For a last couple of weeks, we had such a big tragedy and every day I had to face on the severe news. My husband was from Sendai, the city of earthquake. At the beginning we did not understand what happened but gradually we noticed how lucky the parents in law got no injured. Tsunami hit the other side of river of their house. Everyday I saw so many people lost their kids, partners, parents and relatives on TV. They lost houses and everything-even photos of whole life. And nuclear accident followed. I felt our way of life so far damaged the land and I felt big sorry to the next generation we cannot hand it to rich land to them.
During two weeks, I kept thinking I should talk something on the blog to cheer up the people, or I should say something to inform my opinion, but I could not find the right words. I am an artist who shows own idea, but at the same time I am pregnant and just one of mom worrying about the future of my baby.
I now feel same as I felt when I wrote "baby born in spring." I wrote it after 9/11 and Iraq war. For ordinary people, the most important thing is "we can expect the same spring will come every year. baby born in the stream, crops grow every year, sun rise, sun down. Family together.
I am proud of Japanese people who still try to think positive and keep as ordinal days a possible. It helps the society works. But we will gradually have to think reality. I am thinking what I can do. I now do not need any of convenient lives with so much electronics or wealthy lives but I just need my family together in peace. I want my baby grow healthy and strong. That is only thing.
3月11日から二週間以上経ちました。最初は事態の詳細がわからなかったものの、日に日に今回の被害がどれほどのものだったのかわかり始め、連日、悲しいニュースが続きました。 子供や、パートナー、両親や兄弟を亡くした人々の姿に、「家族が一緒に暮らせる」だけで、どれほど幸せな事なのか、自分の普段の生活を、顧みる事になりました。そして、原発の事故。自分達の豊かで便利な暮らし方が、結果的には、次世代に豊かな土地を、残してあげられなかった事になり、とても申し訳なく思います。もっと、モノがなくても、不便でも、もっと思慮深く生きる方法が、私達にもあったのではないか、と考えてしまいます。もちろん、私達は生きていくのだから、「これから」を考えていかなくてはいけない。
さまざまな人がそれぞれの立場で、がんばってくれています。私はアーティストとして、何をすべきなのか、今は、今までと同じ通り、明るいブログを描き続けて、結果的に普段通りの社会を励まし続けるべきなのではないかと思いもしました。あるいは、自分の考えをその時その時、疑問提起し続けるのがモノを表現する人間の役割なのでは、とも。でも、どちらもすぐには、言葉が出てきませんでした。私は、表現する人間であると同時に、今、妊娠中で、メスライオンのように自分のお腹の子供の心配をするだけの存在でもあるのを実感しました。
今、「はるにうまれるこども」を描いた時と同じ気持ちです。あれを描いたのは、9/11をニューヨークで経験し、その後、アメリカがイラク戦争に入った時、「本当に、こんな連鎖を望んでる人がいるのだろうか?」と疑問に思い、ほとんど人間が望んでいる事は、「去年と同じ年が、今年も、来年も、60年後も来ると信じられる」ささやかな生活なのでは、という気持ちから描いたものでした。「家族が寄り添い、春が来て、子供が生まれ、作物が取れ、日がのぼり、日がしずむ」それだけが、望めれば、幸せなのだ、と。
baby born in next spring |
wheat ripen in next autumn |
baby born in next spring |
new scarf worn this coming winter |
books read this weekend |
4 件のコメント:
Beautiful book!
あの日から、2週間。遠く離れたイタリアでも、連日、テレビや新聞などで報道されています。
仲間たちからは、お前の家族、友達は大丈夫か?と聞かれ続けます。ありがとう、大丈夫だよ、家族も、友達も。でも、もうそれだけじゃないよね、って答えてます。
イタリア在住の日本人アーティストの方と喋ってたんですが、アート、料理、なんの共通点があるかって言うと、日常の彩、ホッとする時間の提供、後、特別な時間の演出、だと。まだまだ、被災者の方々にそのことができるのは、時間がいるでしょう。でも、自分が、それを提供できるときは、その時の最高の品質で、という事を目指して、絶対にいま不自由している人がいるということを忘れないで、戦後のように忘れ去らないで、語り継いで行けるような活動をしたいです。
日本の戦争や9.11の件はこの地震とは、また違いますが、辛い思いをされている方がいる、ということでは、変わりないと思います。自分のできること、語り告げることなにかあるはずですよね。今は海外にいます。今の瞬間、被災している方々に何ができるかは、限られすぎています。でも日本に帰ったときに、仕事を日本で始めたとき、自分の場所を持ったとき、何かできると思います。日本でやるために、イタリアに来たのですから。
復興に向けて時間は絶対必要です。復興の途中で、安らぎだとか、潤いだとかは、絶対に必要ですよね。それを担える、職業なのだと思います。芸術家や料理人は。
世の中、愛がなかったら、ですよね。
遅れましたが、お久しぶりです。大変な状況かもしれませんが、お身体、ご慈愛よろしくお願いします。
水野 剛。
Thank you, Dan!
剛さん、
外から見るのと、中から見るのでは、とても違いますよね。私も、海外にいたので、そのギャップ、感じた事、あります。
今回は、自分が日本にいて、「できる事」が誰かを助ける事、ではなく、自分が当事者として(被災者ではなくても)、すべてを感じています。家をなくした人を支えるのは、国全体。そして、これからの事、すべて、自分の生活にも、人生にも、関係がある事と、捉えています。だから、今までの生活とは違う生活がやってくるだろうし、その中で、自分の立ち位置ってどこなんだろう、と考えます。昔はアーティストとして、社会の一員として、考えてた事が、今回は、母親としても。
一人一人が、そう考えて、生きているんだろうなあ、と思うと、複雑ではあるけど、その中から、希望も生まれてくるだろうし、人の愛で支え合える事もあるんだろうと思います。
ぜひ、パワーと愛を抱えて、日本を支えに戻ってきて下さいね。
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