先月、婦人公論(10/22号)でアンチエイジング医療の体験ルポを書かせてもらいました。雑誌の読者層が40代50代ということで、私の年齢がネックにならないよう、めいいっぱい「疲れたアラフォー」として登場しています。とほほ。
下はイラストルポ部分の一部です。
These are some illustration rupotage from magazine job I did last month. I experience the latest antiaging madical care and report it.
こっちが医療用インディバ
Indiva heat madical care
こっちが血液クレンジング
Ozon blood care
2010年10月15日
2010年10月4日
Thanks for coming! お話し会ご報告
日曜日は、こばやしさんと私の読み聞かせとワークショップのイベントがありました。
着用後で少々よれてますが、これが当日用に作っていたTシャツです。なかなか、くせ者で、私が着ると、確実に児童館のスタッフか、絵本屋さんの店員さんに見えてしまいます。色は好きなんですけどねえ。子供服にすれば、きっと、ちょうどいいんでしょうが。
このTシャツを普通に着こなすために、前日、いろいろ試してみたら、結局、相方さんの長袖Tシャツが一番しっくりきたので、拝借しちゃいました(おかげで、彼は、夏のような格好に)私は普段、とっても能天気でおちゃらけているのだが、人前に出る前にはいつも緊張して、登校(?)拒否になる。地下鉄に乗っている間中、ぶうぶう言っていた。
会場に着くと、観念して、楽しめるんですけどね〜。
イベントには、たーくさんの小さいお客さん、大きいお客さん、が来てくれて、非常に盛り上がりました。ハルトとゆかいな仲間達(幼稚園に一緒に通う3人組)が、自由奔放に振る舞ってくれて、「五郎丸、もう何回も読んじゃったよ」と最初に言うし、「悪いヤツだなあ〜」とコメントを途中で入れるし、「もう一回読んで〜」と最後に言うし、でまるで、家のような雰囲気でした。みんな、楽しそうで、よかった!
着用後で少々よれてますが、これが当日用に作っていたTシャツです。なかなか、くせ者で、私が着ると、確実に児童館のスタッフか、絵本屋さんの店員さんに見えてしまいます。色は好きなんですけどねえ。子供服にすれば、きっと、ちょうどいいんでしょうが。
このTシャツを普通に着こなすために、前日、いろいろ試してみたら、結局、相方さんの長袖Tシャツが一番しっくりきたので、拝借しちゃいました(おかげで、彼は、夏のような格好に)私は普段、とっても能天気でおちゃらけているのだが、人前に出る前にはいつも緊張して、登校(?)拒否になる。地下鉄に乗っている間中、ぶうぶう言っていた。
会場に着くと、観念して、楽しめるんですけどね〜。
イベントには、たーくさんの小さいお客さん、大きいお客さん、が来てくれて、非常に盛り上がりました。ハルトとゆかいな仲間達(幼稚園に一緒に通う3人組)が、自由奔放に振る舞ってくれて、「五郎丸、もう何回も読んじゃったよ」と最初に言うし、「悪いヤツだなあ〜」とコメントを途中で入れるし、「もう一回読んで〜」と最後に言うし、でまるで、家のような雰囲気でした。みんな、楽しそうで、よかった!
2010年9月30日
funny face マネしたくなる顔
昨日の犬に似ている、の発言には、全くもって憤慨だが、私の表情は私が思っている以上にコミカルなようだ。
As seeing the story of yesterday, I look funny sometimes.
おいしかったり、うれしかったり、ちょっと恥ずかしかったりするだけの、ナチュラルな表現のつもりなのだが、
For me, it is just natural expression of happiness, ashamed, or comfortable,,,
相方さんが、すぐマネをする。そんな変な顔をしてるとは自分では思えないので、毎回、ムッとする。
But my partner thought it is funny and imitates whatever I do. "I did not make such a face!" I got upset every time.
