2009年7月28日

chatting with president and editors 絵本館でおしゃべり

引っ越してから、はじめて、絵本館におジャマしました。
Today I visited Ehonkan Publishing first time after my moving.

絵本館の社長は、背の高い、ヒゲめがね(この業界のこの世代の男性はヒゲめがねが多いんです)のダンディな方なのですが、好奇心旺盛な方で、私の引っ越し後の生活を根掘り葉掘り聞かれてしまいました。「何時に起きるか」「どこでお買い物するか」「どれぐらい仕事をするか」あんまり立派な生活をしていないので、とっても恥ずかしかった、、、
The president, who was a tall gentleman with mustache and glasses(most of elder men in this field have mustache and glasses for some reasons), asked me so many question about my new life. "What time do you get up?" "How long do you usually work?" "Where do you buy the grocery?" etc. I am not proud of my daily life, and I was a little shy about telling,,,

「あ、でも7時には起きてます。仕事する時間は、今仕事あんまりないし、あっても人より短いです。あ、ハイ、、最近は暑いので、お昼寝もしています。食べるものはしっかり食べてます。あ、前の彼氏ですか、、、別れました。よく覚えてますねえ、、、アパートは公園側に徒歩10分です。私は歩くの遅いから、15分かかります。家賃は、、、」
I wake up around 7am. I worked,,,not so long, compared with 9-5 business people. Yes, I have a nap especially in this hot weather, ,,I ate OK. Well I broke up with that boyfriend(He remembered well,,,,) apartment is 10 min walk from station, 15 min for me, rent is,,,"

でも、なんだか、東京に住んでるんですね、私。今さらながら、実感です。
I really feel that I am now in Tokyo and I am neighbor of them.

2009年7月27日

Bon Dance on the department store 丸井で盆踊り

昨日の晩、家で休んでいたら、「丸井の屋上で盆踊りやってるらしいから、行こうよ」と誘われました。丸井で盆踊り?!ああ、デパートの催しか何かか、と思ってたのですが、、、

そこには、なんともディープな世界が、、、丸井は地元の商店街に毎年、場所を提供してるだけなんですね。なので、行われているのは、商店街の超ローカルな盆踊り大会。だいたいエレベーターに乗ってるメンツが違うのです。「よう奥さん、美人やな。奥さんてのはあ、美人と決まってらあ」という、吉祥寺という街のデパートにいてはいけないような、腹巻きでもしてそうなおっちゃん3人組。屋上に上れば、ビンゴ大会。商店街の人達が用意した屋台。といっても、顔パスで結構ゆるーく、飲み物も食べ物もタダでもらえちゃったりする。年寄りばかりかと思いきや、ちゃんと若者がいっぱいいる。そして、浴衣を着た結構チャラい高校生カップルもいたりする。その子達が、酔っぱらいのおじさんをあしらってたりして、昭和のにおいがプンプンして、地方出身の私とカメラマンHは、ノスタルジーにひたってしまいました。
盆踊りも、老いも若きも、キビキビ踊ってて、私にいたっては、そこでなぜか涙が出て来てしまいました。丸井、やるなあ。私は、吉祥寺ももっと好きになって、丸井も見直しました。いい夜でした。

2009年7月24日

eavesdropping 盗み聞き

一時期の爆音は収まったものの、隣の工事は、今度は地味な作業が増え、作業のおじさん達とアパート内で目が合うようになってしまった。落ち着かない、、、ということで、今日は久々にスタバに行きました。

本当に、悪い癖だと思うんだけど、隣の席の話を、じっくり盗み聞きしてしまいました。
二人は看護婦さんで、この片方Sさんは忘れられない程、ステキな元彼ヒロシっていうのから、最近、メールが来て、「会いたい」と言われたらしい。しかし、実際にはヒロシは最近結婚しており、会いたい、は単なるSさんの心配をしての事。二人のエピソードは、「お腹がすいた」というSさんのメールに、レスキューのヒロシが、「○○駅に、衰弱した女性S一人確認。早急に救出に向かう」というメールを返して来ただの、いまだに毎年七夕に「幸せですか?」というメールを送って来るだの、「ほおー」という感じ。さらには、今度、ヒロシの紹介で3対3の合コンをするという計画まであるらしい。また、箇所箇所に「夜勤明けに、、、」とか、看護婦ワードが出て来て、なんかドラマチックだなあ、、、と勝手に妄想を膨らましてました。
こうして聞いてると、このカフェにいる一人一人に、それだけ分、ひとつひとつのドラマがあるって事ですよねえ。全部、一個一個聞いて回りたい、、、ということで、盗み聞き、どうしても、辞められません。にやにやしながら、聞き入ってる、絵本作家が側にいたら、みなさん、席を移りましょう。

2009年7月23日

The missing piece ぼくを探しに

男性に絵本で心の一冊を選んでもらうと、圧倒的に「ぼくを探しに」を上げる人が多い。本屋さんで大人になってから出会って泣いてしまった、ていう話もよく聞く。(ちなみに女性は、「100万回生きた猫」を上げる人が多い)
When I asked the best picture book to the men, most of people answered, The missing piece.
(Women answered, "million times dead cat" as their best)
「ぼくを探しに」は、自分の欠けた部分を探して、旅に出る話。私も大好きな1冊だし、哲学的な素晴らしい本だなあ、と思うけど、ここまでおしなべて男心をつかむ一冊なんだと思うと、男女で感覚の差ってあるんだなあ、と感じてしまう。
"The missing piece" is the book about the piece went around to seek for the missing piece. It is one of my favorite and very philosophical and good book, but I felt that there is the difference between men and women since it appeals so much to the men.

