2019年5月24日

行き詰まったら、資料を If you face on the wall, Read!

References about Kankoromochi
 かんころ餅と上五島の今を、絵本にして、記録に残したい。
私の、ここ数年の夢だ。

1年1年が、カウントダウンのように感じられ、
焦って、画策した、ここ数週間。
少々、頭が混乱してきた。

なにから、手をつけていいのか、わからなくなったので、
とりあえず、サツマイモの資料と、長崎県内のかんころ餅生産の資料を読んでみた。

サツマイモって、変わった作物だ。

歴史の中で、何度となく、人の命を守ってきた。

サツマイモは、痩せた傾斜地でも、じゅうぶんな収穫があり、
悪条件の土地でも、人に、食料をもたらす。

資料の中には、食料自給率が40%をきった日本に対し、
「なんらかの国際問題で、燃料、食料の輸入がストップした時、
餓死者を出さずに、国民を守れるか、試算する」
というものがあった。

その答えも、サツマイモだった。

食品ロスの騒がれる、飽食の世の中。
分業が進んで、食べることは、経済活動になった。
お金さえ差し出せば、選択は無限大。魔法市のようだ。

一方、生産者と消費者は、輸送や産業がからみあって、遠くなった。
私のように、「食べる」だけとなった現代人には、
「食べる」と「生きる」と「育てる」のつながりが、見えない。

かんころ餅を追いかけて、
サツマイモが、人の生活の中心に一本通っていた時代を知った。
 「生きる」実感を、学び直すきっかけになった。

取材で、野崎島からの最後の移住者の方にお話を伺ったことがある。
その時、食事の話をしていたら、
「米を食べたことがなかった」
「貧しかったから、サツマイモしかなかった」
「恥ずかしい」と言われた。

この人が、「恥ずかしい」と感じる幼い頃の記憶は
どこに生まれたか、のみに起因しているのに、
(その後、大変な努力をして、しっかりと家族を守った)
そう感じ続けてしまう。
今も、貧しさや、職業への差別的な意識は存在する。
社会のあり方を、考えさせられる。

分業は、現代社会の知恵でもあるから、
「みんなで、畑を耕そう」とは言えない。
でも、末端で、「食べる」時、逆の末端で、
何が起こっているか、思いを巡らすことは、とても、大切だと思う。

かんころ文化研究会に入った、高専の学生さんが、
「ぼくは、過疎地で、草取りなどの農作業が楽になるような、
機械が、作れたらな、て思って、参加したんです」
と言っていた。
未成年の学生さんが、地域社会の問題を解決する
夢を持っていることに、感動した。

子ども達には、さまざまな立場や、社会を知って、
肌で感じる体験をして、
夢を持ってもらいたい。

そうしたら、お互いの能力を活かしあい、
尊重しあえるのではないかな、と思う。

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