ところが、私の顔マネは、ハルトもお気に入りで、よくしているそうだ。え、似てるかなあ、、(例え、かわいい甥っ子でも、譲れない)
Actually Haruto imitated me, too. Even it is the action of a little lovely kid, I do not want to accept it,,,
が、ハルトは、じーじの顔マネもするのだが、こちらは、特徴をつかんでいて、そっくり!うーん、やっぱり、ハルトの観察眼はなかなかなのか。
However, Haruto's imitation of my dad is extremely catching his character! Maybe Haruto might be right,,,
ちなみに、ハルトは、人の顔を描くのも得意らしく、原画展に来て、私の似顔絵を描いてくれた。実際、描いてる途中で、ちらっと、私の顔をチェックしていた。そして、
Haruto is good at drawing caricature. He drew me on the first page of my exhibition guest book. He looked up my face before he finished drawing,,,
最後に、おおーきな口を描き入れました。私って、口、でかいのね。
この似顔絵、原画展のコメントノートの一番最初に大きく描かれています。ブックハウスさんに足を運んだら、チェックしてみて下さいね。さて、似てますか?
and added a big mouth. Yeah, mine is big,,,Check it out if you go to the exhibition. Does it look like me?
As seeing the story of yesterday, I look funny sometimes.
おいしかったり、うれしかったり、ちょっと恥ずかしかったりするだけの、ナチュラルな表現のつもりなのだが、
For me, it is just natural expression of happiness, ashamed, or comfortable,,,
相方さんが、すぐマネをする。そんな変な顔をしてるとは自分では思えないので、毎回、ムッとする。
But my partner thought it is funny and imitates whatever I do. "I did not make such a face!" I got upset every time.
ところが、私の顔マネは、ハルトもお気に入りで、よくしているそうだ。え、似てるかなあ、、(例え、かわいい甥っ子でも、譲れない)
Actually Haruto imitated me, too. Even it is the action of a little lovely kid, I do not want to accept it,,,
が、ハルトは、じーじの顔マネもするのだが、こちらは、特徴をつかんでいて、そっくり!うーん、やっぱり、ハルトの観察眼はなかなかなのか。
However, Haruto's imitation of my dad is extremely catching his character! Maybe Haruto might be right,,,
ちなみに、ハルトは、人の顔を描くのも得意らしく、原画展に来て、私の似顔絵を描いてくれた。実際、描いてる途中で、ちらっと、私の顔をチェックしていた。そして、
Haruto is good at drawing caricature. He drew me on the first page of my exhibition guest book. He looked up my face before he finished drawing,,,
最後に、おおーきな口を描き入れました。私って、口、でかいのね。
この似顔絵、原画展のコメントノートの一番最初に大きく描かれています。ブックハウスさんに足を運んだら、チェックしてみて下さいね。さて、似てますか?
and added a big mouth. Yeah, mine is big,,,Check it out if you go to the exhibition. Does it look like me?
2010年9月29日
micro mini 超ミニスカート
先日、マルイの前でセカンドハンドの服を安売りしていた。
On Sunday, I hit the second hand market in front of Marui department store.
そこで、ジーンスの超ミニスカートを見つけた。ミセスになったらちょっと着れなそうなので、よけいに闘志がわいて、購入した。
I found ¥1000 micro mini skirt. I would not able to wear when I became mom. I have to wear it right now! I bought it.
スカイプで、相方さんに「どうだ!」と言わんばかりに、披露した。相方さんは、笑いをこらして、しばらく見ていた後に、一言。
I showed off to my partner on skype yesterday. He tried not to laugh for a while and said,,,
「かえちゃんって、Oに似てるよね」
"You resemble O" O is a dog in my parent's house.
Oって、Oって、、、うちの実家の、能天気な犬の事ですか?動物に似てるって言われちゃう私って、、、張り切り過ぎたか。
Oh, God. Was I too excited? I did not want to look like her.
On Sunday, I hit the second hand market in front of Marui department store.
そこで、ジーンスの超ミニスカートを見つけた。ミセスになったらちょっと着れなそうなので、よけいに闘志がわいて、購入した。
I found ¥1000 micro mini skirt. I would not able to wear when I became mom. I have to wear it right now! I bought it.