一般的に、男の人の方が、「何かが欠けている」という欠落感が大きいのかな。それが、なんなのか、よくわかんないけど、その「なにか」を求めるから、冒険をするし、何かをやり遂げようと探求する。仕事や恋愛の原動力になるものが、欠落感のような気もする。でも、そのせいで常に「なにか」を探してて、星の王子様みたいに、どっかへ飛んでいっちゃうのかもしれないけど。
Generally speaking, men have more feeling that "something is missing." To seek for that, they go to adventure, try to achieve something. It might be a source for work or relationship. Some men can fly somewhere to seek for that like the little prince, though.

女性の一冊、「100万回生きた猫」は、死んでは生き返るのが、へっちゃらなトラネコが、白ネコと過ごした事によって、もう生き返らなくなるって話です。(私も、高校生の時、本屋で号泣しました)
"Million times dead cat" is the book about the can who lived and dead again and again. He did not care at all about that, but at the end he met white cat and he did not want to come back to the world anymore.


女性は、「最後の一人になりたい」ていう、強いつながりを求めた「運命の相手」への願望があるのかな。ある意味、プリンセスストーリーっぽいな。白ネコは、ただそこにいて、なんとなく待っちゃってる所が、「王子様が迎えに来てくれるのを待ってるお姫様」っぽいしね。
The women have the dream that they want to be the last person seeking for the partner of destiny. Sounds like different type of princess story. White cat was just staying there and it was like the princess waiting for prince's coming to pick her up.


どちらも、欠けたものを求めて見つけるという、似た話のようで、根本的になにかが違う。男女が「missing piece」をお互い見つけたと思って、寄り添っている時、そこで描いている物語は、この2つの物語のように、多分、すれ違ってるんだろう。でも、「割れ鍋、綴じ蓋」でないけど、そこに違いがあっても穴は埋まってれば、調理はできるし、生きていける。結果オーライ、かな。(こう思うのも、女性のみ?)
Both stories are about seeking missing part, and similar in that meanings, but they are fundamentally separated. When man and woman thought they found the missing piece and got together, each wrote different stories. But it contains when it shapes the round anyway and they can live together. Result is the same.


ちなみに、話を書いていると、ああ、私は男性目線の話は、まず書けないんだなあ、と実感する。「ぼくを探しに」も、私には多分、書けない世界なんだと思う。私にも欠落感があるし、読めば共感するとしても、同じ事を感じてるようで、その感じ方に何らかの差がある。同様に、男性作家さんの作品って、だいたいそう感じさせられる。当たり前の事なんだけど、私って女なんだなあ、と思う。
I cannot write the "men's point of view story" at all. "The missing piece" is not from my pocket. I have feeling the missing, and I can understand and I am moved by the book, but there is still some difference about feeling. I realize I am a woman.

2009年7月22日

Be carnivorous sometimes 草食にもの申す

先日、相談に乗っていた年下男性が、玉砕しました。
「逃げ道つくって、さらっと誘ったような、気があるような、社交辞令だったような、、みたいな形を取っておけば、俺、断られた事にはならないよ。でもさ、急にそういうのがイヤになってさ、俺も男だ、はっきり気持ちを伝えるぞって。俺は巷にいる草食系になりたくないしさ。」
結果はともあれ、私は、「えらい!それでこそだ!!!」と彼の評価をトリプルAまで上げました。
(In Japan we call the typical men who are very subjective to the relationship as relationship vegetarian men.)  One man asked the girl for date and he broke. He said he could have asked her more "just friend" attitude but he did not want to be one of relationship vegetarian men. I thought that is attractive attitude anyway.
草食系は、世間ではそれなりに評価があるようです。柔軟で、現代的で、穏やかで、争いが嫌いで、、、状況に馴染むようにやわらかに暮らす都会的な姿。へえー、、、
別口からは、こんな話を聞きました。
「僕の周りに、たくさんシングルのまともな男性がいるんだけど、みんな口を揃えて言うんだよね。『彼女いらないけど、向こうから来たら、考えてもいい』て」
私、聞いただけで、怒っちゃいました。いったい、何なの?って。別に男女に関わらないし、恋愛だけの話じゃない。人間って、そんなに受け身なばっかりでいいの?たまには、大事な事のために玉砕するかもしれないけど向かっていく勇気って、必要なんじゃないのかなあ。都会では、そうじゃないのかな、、、失敗しちゃいけないってこと?
This type(relationship vegetarian men) is kind of poplar. They are soft peaceful flexible and modern,,,they fit all the situation of city life. Another person told me that all his single male friends are saying "I do not need girlfriend, but I will consider if the girls approach me from her" I was so mad to hear that. How boring those men are! It is not only about men but women, and it is not limited to relationships but life other issues. People should have some courage to face on their true heart and sometimes need to challenge even it ends up burst. Why are they so afraid of making mistake?
私は、まれにとても肉食なので、がーっと行くことがあります。仕事は特にそうかな。だいたい、どこかに片足残しておいて、片手間で人を感動させられるとは思いません。技術や自分磨きをすれば人生がよりうまく行くという考え方もあるけど、私はそうじゃないんじゃないかな、と思います。自分を護ったまま手に入れられるものは、限られてる。生きていくって、やっぱり、サバイバルな面もあるから、、、
I am sometimes aggressive to important things to me. For ex, job. Can I make somebody moved by the words I wrote while I saved myself somewhere in safe place? Some people believe that they can have better life by brushing themselves and their skills, but I do not think that it is everything. The life is still survival and we need to take risks to get something.
向かっていくと自然、失敗は多くなります。でも、100%自分をさらけ出さないと、見えないものって、あります。たまには、大事なもののためには、かしこくなり過ぎず、器用になり過ぎず、みっともなくたって、心から泣いたり笑ったり、、、それが人生だ、て思う私は、ドラマ体質なのかな?いや、でも、昔から歴史上人はそうやって、必死で生きてたはず。今の世の中、便利過ぎて、豊か過ぎて、「これだっ」て思えなくなってるだけじゃないかなあ。飽食の草食動物って感じ、、、
Of course it gives me more mistakes. But I can see more by living with 100% myself. To be a little bit silly, to be unskillful, to be miserable, and to cry and laugh from our heart, are important part of life sometimes. People through the history had been living like that. Now people are wealthier and the life gets more convenient then people lost view of what is the most important for them. 

