男性に絵本で心の一冊を選んでもらうと、圧倒的に「ぼくを探しに」を上げる人が多い。本屋さんで大人になってから出会って泣いてしまった、ていう話もよく聞く。(ちなみに女性は、「100万回生きた猫」を上げる人が多い)
When I asked the best picture book to the men, most of people answered, The missing piece.
(Women answered, "million times dead cat" as their best)
「ぼくを探しに」は、自分の欠けた部分を探して、旅に出る話。私も大好きな1冊だし、哲学的な素晴らしい本だなあ、と思うけど、ここまでおしなべて男心をつかむ一冊なんだと思うと、男女で感覚の差ってあるんだなあ、と感じてしまう。
"The missing piece" is the book about the piece went around to seek for the missing piece. It is one of my favorite and very philosophical and good book, but I felt that there is the difference between men and women since it appeals so much to the men.
一般的に、男の人の方が、「何かが欠けている」という欠落感が大きいのかな。それが、なんなのか、よくわかんないけど、その「なにか」を求めるから、冒険をするし、何かをやり遂げようと探求する。仕事や恋愛の原動力になるものが、欠落感のような気もする。でも、そのせいで常に「なにか」を探してて、星の王子様みたいに、どっかへ飛んでいっちゃうのかもしれないけど。
Generally speaking, men have more feeling that "something is missing." To seek for that, they go to adventure, try to achieve something. It might be a source for work or relationship. Some men can fly somewhere to seek for that like the little prince, though.
女性の一冊、「100万回生きた猫」は、死んでは生き返るのが、へっちゃらなトラネコが、白ネコと過ごした事によって、もう生き返らなくなるって話です。(私も、高校生の時、本屋で号泣しました)
"Million times dead cat" is the book about the can who lived and dead again and again. He did not care at all about that, but at the end he met white cat and he did not want to come back to the world anymore.
女性は、「最後の一人になりたい」ていう、強いつながりを求めた「運命の相手」への願望があるのかな。ある意味、プリンセスストーリーっぽいな。白ネコは、ただそこにいて、なんとなく待っちゃってる所が、「王子様が迎えに来てくれるのを待ってるお姫様」っぽいしね。
The women have the dream that they want to be the last person seeking for the partner of destiny. Sounds like different type of princess story. White cat was just staying there and it was like the princess waiting for prince's coming to pick her up.
どちらも、欠けたものを求めて見つけるという、似た話のようで、根本的になにかが違う。男女が「missing piece」をお互い見つけたと思って、寄り添っている時、そこで描いている物語は、この2つの物語のように、多分、すれ違ってるんだろう。でも、「割れ鍋、綴じ蓋」でないけど、そこに違いがあっても穴は埋まってれば、調理はできるし、生きていける。結果オーライ、かな。(こう思うのも、女性のみ?)
Both stories are about seeking missing part, and similar in that meanings, but they are fundamentally separated. When man and woman thought they found the missing piece and got together, each wrote different stories. But it contains when it shapes the round anyway and they can live together. Result is the same.
ちなみに、話を書いていると、ああ、私は男性目線の話は、まず書けないんだなあ、と実感する。「ぼくを探しに」も、私には多分、書けない世界なんだと思う。私にも欠落感があるし、読めば共感するとしても、同じ事を感じてるようで、その感じ方に何らかの差がある。同様に、男性作家さんの作品って、だいたいそう感じさせられる。当たり前の事なんだけど、私って女なんだなあ、と思う。
I cannot write the "men's point of view story" at all. "The missing piece" is not from my pocket. I have feeling the missing, and I can understand and I am moved by the book, but there is still some difference about feeling. I realize I am a woman.
2 件のコメント:
うんうんうん、なるほどなぁ〜!!
"The Missing Piece" は私の人生最初の絵本で、もちろんその影響もあってSilversteinは尊敬している作家のひとりでもあるし、大好きだし(「絵本を作るためにグラフィックデザインも勉強したい」と思ったキッカケの絵本なんだ)、『100万回生きた猫』も中学時代に親友にもらって私も深く感動して、それ以来いつも"the Missing Piece"と並んで愛読書の中に並んでいます。でも、なるほど、、この二つが世の中で男と女にはっきり分かれて圧倒的人気を誇る作品って知らなかったけれど、確かにdodoさんの言う通り、どちらも、男のロマンと、女のロマンをくすぐる作品、面白いコントラストだなぁ〜!!って納得、同感。"the Missing Piece"については、昔から読んでいると、好きなんだけど、どっかで、『え〜!で結局かけらをはめると唄えなくなっちゃうから、またひとりで生きちゃうの?』っていう、勝手に物語に「ふたつで合わさって転がってく」っていう結末をどこかで期待してるのか、ちょっとだけ寂しくなったりしたのも、やはり子供心にも、私も『女』ってことなんでしょうなぁ。。笑 やはり『100万回生きた猫』は、女の夢だよね。どんなに遊んできた男と一緒になってもいいから、私が一番特別な、唯一愛した女になれたらそれが一番幸せ、、っていう。わははは。
でも、そうなると、第二巻の"the missing piece meets Big O"は、『誰かを待ってばかりのあなた、自分から転がってみなさいヨ。白馬の王子様は、向こうからあなたをどこかに連れてくためにやってくるわけじゃないのよ。あなたも動かなきゃ。幸せは誰かの足りないかけらになることだけじゃないのよ。』っていう、独立していく女性への応援歌みたいなかんじかしら。私は個人的に実はこの2巻の方が一巻よりも好きなんだけどね。
ふむふむ。。大人になるって、面白いですねぇ。いろいろ人生に当てはめてみちゃいますねぇ。でも、きっと、映画でも、絵本でも、
ひとの結婚式でも、すぐ『自分の人生』と重ね合わせて妄想しちゃうこと事態が、そもそも『女』っぽいとこなんでしょうね。
笑。
aichaelさん、
コメントを読んで、あれ?と思って、もう一度本屋さんに行って、「ぼくを探して」を読んでみました。
すると、、、自分がとーっても記憶違いをしていたことに気づきました。私は、どこかで、いつかmissing pieceを見つけた彼が、ぐるぐる楽しく回って、二人で旅をしているのが最後の結論だったと思いこんでました。
でも、なんの探すものがなくなり、うまく気ままに歌えなくなった「ぼく」が「かけら」を放してしまう、なんて結論、忘れて、無視してましたねえ(多分、自分の考えに相容れなかったので、勝手に消滅させちゃったんでしょう。これぞ、女!?)
続けて、ビッグオーも読みました。そして、、、なんか時代を感じました。女性の自由と自立がクローズアップされた時代だったんだろうなあ、と。もちろん、白タイツをはいた白馬の王子様が迎えに来るはずもない事(あるいは、迎えに来てくれても、そこから第2章があって、リターンズがあって、という現実)をじゅうじゅう知ってても、「えー、欠けたところのない、まん丸な自分だけで成立してしまうビッグオーってどうよ?」「かけらも、努力で丸くなって、それで、回り続けるだけでいいのか?」と思ってしまったりして。
訳者さんの、「自由を愛した、ヒッピー世代の芸術家らしい観点」というのは、的を得ているのかもしれない。なにか一つの関係や形式に捉われず、自分の理想のみを追えるロマンって特権階級であり、ある意味、わがままを許された立場からの理想論かも。
女のロマンって、100万回も生き返ってる化け猫の、年貢を納めさせちゃうぐらい、惚れさせて、一緒に墓に入ることなのかな?ちょっと、アーティストとして自分がちっぽけに感じるけど、まあ、いっか、と思っちゃうアーティストとしてはちょっとダメな私です。
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