スカイプで、相方さんに「どうだ!」と言わんばかりに、披露した。相方さんは、笑いをこらして、しばらく見ていた後に、一言。
I showed off to my partner on skype yesterday. He tried not to laugh for a while and said,,,
「かえちゃんって、Oに似てるよね」
"You resemble O" O is a dog in my parent's house.
Oって、Oって、、、うちの実家の、能天気な犬の事ですか?動物に似てるって言われちゃう私って、、、張り切り過ぎたか。
Oh, God. Was I too excited? I did not want to look like her.
2010年9月28日
The cook, the thieve, his wife and her lover コックと泥棒、その妻と愛人
郊外育ちで、街に映画を観に行くなんて事はまれだった。中学生になり、バスと地下鉄を乗り継ぎ中心地に出かけるようになってはじめて、名古屋市内の映画館に行く事を覚えた。ある時、友人が誘ってくれた映画が、シャルロットゲンズブール出演の「小さな泥棒」だ。はじめて観るフランス映画にキツネをつままれた気持ちになった。でも、ずっと心に残り、映画というのは、100%理解できて楽しめるものと、ぼんやり世界観に包まれることを楽しめるものがあるのだなあ、と知った。
その時の予告で、「コックと泥棒、その妻と愛人」を観て、ずーっと興味を持っていた。そして、先日、20年以上の時を経て、とうとう観ることになった。
I hadn't gone to see movies until junior high school since I lived in superb with no movie theater. I started to go to the center of city by subway and bus, and one day my friend invited me to watch "Little thieve" staring by Charlotte Gainsbour-it was my first French movie. It did not have complete story and ended all of sudden. I was thrown into the wonder after movie. Still it remained as big impression.I got to know there were movies that I did not understand everything but that I could just enjoy the world that movie shows. Before that movie, I watched the preview of "The cook, the thieves, his wife and her lover" and I had wanted to see for a long time.
マイケルナイマンの音楽に乗せて、ゴルチエがデザインしたガッチリしたドレスを着た女性が行き来する、きれいな耽美な作品だが、なぜ横暴なマフィアがこのレストランを凌駕していて、いったいなぜ、食べ物の中でのエロティックなシーンと、暴力シーンが続くのか、イマイチつかみ切れず、これもキツネにつままれた後味。食欲、性欲、暴力。何かを象徴してるように感じるんだけど、、、何度か観直した後、少し調べてみた。すると、「当時のサッチャーリズムに対する、強烈な批判」と記してあるものにぶつかった。ふむ、政治的な批判が含まれているのか。
Finally I got to see it last week. It was beautiful movie with music by Michael Nyman and costume by Gortiez but I did not get it what it meant. Food, sex, violence,,,I could see they were symbols of something,,,I looked up and found that the column telling "that is the strong message against politic at that time.
食べ物が、生の状態で何度も出てくる。毛をむしられる鴨、飾られてる鵞鳥、腐敗した魚と蛆虫。ゴシックの絵画に描かれた原料としての動物や果物を思わせる。人間の欲のひとつ、食べる、という行為はどんなに気どって着飾っても、やはり、野性的で、粗野なものなのだ。
Food appears as the ingredients. Duck with feathers, dead goose decorated on table, ruined fish and warms. It reminds me the Gothic oil paintings of still life. One of desire, eating is wild and unsophisticated however they tried to hide.
