私は、普通の4年制の大学を卒業しているので、同級生の多くは、立派な会社員とかになっている。みんな、出来が良いらしく、ご活躍だ。
I was graduated from university in Liberal Arts. Fellow students there became successful business people after graduation.
社会人になった、元同級生に、一度、質問された事がある。「好きな事、仕事にして、辛くないか?」と。彼曰く、「好きな事を仕事にしてしまうと、逃げ場がなくなるし、純粋に楽しむ事ができなくなり、苦しいと思って、僕は、好きな事は趣味として、仕事と分けて生きる選択をしたのだ」と。
One of them asked me, "Don't you feel uncomfortable about doing what you love as your job? You cannot escape from the job and you will gradually hate what you love most since it is now your source of income. I keep what I love most as hobby."
彼が言いたかったのは、「お金のために制作する事によって、自分の好きな世界に、商業的な思惑や、表現者としての自分を曲げたりとか、不純な動機が入ってきて、辛くないのか?」という事だろう。
What he wanted to say to me is "Is it OK for you to change your natural expression, or pleasure by commercialised aspect?"
人生はどれを選ぶかによって、自分のスタンスが決まり、そこからものを見るようになる。私は、好きな事が仕事になったから、仕事が好きだ。仕事である以上、純粋に楽しみだけではないかもしれない。でも、それ以外の人生が、もうわからない。純粋って、なんなのかも、わかんないぐらい、ごちゃごちゃに境界線がない。でも、他にできる事もないし、したい事もない。だから、彼の質問に答えられる、ベースがないのだ。「よく、わかんない〜」「いやあ、辞めたい程、辛くはないなあ〜」という答えになってしまうのだ。仕事を仕事として、自分からある程度切り離せる人生も、また、豊かなのだろう。経済的に安定してるからこそ、自由な面もある。でも、私には、それも辛そうに見えたりするのだから、お互い、わかってないのだろう。
It depends on what one chose as a life stance. I chose what I love as a job, so I love my job. At the same time, it is not purely enjoyment. There is no boundary between job and privacy. It is all from one pocket-job, life and expression. But that is my life. I do not know other way of seeing. It could be good life as well to separate job from pleasure. But for me it looks uncomfortable.
以前は同じように机を並べて、似たような事を考えていた学生達も、10年も違う人生を歩んでいくと、価値観の違いを拡げて行く事になる。たまに、昔の友人に会うと、その拡がりに「人生って、おもしろいなあ」と感じずにはいられない。
We both used to study next to each other and saw same things from similar point of view. Over 10 years brought such a big difference to us. The life is so interesting, I always thought when I met old fellows.
0 件のコメント:
コメントを投稿