草食を志すなら、昔なら、菜食主義でとことんまで、ストイックじゃないとダメだったんでしょうね。超越した仙人みたいな人なら、草食んでても、尊敬しちゃうんだけど、、、なんとなく馴染めない、草食文化です。
If a man wanted to enjoy own freedom, it meant something else in the past. It is more stoic like monk. They had severe life and they got so much risk. The society treated them in different way. I can respect them in that case. Modern relationship vegetarian,,,is not understandable for me,,,

2009年7月21日

Happy birthday for everybody! 誕生日を祝おうよ

先週末、自宅で「誕生日会」が開かれた。誕生日の主は、一度しか会った事のない「友人の古い友人」だった。知り合ったばかりの関係ですが、、、
Last Friday, I had my friend's friend birthday at my apt. I just got to know him recently though.

誕生日って、老いも若きにも、金持ちも貧しきものにも、人に囲まれた人も、孤独な人にも、すべての人に、平等に、一年一度やってくる、特別な日。平等にやって来るんだから、定額給付金じゃないけど、ちゃんと受け取らないと、損しちゃう。
Birthday should be celebrated! This special day comes to everybody-older and younger, rich and poor, happy and lonely, once a year equally. We should take it, otherwise, we will miss some joy.

わたしは、誕生日を誰かがなにもなく迎えてるのを知ったら、祝う事にしている。それは、私がニューヨークに2度目に渡って間もない頃の経験から来ている。
当時、学生でもなく、勤め先がある訳でもなく、誕生日なんだよーと言う機会もなく、「今年の誕生日はこのまま普通の日だろうな」と思ってたら、友人が、自宅に自分の仲間を集めて結構なパーティーを開いてくれたのだ。初対面の人達に、「おめでとう」て祝ってもらったのだが、すごい嬉しかった。
人は、誕生日を一人で過ごしちゃいけないんだ、楽しくすごさなきゃいけないんだ、てその時、思い知った。深い意味なんていらない。祝った方がいいんだって。
I keep it in my mind to celebrate if I find somebody who has no plan for their birthday. It comes from my experience in NY. I had just moved to NY and I was not student anymore and I was not employee either. Then I thought that my birthday will be just ordinal day. But one of my friend gathered her pals to have party for me. I was celebrated by unknown people, but I was happy to be said "happy birthday!" I got to know that nobody should not spend lonely birthday, everybody should have a happy birthday.

派手な事はしてあげられないかもしれない。でも、コンビニのケーキにろうそく灯して、おにぎり食べたって、しないより、やっぱり、した方がいいと思う。貧しくて何もあげられなければ、恥ずかしいようなカードあげたっていい。忙しくて何も準備できなかったら、大きな声で歌ってあげればいい。人は、クールに生きるより、あたたかく生きた方が、幸せだ。それが、誕生日って象徴されてると思う。
I cannot do many things. But better than nothing, anyway. We can celebrate with birthday cake from supermarket with candles. If you cannot afford to buy anything, you made birthday card with lots of terrific words. If you are too busy to prepare, you just sing a song loudly. I think it is happier to live warmer than cooler. Birthday is the symbol of that.

2009年7月15日

cultural? personal? 文化のちがい?それとも、個人?

ニューヨークにいた時、たまに、「日本人」のレッテルにうんざりする事があった。普段は、まったく個人的なつきあいなのに、「あなたは日本人なのにおしゃべりだ」とか「あなたは日本人だから、男性に尽くすんでしょ」とか。ひどいのになると、記事で見たデータとかで、「日本人女性の未婚率は上がってるから、あなたは結婚しないんでしょ」とか、古い小説(谷崎潤一郎/痴人の愛)で読んだ日本人女性像から、「日本人女性って、浮気するんでしょ」とか。ああ、腹立たしい。
日本にいても、多少の違和感を感じる事だってあるし、どう考えても標準に近いとはいえない。というか、いったい「典型的な日本人」な人っているの?