病的な程、清潔を保とうと皿洗いを続ける少年は、ずっと罪(キリスト教における原罪のこと?)を洗い流そうとしている。(食欲、性欲、権力欲のような人間の罪深さとの対比で存在している)また、妻が惹かれる愛人は、常に本を読んでいて、知性や学問を象徴している(泥棒達の無学な下品さと対照的である)象徴的な、登場人物が画面を構成し、全体のメッセージを暗喩のように、読み手の方にゆだねている感じが、ブリューゲルの絵を読み解いてるみたいだ。
以前、作品に対してメッセージを込めるかどうか、について、考えた事がある。日本に帰ってきた時、「絵本には、メッセージはいらない」と助言されたのだ。それまで、アメリカで、「Voice is important」と聞いていたので、カルチャーショックだった。両者の言い分、どちらも正しいと思えた。読み手として、子供が楽しみ、ホッとするために、重たいテーマは、日常的なお茶の間には似つかわしくない。一方、作り手の強い「これが言いたい」がやはり作品の強さになるのだ、というアメリカ的な考え方も、正しいと思う。これは、もともとの、文化の違いや、個性の捉え方の違いが根本にあるように感じた。私個人には、少々大き過ぎるテーマで、適当に流しておくしかなかった。
いろいろな社会問題を目にする時、物語を付与して、問題意識や希望を伝えるのは、やっぱり、作る人間の役割なのじゃないかな、と感じる。事実を伝えるニュースや、評論家にすべてを任せるのではなく、ヴォイスを持っている事に誇りを持ち、勉強し、物語の形で表現して行くのが、作り手という存在じゃないだろうか、と。シェークスピアだって、ピカソだって、チャップリンだって、新聞記事よりも強いメッセージを、人々の前に提示した。私が何かを発信するかどうかは、ヴォイスが出てくるかによるので、どうなるかわからないけど、常にもっと勉強していなきゃいけないな、と勉強不足を反省した。
The boy washing plates was symbol of innocence in the term of Christianity. The lover read books-he symbolised wisdom and culture. Those elements consisted movie as characters and showed some message. But all messages were still metaphors and the watchers had to read the meaning-it is like Brueghel's paintings.
I hit the question "if we need the message in the picture books" when I came back to Japan. One editor advised that we did not need any heavy messages in the picture books. I was surprised since I got education that the most important was author's voice in US. I gradually understand both could be right. In everyday life, moms did not want kids to feel messages. At the same time, the author's voice that they want to tell makes the book strong. Those different ideas comes from the difference in culture and individualism between two cultures. How could I find the answer to such a big issues?
Now I saw so much social issues every day. So much news from all over the world then I feel that it is the task of the authors and artists who tell the stories. In such a days, people need story not just news and facts. Through the history, Shakespeare did, Picasso did, and Chaplin did. They were sometimes stronger. What are the authors and artists doing now? I felt I should study and think more all the time.
その時の予告で、「コックと泥棒、その妻と愛人」を観て、ずーっと興味を持っていた。そして、先日、20年以上の時を経て、とうとう観ることになった。
I hadn't gone to see movies until junior high school since I lived in superb with no movie theater. I started to go to the center of city by subway and bus, and one day my friend invited me to watch "Little thieve" staring by Charlotte Gainsbour-it was my first French movie. It did not have complete story and ended all of sudden. I was thrown into the wonder after movie. Still it remained as big impression.I got to know there were movies that I did not understand everything but that I could just enjoy the world that movie shows. Before that movie, I watched the preview of "The cook, the thieves, his wife and her lover" and I had wanted to see for a long time.
マイケルナイマンの音楽に乗せて、ゴルチエがデザインしたガッチリしたドレスを着た女性が行き来する、きれいな耽美な作品だが、なぜ横暴なマフィアがこのレストランを凌駕していて、いったいなぜ、食べ物の中でのエロティックなシーンと、暴力シーンが続くのか、イマイチつかみ切れず、これもキツネにつままれた後味。食欲、性欲、暴力。何かを象徴してるように感じるんだけど、、、何度か観直した後、少し調べてみた。すると、「当時のサッチャーリズムに対する、強烈な批判」と記してあるものにぶつかった。ふむ、政治的な批判が含まれているのか。
Finally I got to see it last week. It was beautiful movie with music by Michael Nyman and costume by Gortiez but I did not get it what it meant. Food, sex, violence,,,I could see they were symbols of something,,,I looked up and found that the column telling "that is the strong message against politic at that time.
食べ物が、生の状態で何度も出てくる。毛をむしられる鴨、飾られてる鵞鳥、腐敗した魚と蛆虫。ゴシックの絵画に描かれた原料としての動物や果物を思わせる。人間の欲のひとつ、食べる、という行為はどんなに気どって着飾っても、やはり、野性的で、粗野なものなのだ。
Food appears as the ingredients. Duck with feathers, dead goose decorated on table, ruined fish and warms. It reminds me the Gothic oil paintings of still life. One of desire, eating is wild and unsophisticated however they tried to hide.
