石垣のホテルにて。「せんそうってなあに?」という絵本を読んでいます。She was reading "What's the war?" |
実は、首里城は激戦地跡です。In Okinawa. This place was once battle of the World War Ⅱ. |
71years ago at the same day, the atomic bomb was dropped to Nagasaki.
そのことを、教科書で読み、映画や本で、知ってはいたけれど、
長崎の街で、多くの人が押し寄せたという川の橋に立ち、
「ああ、あのお話が、ここに、現実として、あったのだ」と
初めて、実感しました。
I read it on the text books and watched many films and books,
but it was the time that I really feel it
when I stood at the bridge hung on the river
where many burned people died to eager water.
長崎では、被爆手帳を持つ方、2世、3世の方が、身近にいます。
田平の教会墓地では、学徒として、召集されていた女性たちが
爆心地で亡くなられたお墓がありました。
戦争は現実にあったし、おそろしい惨劇は、お話なんかじゃないのです。
Where we are now, there are many people who was there on that day,
or second and third generations.
The war was reality and tragedy was not only story.
今年、沖縄に旅行に行くにあたって、
ナノカを、戦争跡地に連れて行くか、迷いました。
すこし、感じやすいところのあるナノカ。
4歳はまだ、すこし、早いかと思い、
「戦争で、たくさんの方がなくなったこと」
「その中には、赤ちゃんや、小さな子供、家族を持った人がいたこと」
を話すだけにしました。
We went to Okinawa this spring
where the worst battle was occurred and one forth
people there was dead in the last half year.
しかし、旅行後、何かを感じたのか、しばらく夜泣きが収まりません。
(子供だから、雰囲気や、気配のようなものに、
敏感なのかもしれません)
調べてみると、首里城周辺は、指令本部が置かれ、
激戦地となり、また、その後、本島決戦を遅らせるための時間稼ぎに、
司令部が降参せず、南下したため、住人たちが戦争に巻き込まれていき、
南部に被害が集中したのだ、ということを、知りました。
(文章では、たぶん、読んだことがあったのですが、地図や、地名と
照らし合わせたことが、なかったのです)
4人に1人の方が亡くなった地域もあった沖縄。
沖縄の人たちの、基地に対する思いも、行ってみて、
その歴史を、垣間みて、はじめて、肌で感じるところがあります。
I read the books, but I did not realize the reality
until I visited there.
最近、発言や表現に対して、圧迫感を感じる世の中になったと感じます。
報道で、「これは、実は大きな問題なのでは?」と思うことが取り上げられず、
疑問に思うことも、しばしば。
先日、「戦争は、決して、してはいけない」発言すら、
タブーになっている、という報道関係者の言葉に、おどろきました。
むしろ、その一言のために、報道は存在しているのだと、わたしは、思いますが。
Recently many pressure was spreading onto the broadcasting.
I feel the liberty to expression was getting limited by
violence and big power.
Even "The war is the last things to do." is one taboo
that NHK casters said and I was very shocked.
「知ること、考えること、話し合うこと」
普段の生活でも、難しい課題があった時、そうするように、
ひとつずつ、ていねいに、対応していく努力と能力が
唯一、世界を変えていくことだと、信じています。
"To know, to think, to discuss"
It was the basic to solve the problem
when we are facing on the difficulty-misunderstanding,
conflicts, and battle even daily life.
報道されず、教えられず、(知ることができない)
タブー視されたり、一方的に考えを押し付けられたり(考えられない)
極端な人たちが、一方的に人の意見を叩く(話し合えない)
では、いけないと思うのです。
the news was sensored,
some opinions became taboo and one idea was forced to have,
radical people denied all other ideas very hard.
That was terrible things to happen.
娘のため、そして、同時に社会を生きていく、世代と、
その次の世代のため、どれだけの自由と、平和を、私たちが、残してあげられるのか。
71年前に、犠牲になった、多くの人たちのためにも、
今ある問題と、ちゃんと、向き合っていきたい。
祈りを込めて、そう、誓います。
For my daughter and the generation to live with her, and following generations,
how much liberty and peace can we leave behind?
For the victims 71 years ago,
I would love to keep it mind what I can do.
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