日本人である事を「期待」される事はあったし、勝手に私の行動のひとつを、「日本人だから」と解釈される事があった。「私は日本代表ではない。にしむらかえ、よ」と憤ってケンカした事もある。が、言われてみれば、日本でどっぷり育ったのだし、日本人である事は、確実に染み付いてる。どこからが私で、どこからが日本人の特徴なのか、私も説明ができなかった、、日本文化はふかい所で「私」を作っていて、意識する事もない。無常観とか、死生観とか、どこから手に入れたものかと言えば、やっぱり、日本文化なのかな、と思う。あやふやな暗い井戸の中で、私自身と、私が生まれてから摂取し続けた日本文化が、混沌と混ざっている。分ける事なんてできない。

モノを書く時も、意識せずに体に染み付いた日本文化を使ってしまい、向こうでは全然通じないという事もあった。自然と、「これは、通じるだろうか?」と常に用心しながら書いていたと思う。
今、日本にいて、日本人のレッテルは外れる。私の中の日本文化は、受け手も日本人なのでさらっと理解される。確実に通じる感覚は増えた。私はどっぷり日本人だったのだ。しかし、今度は逆に、「個性的」と言われるようになった。私が「私」である部分が、目立つようになったのだろうか?自分と文化を分けるなんて、無茶で意味のない事なのだけど、そんな経験があるからか、どこからが自分なのかなあ、とたまに、思ったりする。

2009年7月14日

giving あたえる愛情

友人と映画「西の魔女が死んだ」を観た後の事だ。友人が号泣して、こう訴えた。「この子はひどい。ワガママだ。おばあちゃんが、こんなにしてくれてるのに、最後にこんな別れ方をして、、、」そして、自分の体験を語った。「私も反抗期の頃、甘ったれで、おばあちゃんにキンキンひどく上からモノを言って、洗濯物のたたみ方の事でケンカした、次の日におばあちゃん死んじゃったの。今でも、後悔してる。あんなに愛してくれたおばあちゃんに、最後に悲しい思いをさせちゃった」
My friend and I watched movie "Western witch died." My friend burst to cry after movie and said, "This girl was too mean and selfish. Grandmother loved her and did so much things, but she separated from her in this way and it became the last meeting..." then she talked about her experience, "I was careless to my grandmother's  love in my law-teen, and one day I had criticized her about way of laundry and next day she was dead in her bed. I am still regretting to let her go with sorrow. She loved me so much..."
私は確信を持って言える。おばあちゃんは、全然、気にしてないという事を。自分が少し年をとって気付いた事だけど、未熟なものに対しては見返りを求めず、ただ与える愛情って言うものが、存在する。それが、多分親になればなおさらだし、ましてや、おばあちゃんまで行けば、超越して、ただただ、あげるだけで、嬉しかったはずだ。「そうやって無条件で与えてもらった経験があるから、また、あなたもそれが、できるのよ。おばあちゃんに返す事は無理だけど、あなたは年をとった時に、あなたの孫に与えてあげればいいんだよ。そうやって、愛情は循環してるんだよ。多分。」
I can say that her grandmother did not care at all. I noticed it after I grown-up that matured people have giving love, which they do not need the feed-back. If they are parents, it must be much deeper, and grandparents are so extremely matured and they have pleasant just to give everything. "You could not give directly back to what you got from grandmother since you had separation when you were still immature and you were just receiver. But that's why you could do same thing to your grandchildren when you got older. Love circulates through the generation in this way."

これ、シルヴァスタインの「おおきな木」ですね。前にあの本を「私はきらい。だって、あの男の子もらうばっかりで、おかしいでしょ?」て言ってた後輩がいたんだけど、その時も、「あれは、あたえる喜びをうたった話じゃないかなあ」と私は言った。「おおきく」なった木はそれだけの度量があったのだ。全然、ちっぽけな私には、まだまだ、その境地がわかってないんだろうけど、年をとっていくって、そういう素敵な面もあるって思えば、悪くないはず。
It reminds me "Big Tree" by Silverstein. One of my friend said, "I dislike story. The boy is just receiving and it is not fair." I gave her my opinion, "That is about joy of giving, I think." BIG tree had such a generous. I, still small creature, cannot find big heart in myself yet, but I am looking forward to getting aged to think about the beauty of getting old.

Observer 傍観者

先日、結婚した友人と話していて、「そういえば、私達、なんとなく付き合っちゃって、いつからか覚えてないんだけど、、、」と言われて、愕然とした。実は、私、付き合い始めたその瞬間の事詳細を一部始終記憶していたからだ。
I was talking with my friend who got married recently over the phone and she said, "Well, we dated for a while and I did not remember when was the border to be lovers." I was so surprised because I remembered all the details of the time.
それは、みんなでスパに行った帰り道のバス。男の方が私に、「イヤだわ、かえちゃん、この女、やらしいわ。うちに誘ってきよった。」と照れまぎれに言ってきて、「一緒に映画観ようと思っただけじゃん。いいでしょ」と友達が真っ赤になってた。そうそう、あなたの方から、思いっきり直接的に誘ったんだよ、と指摘したら、「そうだったっけー」と笑ってました。その後、すったもんだを日々くり返して、情報がいつもアップデートされていくから、案外、本人達はいろんな事を記憶違いしてたり、忘れちゃったりしてるものですよね。
we were on the bus returning to NY from spa in NJ. My friend and her present husband sat next each other. The guy suddenly talked to me, "Kae, this chick is kinky. She asked me to come to her apartment after this." and the girl blushed and "just to watch the movie!" I pointed her that she herself asked him for a night very directly. She laughed,"Oh, really?" They had been together after that, and everyday the things have been updated, then they forgot many things, and remembered some past in the wrong way.