病的な程、清潔を保とうと皿洗いを続ける少年は、ずっと罪(キリスト教における原罪のこと?)を洗い流そうとしている。(食欲、性欲、権力欲のような人間の罪深さとの対比で存在している)また、妻が惹かれる愛人は、常に本を読んでいて、知性や学問を象徴している(泥棒達の無学な下品さと対照的である)象徴的な、登場人物が画面を構成し、全体のメッセージを暗喩のように、読み手の方にゆだねている感じが、ブリューゲルの絵を読み解いてるみたいだ。
以前、作品に対してメッセージを込めるかどうか、について、考えた事がある。日本に帰ってきた時、「絵本には、メッセージはいらない」と助言されたのだ。それまで、アメリカで、「Voice is important」と聞いていたので、カルチャーショックだった。両者の言い分、どちらも正しいと思えた。読み手として、子供が楽しみ、ホッとするために、重たいテーマは、日常的なお茶の間には似つかわしくない。一方、作り手の強い「これが言いたい」がやはり作品の強さになるのだ、というアメリカ的な考え方も、正しいと思う。これは、もともとの、文化の違いや、個性の捉え方の違いが根本にあるように感じた。私個人には、少々大き過ぎるテーマで、適当に流しておくしかなかった。
いろいろな社会問題を目にする時、物語を付与して、問題意識や希望を伝えるのは、やっぱり、作る人間の役割なのじゃないかな、と感じる。事実を伝えるニュースや、評論家にすべてを任せるのではなく、ヴォイスを持っている事に誇りを持ち、勉強し、物語の形で表現して行くのが、作り手という存在じゃないだろうか、と。シェークスピアだって、ピカソだって、チャップリンだって、新聞記事よりも強いメッセージを、人々の前に提示した。私が何かを発信するかどうかは、ヴォイスが出てくるかによるので、どうなるかわからないけど、常にもっと勉強していなきゃいけないな、と勉強不足を反省した。
The boy washing plates was symbol of innocence in the term of Christianity. The lover read books-he symbolised wisdom and culture. Those elements consisted movie as characters and showed some message. But all messages were still metaphors and the watchers had to read the meaning-it is like Brueghel's paintings.
I hit the question "if we need the message in the picture books" when I came back to Japan. One editor advised that we did not need any heavy messages in the picture books. I was surprised since I got education that the most important was author's voice in US. I gradually understand both could be right. In everyday life, moms did not want kids to feel messages. At the same time, the author's voice that they want to tell makes the book strong. Those different ideas comes from the difference in culture and individualism between two cultures. How could I find the answer to such a big issues?
Now I saw so much social issues every day. So much news from all over the world then I feel that it is the task of the authors and artists who tell the stories. In such a days, people need story not just news and facts. Through the history, Shakespeare did, Picasso did, and Chaplin did. They were sometimes stronger. What are the authors and artists doing now? I felt I should study and think more all the time.
2010年9月27日
borrowed life かりぐらし
24日、36歳になった。先日の体験ルポで、読者年齢に合わせて、「アラフォー」という言葉を自分に使うように頼まれた時、とてもショックだったが、実際、アラフォーなのでもある。(しかし、44歳と35歳が同じ囲いに入るのは、複雑な気分)まあ、これからも、自分をアラフォーなんて呼ぶつもりはないので(だいたい、アラサーの時だって、呼ばなかった)関係ないっか。
I became 36 years old on 9/24. I was called "around 40" in Japan. I am not happy about that since it includes 44 and 35 into same pocket.
とにかく、誕生日だったので、バースデー割でアリエッティを観に行った。吉祥寺の映画館では、誕生日月は1000円で、付き添い一人まで1000円で見られる。
Anyway, it was my birthday and I got birthday discount for movies in my neighbor. So I went to see Ariettie, living on what was borrowed.
