。
子ども達が生きていく時代が、
声がでかくて、思慮深くない意見で、できあがって欲しくないなと思う。

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