ある友人が、「女友達の彼氏の、ほとんどが気に入らない」と断言してました。He is not good enough for my friendてね。女友達というのは、情報だけ入ってきます。当の本人は愛情があるから許せるような、ワガママ、問題、不健康な関係性、甘え、なんかを冷静に、愛情のフィルターを通さず見ると、絶対許せないものです。その上、自分は友人には愛情を持っている訳で、守ってあげなきゃ的な気持ちになったりして、、、でも、案外、本人達、ケロッとしてたりして。傍観者から見ると、いつも、恋愛って、不思議なものです。
Another girl friend insisted on that she hated all her girl's friend's boyfriend. "He is not good enough for my friend!" Actually if we got the only information what is going on the couple, it is not acceptable usually. We do not have "love"filter and all the wrong things between couples such as selfishness, trouble, unhealthy relationship, spoil,,,are unbelievable. We, as girl's friends, have feeling we have to protect my friends, but generally the couples are quite fine. The relationship is always mystery from observer's point of view.

2009年7月13日

Time is Money 時は金なり


先日、井の頭線に乗った時の事だ。渋谷までの道のり、急行電車が混んでいたので、各駅停車に座って行くことにした。そして、カバンに入れていた「ほとんど記憶のない女」を読むことにした。本はとりとめもない描写がダラダラと続き、ほとんどガラガラの電車には、昼下がりののったりした空気が流れていた。ふと「これは、贅沢だなあ」と思った。内容のない本(いい本だけど。でも、ためになる知識は入ってない)、非生産的な時間、それをのんびり食んでる私。
私は、基本的にお金を持ってなくて(この仕事はいつも、そんなもの)、時間がある。たまに少し忙しいけど、世の人々の忙しさに比べたら、雲泥の差だ。持ってる財産が「時間」しかないので、そのまま人に差し出す事が多い。やや自由がきくので、頼まれて動く事もできるし、少しだけ時間をかけて、人を喜ばすことは、しやすいだろう。
この「時間」を換金して、お金にするシステムは、世の中に結構ある。ので、そうしてもいいし、そうした方がいいと思う人も多いのかもしれない。たまに、そう思う時もある。よく、わかんないのだ。確かに、私は、時間をもそもそ食んでるだけ過ぎるかもしれないし、、、
でも、時間は、かなり贅沢な財産だなあ、と実感する事は多い。私にとっては、これを失う事は、痛い。自分の大事な人が、今どうしてるかなあ、と感じたり、他人の心の痛みに共感する余裕があったり、あの人は寂しくないだろうか、この人は元気だろうか?ていうか目の前にいるこのおじさんは道がわかっているのか、云々、云々、、、そうして、少し街が色を帯びて、温かみを持ち、人が人らしくある。
「時は金なり」て資本主義っぽい言葉で、「それぐらい時間は価値があるから、ムダ使いせず、有効に使いなさい」ていう意味に聞こえるが、単に、「時って、いいもの。価値があるもの」ぐらいに思って、あんまりカツカツしない時があってもいいんじゃないかな、と思う。いくらなんでも、現代人は急がし過ぎるかなあ、と。
On the other day, I was on the train heading for Shibuya. Since express train was so crowded, I decided to take the local train. I sat on the sheet and started to read "almost no memory." In the text, the meaningless expression lasted, and in the empty train, the time of the sunny day passed slowly. I felt that this was really extravagant. Non-useful book(it is good book though), Non-productive time, and I -just took them.
Fundamentally I rather have time than money(it is my job destiny). I have more free time compared with ordinary people. I only have time as my possession, then I gave it to people directly. I could help people by spending extra time, listening their trouble, go there and cheer up, made dinner to welcome people, think over the friends, or just passengers,,, 
There are so many way to exchange time to money in the world's system. Some people might think that it is better. I think I should sometimes...but I do not know. Time is so luxury for me. I want to have it.
When people said  that "Time is Money" it means "time is important like money, so you should not spend roughly but carefully." But I just feel, "Time is luxury"simply, and it is nice to just enjoy itself sometimes. Anyway, modern people are too busy.