アリエッティの原作は、イギリスの児童文学「床の下の小人。」映画では、この舞台を、日本の東京郊外と思われる古い洋館に移している。「借り暮らし」って、耳心地のいい言葉だけど、実際にお手伝いのおばさんに「泥棒小人」と呼ばれてたように、必要なものを人間からちょっと泥棒、して暮らしている。でも、考えてみると、人間がこの世に産まれて、地球で暮らしている時、それは、すべて借り暮らし、してるとも言えるのかも、と思えてきた。所有してる、と思い込んでいるけど、それがいったい誰のものであるのか、いつ誰が決めたんだろう?他の動物や、自然界から見てみれば、勝手な言い分。正当(この世の中のルールでは)と言われる手段で所有していたとしても、自分が生きていくのに必要なもの以上を、どん欲に所有しようとしている事こそ、泥棒なのかもしれない。何件もの不動産、投資目的で買われる美術品、金銭ゲームで生み出す利益など。
少しの持ち物は、人を幸せにしてくれると思う。自分の好きな色のカバンを手に入れて、特別な日には、「この服を着よう」と思ったり、ステキなポットでお茶を入れたり、住んでいる家を心地よく改造していったり、、、アリエッティ達の生活は、とても色鮮やかで、豊かだった。そうした生活のお気に入り、を失って、愛した場所から追いやられて行く事は、とても悲しい。時代も変化し、私達は、生き方自体を見直している時期ではないだろうか。生活レベルで豊かになる事と、力任せに財産を手に入れて、膨張して行く事は別。国レベルでも、同じ事のように思う。目指す所がどん欲なだけでは、幸せになれないと思う。
Ariettie's original story comes from English children's story, "the Borrowers." In this movie, the director brought the place to modern Tokyo superb. They said that they live on what they borrowed, but actually they steel from human beings. But I started to wonder who decide what belongs to whom. It is only human being's rule. All the creatures are living on what are borrowed from the nature and survive and finish their lives. Even we gain in legal ways, if it is more than what we need, is it really right things to do? Things makes our life richer and colorful-favorite color bag, dress only for special occasions, and beautiful pot for special tea-Ariettie's family made up their colorful life under the floor. It must be so painful to be forced to leave to give up their precious life. It happened to lots of people through the history in the term of war or conflicts. The wealthy life is not meaning the expanding their possession as much as possible by power.
I became 36 years old on 9/24. I was called "around 40" in Japan. I am not happy about that since it includes 44 and 35 into same pocket.
とにかく、誕生日だったので、バースデー割でアリエッティを観に行った。吉祥寺の映画館では、誕生日月は1000円で、付き添い一人まで1000円で見られる。
Anyway, it was my birthday and I got birthday discount for movies in my neighbor. So I went to see Ariettie, living on what was borrowed.
アリエッティの原作は、イギリスの児童文学「床の下の小人。」映画では、この舞台を、日本の東京郊外と思われる古い洋館に移している。「借り暮らし」って、耳心地のいい言葉だけど、実際にお手伝いのおばさんに「泥棒小人」と呼ばれてたように、必要なものを人間からちょっと泥棒、して暮らしている。でも、考えてみると、人間がこの世に産まれて、地球で暮らしている時、それは、すべて借り暮らし、してるとも言えるのかも、と思えてきた。所有してる、と思い込んでいるけど、それがいったい誰のものであるのか、いつ誰が決めたんだろう?他の動物や、自然界から見てみれば、勝手な言い分。正当(この世の中のルールでは)と言われる手段で所有していたとしても、自分が生きていくのに必要なもの以上を、どん欲に所有しようとしている事こそ、泥棒なのかもしれない。何件もの不動産、投資目的で買われる美術品、金銭ゲームで生み出す利益など。
少しの持ち物は、人を幸せにしてくれると思う。自分の好きな色のカバンを手に入れて、特別な日には、「この服を着よう」と思ったり、ステキなポットでお茶を入れたり、住んでいる家を心地よく改造していったり、、、アリエッティ達の生活は、とても色鮮やかで、豊かだった。そうした生活のお気に入り、を失って、愛した場所から追いやられて行く事は、とても悲しい。時代も変化し、私達は、生き方自体を見直している時期ではないだろうか。生活レベルで豊かになる事と、力任せに財産を手に入れて、膨張して行く事は別。国レベルでも、同じ事のように思う。目指す所がどん欲なだけでは、幸せになれないと思う。
Ariettie's original story comes from English children's story, "the Borrowers." In this movie, the director brought the place to modern Tokyo superb. They said that they live on what they borrowed, but actually they steel from human beings. But I started to wonder who decide what belongs to whom. It is only human being's rule. All the creatures are living on what are borrowed from the nature and survive and finish their lives. Even we gain in legal ways, if it is more than what we need, is it really right things to do? Things makes our life richer and colorful-favorite color bag, dress only for special occasions, and beautiful pot for special tea-Ariettie's family made up their colorful life under the floor. It must be so painful to be forced to leave to give up their precious life. It happened to lots of people through the history in the term of war or conflicts. The wealthy life is not meaning the expanding their possession as much as possible by power.
