地方企業にお勤めで、10連休を取れた人は、いたのだろうか?
雨のキャンプで始まったゴールデンウィーク |
アドリブ劇に興じる女子 |
そもそも、見なかったものが、まったく、見なくなった。
すると、平成最後とか、時代の移り変わりとか、全く感じないまま過ぎていった。
平成最後の日、長崎駅前で、テレビ取材を受けた。
「平成最後のランチに、こちらの浦上そぼろを選んだ理由は?」
と聞かれ、目の前で売ってたから、と答えた。
「平成最後の夕ご飯に、何を食べますか?」
とも聞かれたが、昨日材料買ったから、焼きそばと答えるしかなかった。
なにも、考えていなかった。
放送しないでほしいなあ、、、と思った。
夜となり、12時前に寝ちゃダメかな、と思い、
本を読みながら、年越し(?)をしたが、眠くて、辛かった。
しみじみ思ったのは、テレビや、公共の情報にさらされて、
初めて、気持ちが、盛り上がるということ。
よきにしろ、わるきにしろ。
だれもが、情報発信をできるようになった、ネット時代。
ネットの伝達力の速さと広がりに、希望を感じるとともに、
違和感を感じることも多い。
ネットでは、
今まで、人のお腹の中に入っていた「差別心」や「悪口」が、
公共の場所に無検閲で、出てきてしまうようになったため、
ともすると、とても、残念な意見を、目にすることがある。
根拠がなかったり、
誰かの人権を犯していたり、
書かれた相手の気持ちを想像できていなかったり。
とても、公共の場所に出られるレベルに達してないと感じる。
でも、なぜか、そういう言葉は、
共感者を集め、膨らんでいくことがある。
不思議だ。
生きている人、働く人と会い、
人生の話を聞き、地域の実情や自然を肌で感じると、
簡単には、一言が出なくなる。
自分のつむぐ言葉の先にいる人のことを、
正しく表しているか、考えてしまうからだ。
人とつながり、しっかりと生活している人は、
より、考えて発言するし、
言葉も少ないように思う。
今、あふれる言葉の中で、
目を覆いたくなるようなものを、かき分けないと、
共感できる言葉と出会えなくなった。
自然と、目を通すのが、苦痛になった。
目にする数が多くなれば、
その言葉は、時代の空気になっていく。
子ども達が生きていく時代が、
声がでかくて、思慮深くない意見で、できあがって欲しくないなと思う。
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