Short Songs  短歌結社セツナ

先日、友人が短歌結社を作った。会員は女性二人だそうだ(つまり、二人で歌の披露会をするだけ)。名前は「セツナ」。2ヶ月に一回、うたかい、が催され、一人50首持ち込み、順番に詠んでいく。テーマは「恋愛」。片思いどっぷりの女性二人が繰り広げる、ブルーな歌会を想像して、かなり「せつな」い気持ちになった。ヤバそうだなあ、、、
One of my friend made the "short songs" group. Two members are there right now. They brought 50 short songs(Japanese traditional poem for corresponding to tell their mind made by 5.7.5.7.7 sound). The theme is always "Love." I imagined that two girls ,who are in one-sided love, made blue songs each other, and I could not stop feeling some sympathy...is it OK?
短歌と言えば、古代から親しまれてる日本の文化で、昔は、うまいとそれだけで、モテたしろもの。現代の短歌の世界も、なかなかやるものだ。「ショートソング」という短歌に生きる若者の小説を貸してもらったけど(とても若々しい内容でした)、たしかに、短歌詠みながら生活(特に恋愛)したら、なんか潤いがあって、より人生が楽しそうだなあ、とは思った。
In the ancient, people were so poplar if they could make beautiful songs. Lately, the short songs world is active, too. I read the book about young short song poet and it is very exciting. The life with short songs looks two or three times richer and moist.

ちょっと抜粋。
だれからも 愛されないということの 自由気ままを 誇りつつ咲け (枡野浩一)
なんだっていいから自信が持ちたくて 毛糸洗いをアクロンでする (仁尾智)
わりとセクシーな短歌も多い
それなりに心苦しい 君からの電話をとらずに変える体位は(佐々木あらら)

No body loves me, it makes up my freedome, be proud of that, and bloom! -koichi masuno
I wanted to have confident of something, and I washed the wool with Acron.-tomo nio
(some sensual songs)
I felt a little bad, to change the position while I did not answer your call.-arara sasaki

一体、友人達がどんな歌を歌ってるのか知らないけど、50首も詠んだら、自分のしている事に向き合って、すごいブルーになって、そしてその後になんか、すっきりした、らしい。へえー。あまりに好奇心をそそられて、私も次回、参加させてもらう事にしました。ヤバいかなあ、、あ、あと、男性目線の恋愛を聞いてみたい、という事で、男性会員を募集してるそうです。ぜひ、この機会に、光源氏、あるいは北原白秋のようなモテ男を目指して、(石川啄木ではない)ご参加お待ちしております。
I do not know what kind of songs my friend made, but after 50 songs, they faced on what they were doing and feeling, and a little blue, then feel recovered. I was so interested in them and I decided to join next time. Is it OK? They are seeking for the male members to see what is the men's point of view about love. If you are interested in being poplar poet, please join us!

2009年7月10日

Riding Time machine タイムマシンに乗って、、、


「タイムマシンに乗って、過去のある所に戻って、何かを変えたい」と思う人はいっぱいいるのだろうか?消したい過去、取り戻したいもの、もう一度欲しいチャンス、やり直したい人間関係、、、でも、タイムマシンは存在しない。多分、ずーっと発明されないと思う。夢がないかもしれないけど、時間って、とっても絶対的なものだと思う。
私には、この過去に戻りたい、という気持ちがない。というか、あんまり後悔自体がない。(だから成長がないのかなあ)やり直したい事もほとんどない。別に失敗が少ない人生だとは思えないけど、現在が大事というか、、、フォローしたいなら今できる事をすればいいし、出た結果を受け入れて、生きていく以外にどうしよう?
過去を「昔起こった事実」とするなら、それはたった一つの絶対的なもので、タイムマシンがない今、変える事はできない。でも、過去を「思い出」とか「記憶」とか、個人的な体と心に刻まれた歴史と捉えるなら、それは、それぞれの人間の中にそれぞれの形で存在しているので、何通りもある。たまに事実とは大きく間違って記憶されてるのかもしれない。その場合、タイムマシンは存在してしまい、過去は変えられるのかもしれない。でも、それを真実に近づける事って大事だろうか?どうせ記憶を頼りに、前に進んで行かなければいけないのだから、自分に都合のいい記憶だけを胸に、生きていけばいいんじゃないかなあ、と思う。
Are there many people wishing to ride the time machine to go back to the past, and change something? Vanish the fact, get the lost staff, have another chance, and bring back the relationship,,,but the time machine does not exist. It won't be investigated forever, in my view. Time is so absolute.
I am the person who does not have any desire to go back to the past. I even do not have regret.(This is the reason why I cannot learn from the past?) I had no so much things I hadn't done. Of course I made so much mistake, though. I just think highly NOW. If I can do something now, I do. But are there anything I can do but accept the result and keep going?
If we talk about the past as "truth that happened in the past", it is only one fact there. We cannot change since we do not have time machine. But if we talk about the past as "memory of personal experience" it is up to the person. It exist in the heart and body of each person and it could be different from the fact. But are there any meaning for seeking the fact? We have to go ahead, with these memory. We just need the memory helping us to go ahead.