T-shirts design ウサコTシャツ
2010年9月21日
rolled coasters バカップル イン 富士急ハイランド
連休中日に富士急ハイランドに行ってみた。小さな頃は、それなりに絶叫マシーン好きだったのだが、物心と同時に、恐怖心が高まり、20歳を超えてからは、ほとんど近寄ることもなかった。
選んだ日が悪かったのか、とても混雑。3時間、4時間待ちがざらであった。みんな、よく並ぶなあ、と思うが、ただ立っているだけ、というのは、しんどいもので、座り込む若者続出。また、「付き合い始めカップル」「付き合いたいなあと思ってるカップル」などは、3時間以上という膨大な待ち時間の途中で話題が切れ、黙り込んでいるところもあった。ちなみに私達は、持っていったショートショートの文庫本を順番に音読する、というので乗り切った。(読んでもらうのは、悪くない心地である)1冊でも、雑学の本とか、クイズ本なんかを持っていくと、結構役立つんじゃないかと思う。
I went to Fujikyu Highland-it is an amusement park famous for their horrified rolled coasters. It was really crowded and we had to que for 3-4 hours to board one coaster. Many people were too tired to stand. Some new couples had nothing to talk and kept quiet. We carried a book and read aloud one by one to kill the time. I recommend to bring quiz book or knowledge book for conversation.
あまりの待ち時間の長さに、ドキドキも忘れ、最後にマシンにくくりつけられる段階になって、急に「あ、やっぱり、ダメかも」という気分になるが、時遅し。
Too long waiting made us forget even excitement before the board. Finally being settled into the seat and I suddenly started to feel fear. It was too late.
実際に動き出すと、変なアドレナリンが出るぐらいこわい。周りが見えないぐらい振り回されるのだけど、、、
Actually it was more than expect and I was pulled right and left, down and up, got some Adrenalin coming out
たまに、周りの景色がきれいなのが見えるぐらい、冷静な瞬間があったりして、、、終わったら、よだれが出てた。待ち時間がぶっ飛ぶぐらいの、衝撃が脳みそに行った気がした。あとで調べてみると、ドーパミンが出てるらしい。ドーパミンは脳内ホルモンの一種で、買い物中毒やギャンブル中毒な人も、買い物やギャンブル中にこれが出て、一種の興奮状態になるから、辞められなくなるらしい。体にいいかどうかはよくわかんないけど、ストレス発散になるのは、そういう理由らしい。こうしたマシンは、ちょうどそれぐらいになるように(恐怖心が行き過ぎると、こわすぎて、失神しちゃうし、楽しくない)計算されてるんだなあ、と思ったら、すごいなあ、と思った。
On board I had some moment I could see the beauty of the scenery,,,it was very unusual experience. I noticed I got spilled afterward. I looked up after I went home. We got dopamine-brain hormone on rolled coaster. It was the same hormone as shop-horic or gambling. I could see some unexpected excitement I got from the ride. It was planned very carefully to estimated how much fear is proper for the human being to get the ecstasy. If it is more than enough, people will faint out or just get sick.
ちなみに、何が恐怖心をあおるかは、個人差があるようで、相方さんは、前向きに急降下するのが、どの状況でもダメなようで、、、
What makes one's fear is not always same. My partner got fear when he face down and sloped down fast
私は、ベルトや固定ががっちりしてなくて、不安定感があるのが、ダメなようでした。
And I was so scared of the less tightness of the guard. I almost cried on the simple swing in the high place.