My favorite things すきなこと

昨日の夜、「あ、魚が食べたい」と思って、ツルカメランド(すごいいい名前でしょ!でも、実在のスーパーです)にお買い物に行った。セロリとかニンジンとか缶詰とかを買って、すっかり暮れてしまった街を、夕涼みしながら、風を浴びて歩いてると、「ああ、私この時間大好き」と思った。

例えば、朝もそもそ起きて、ドリップでコーヒーを入れながら、ふくらみを見てる時間。充満するにおい。リンゴをシャリシャリむく事。飽きる程聞いてる音楽をかけながら、だらだらメールをチェックして、のそのそ仕事を始め、なんとなく夕ご飯の事を考える。奮発して買ったドラム式洗濯機が回るのを見てるのも好きだ。
爪にたまにネールをする。自分でするので、むらだらけ。でも、ピンクな爪を見ると幸せ。その手に翡翠のブレスレットがぶら下がってるのを見ると、さらに幸せ。
たまに、かかとの高い靴を履いて、カツカツ歩いてると「歩いてるなあ」と思って、気持ちがいい。
近所のネコや金魚を見るとテンションが上がる。お惣菜屋のおじさんは照れくさそうに、江戸っ子風の商売トークをつぶやき続けてる。路上骨董品屋のおじいさんは、夕方になると今日もいそいそ店支度。この街も好き。
3方向に窓がある自分のアパートも大好き。出窓の方に向けてる、大きな作業台も自慢。その前をネコが通って行く。順番に、黒、白、三毛、トラ、などなど。椅子は自分で布ばりしたお花柄。もちろん、大好き。
自分の仕事も好き。多少、差はあるものの、基本楽しい。生み出す苦しさや、自分の限界に向き合って辛い事はあるけど、やっぱり好き。
自分の料理したものも好き。小松菜とか、ほうれん草とか、ゆでておいて、ちょっとづつ食べる。お米は5分付き。麦茶は作って冷やしておく。ふいに友達が来たらいつでも出せて、食事時になったら、簡単におにぎりとみそ汁ぐらいは出せるのが理想。おすそ分けも好き。もそもそ手作業してると気持ちが落ち着く。

歩きながら、自分は好きな事しかしていない、と思った。ふと不安になった。何もイヤな事をしないで、生きている。だから、罰が当たるんじゃないだろうか?みんなイヤな事をいっぱいしながら、我慢して生きてるのに、、、

もしかしたら、私が作り出すこの生活感や世界観が、合わない人もいたのだろうか?一見、害がないように見えるけど、非の打ち所のない程マイペースに自分の空間を作り出して、実は息が詰まりそうなこともあったんじゃないだろうか?私は案外、自分勝手なんだろうか?

そう考えたけど、家に着く頃には、「ま、いいや」という考えにまとまった。

2009年7月7日

Tanabata Bomb 七夕爆破

七夕だ。
去年の七夕はまさに遠距離恋愛中。折しも、私と同時期に付き合い始めた友人も遠距離恋愛中だった(遠距離結婚だったか)。そして、どちらの遠距離恋愛も終わった。かたや見事に破局したが、あちらは結婚して、一緒に暮らし始め、そして赤ちゃんも授かった。めでたしめでたし。なににせよ、遠距離恋愛は終わりがある。永遠に一年に一度会い続ける織り姫と彦星に同情せざるを得ない。で、彼らを破局させてみました。
Today is Tanabata-the day for distanced lovers. I was one of them last year. My friend was, too. Both distance love were over this year. Mine was over, but her ended up with marriage, start to live together, and pregnant. Happy ending! Anyway, it should have end. We cannot meet only once a year forever. I had deep sympathy with Orihime and Hikoboshi. Then, I tried to break them up.
距離を置くと、心にも距離ができるものだ。勝手な妄想が広がったりして、、、
Distance made gap between lovers. Hikoboshi started big business plan to make plantation of the cow, made company, be rich and poplar,,,,

勝手な結論が出てたりして、、、
Then he hit on the selfish conclusion "dear Orihime. you should find your own happiness...Hikoboshi."
とっても悲しい結末。
sad ending,,,
とはいえ、女はいさぎいいのが一番。
But girls should be strong.
まずは、未練を断ち切る。ぶっつりと。
Orihime bombed the bridge to give up Hikoboshi.
あー、なんか、すっきり。
She felt that it is really over.

これから、ぼちぼちですなあ。
Dad"There is many things in life." Orihime,"I know,,"

2009年7月6日

Scream さけび

曲として聴く時に好きな声に特徴があるなあ、と思った。
作業中は音楽かけっぱなしだ。
私は、その人の限界にちょっと近い所で出る高めの声で歌われた歌が好きみたい。叫び、みたいな、切ない感じがするからかな。高ければいい訳でもなく、絶叫もイヤだけど。

この人はジャズピアニストだけど、このCentral AvenueでPanama Bluesていうのが、男の人の声でずっと高音で歌ってて、すごい好き。(ちなみにこの人、私の友人のダニーにそっくり。英語で書くとばれるから、書かないでおこうっと)

Con Te Partiro きみととびたとう

アンドレア ボッチェリ という盲目のオペラ歌手が歌ったアルバムを持っている。
I have CD of Andrea Bocelli, who is a blind opera singer.
こんな感じの人だ。さすが、ミュージシャン。さすが、ヨーロッパ人。赤いバラを抱える無精髭のおじさん、てすごいなあ。でも、かっこいい。
He is like this. European! Musician! An middle age man can hold red rose! But anyway he is cute.

この中に、Con Te Partiro 君と飛び立とう、という曲がある。私はこの曲を聴くと、触感を感じる。手を握った感じ、風にあたる感じ。そして、うすい光。明け方の雲から差す光。あと眼下の荒れた草原。(これは視覚だけど、なんとなく存在を感じる)かすかな風のにおいもあるかな。
目が見えない、という事は、視覚以外のものをより強く感じて生きていることになる。彼の表現は自然、目の見える人とは違ってくる。そして、それは歌に強く薫る。ハンディキャップと呼ばれる部分というのは、決してただ欠けてる部分ではなく、あたたかにその人を作ってる部分なのだ。
同じように、だれしも、それぞれの個性をもっとあたたかく受け入れてもいいんだよなあ、と思う。
There is the song, Con Te Partiro. I can feel sense of touch. Warmth of hands holding, the wind, and soft light from the sky through clouds, existence of the rough earth below. He lives in the world of luck of vision. His sense feels more other sense. Then it smells in his songs. More richness exist there. Handicap, "something different from ordinal people" are not just luck but warm uniqueness of the person and made them up in warmth. We, ordinal person, all should feel that warmth of what we are in everyday life.

ちなみに、本当の歌詞はこうらしい

ひとりでいる時
地平線に想いを馳せる
でも、言葉は届かない
そう、光なんてない
日の差さない部屋には、
きみがぼくのもとにいない時には。
窓に
人々に僕の心を見せておくれ
君が灯した心を、
僕の中に閉じ込めて
君が道で出会った
光を。

2009年7月2日

Possible writing 書ける文章

本日も工事音朝8時から夕方5時まで、きっかり。スタバで仕事も慣れてきました。今日は、なんか文章も打ち込みたい気分だったので、アップルちゃんも持ち込み、打ってみました。書けるようになったのは嬉しいのですが、いったい、この文章どこでどうしたらいいのだろう、、、というようなモノばっかり、書いてしまいます。
I worked at Starbucks today, too. I brought apple there and tried to write. I ended up finish some text which I was not sure where to bring.
私は、具体的に課題をもらえば、その時は小器用なので、、、
When I got the offer to write on specific matter (ex. friendship between two lions with tears)
なんとか書き上げちゃうのですが、、、
I could do anyway,
本人の自発的な創作意欲に任せると、(せっかく待ってくれてる企画もあるというのに)
But if I tried to write from my motivation,

その時の気分のものしか、書けません。
I only wrote what I felt at that time.
最近、大量に書き上げた、どうしたらいいのか、わからない文章の山。どうして、期待されてるものが書けないんだろう、、、
What should I do with these recent stories? Why couldn't I write what people expect me to do?
商品である以上、本も受け入れ先があるものじゃないと、売れません。私の状況を心配してくれる様々な人がいろいろ「売れる」アドバイスをくれます。
Books are products for publishers. Then we have to sell. Many people gave me advice what I should write.
でも、知識ばっかり増えても、なかなか、その通りに書けるもんじゃありません。不器用な私。この「こういうものが、いいんですよ」という意見が、身にならないのは、、、
Although I gained the knowledge, I cannot write as I was told. I am not so clever. 

既婚者の恋愛アドバイスにも似て、耳が痛いけど、全然、身につかないものですねえ、、、
It is similar to the advice from the married women. I can never follow even I got.

2009年7月1日

I am fine after all いろいろあったけど わたしはげんきです

I am fine after all-from "Kiki"
いろいろあったけど、わたしはげんきです。(魔女の宅急便)

今日も朝から、隣の工事のガガガガガという音から避難すべく、スタバへ。静かに仕事をするつもりだったけど、そこに「試験勉強をする女子高生2人組」というのがいて、そのうるさいこと!でも、女子高生ってこわいモノなしだなあ、と感心してしまいました。学校の教師のことを、「きもい。刺されればいい」とか「あいつなら、もうちょっとオシャレしてくれたら、つきあってあげてもいい」とか、男論(ありえなくね?とか)、友達論(まじ、むかつく、とか)、人生論(大学いくの、うぜー、とか)、まあ、すごいなあ(盗み聞きしなくても聞こえてきた)。私もあんな風だったのかなあ、と思ったら、「女ってちゃんと成長するんだなあ」と少し、安心しちゃいました。
彼女達が強気なのは、親の庇護のもと、世の中がとっても安全なんでしょうね。それで、「魔女の宅急便」を思い出しました。宮崎駿は、角野栄子作の「魔女の宅急便」を「都会へ出ていく女子大生」への応援歌に焼き直したのだそうです。強気でやる気がいっぱいのキキが、新しい街で一人で自分自身の可能性や弱さや絶望までと向き合って、一度は飛べなくなっちゃう。空回りや、自分のふがいなさを知ったり、恋をしてみたり(トンボ君は鈍いし)、で少し大人になって、そして、「いろいろあったけど、わたしはげんきです」のセリフが出てくるのです。
すでに、私もこんなに育ってしまいましたが、いつも共感しちゃいます。すべての女性は常に、このセリフを胸に、都会で暮らしてるんじゃないかなあ。
I went to starbucks today again to escape from the construction noise, but I happened to sit next to high school girls who were super-noisy. They talked about teachers, boys, friends and life. They had no scare in the world. Everything is existing for them as center. I might be like them when I was at that age, and I felt that girls will get mature by age. I thought about "Kiki." She moved to new city by herself to train herself as a witch. She was strong minded at the beginning but soon she faced on the reality-her ability, her weakness, her loneliness,,,then she got over them and became a little matured. "I am fine after all the things." is the girls (even aged girls in the city) common quotation.