選んだ日が悪かったのか、とても混雑。3時間、4時間待ちがざらであった。みんな、よく並ぶなあ、と思うが、ただ立っているだけ、というのは、しんどいもので、座り込む若者続出。また、「付き合い始めカップル」「付き合いたいなあと思ってるカップル」などは、3時間以上という膨大な待ち時間の途中で話題が切れ、黙り込んでいるところもあった。ちなみに私達は、持っていったショートショートの文庫本を順番に音読する、というので乗り切った。(読んでもらうのは、悪くない心地である)1冊でも、雑学の本とか、クイズ本なんかを持っていくと、結構役立つんじゃないかと思う。
I went to Fujikyu Highland-it is an amusement park famous for their horrified rolled coasters. It was really crowded and we had to que for 3-4 hours to board one coaster. Many people were too tired to stand. Some new couples had nothing to talk and kept quiet. We carried a book and read aloud one by one to kill the time. I recommend to bring quiz book or knowledge book for conversation.
あまりの待ち時間の長さに、ドキドキも忘れ、最後にマシンにくくりつけられる段階になって、急に「あ、やっぱり、ダメかも」という気分になるが、時遅し。
Too long waiting made us forget even excitement before the board. Finally being settled into the seat and I suddenly started to feel fear. It was too late.
実際に動き出すと、変なアドレナリンが出るぐらいこわい。周りが見えないぐらい振り回されるのだけど、、、
Actually it was more than expect and I was pulled right and left, down and up, got some Adrenalin coming out
たまに、周りの景色がきれいなのが見えるぐらい、冷静な瞬間があったりして、、、終わったら、よだれが出てた。待ち時間がぶっ飛ぶぐらいの、衝撃が脳みそに行った気がした。あとで調べてみると、ドーパミンが出てるらしい。ドーパミンは脳内ホルモンの一種で、買い物中毒やギャンブル中毒な人も、買い物やギャンブル中にこれが出て、一種の興奮状態になるから、辞められなくなるらしい。体にいいかどうかはよくわかんないけど、ストレス発散になるのは、そういう理由らしい。こうしたマシンは、ちょうどそれぐらいになるように(恐怖心が行き過ぎると、こわすぎて、失神しちゃうし、楽しくない)計算されてるんだなあ、と思ったら、すごいなあ、と思った。
On board I had some moment I could see the beauty of the scenery,,,it was very unusual experience. I noticed I got spilled afterward. I looked up after I went home. We got dopamine-brain hormone on rolled coaster. It was the same hormone as shop-horic or gambling. I could see some unexpected excitement I got from the ride. It was planned very carefully to estimated how much fear is proper for the human being to get the ecstasy. If it is more than enough, people will faint out or just get sick.
ちなみに、何が恐怖心をあおるかは、個人差があるようで、相方さんは、前向きに急降下するのが、どの状況でもダメなようで、、、
What makes one's fear is not always same. My partner got fear when he face down and sloped down fast
私は、ベルトや固定ががっちりしてなくて、不安定感があるのが、ダメなようでした。
And I was so scared of the less tightness of the guard. I almost cried on the simple swing in the high place.
2010年9月16日
anti aging adults アンチエイジングおとな
まわりが、婚活シーズンだ。が、うまく行ってる話しは聞いた事がない。話を聞くと、理想が高くて、難しそうだなあ、と感じずにはいられない。それを既婚の女友達と話してて「相手にば かりいろいろ求めて、自分はどんなにいい男(女)なつもりなんだろう?」「大人になれてないんじゃない?年をとる最大のいい所は、自分を知る事だと思うん だけど、、、」と言ってた。的を射ているなあ〜、と感心してしまった。
Many people are looking for their life partners. But I heard no news they found the right ones. Talking with them, I feel that they asked too much for their future partners. My friend said, "do they think how big they are! They must be unmature. The best thing to get old is to know themselves." She was so right.
友人曰く、「ティーネージャとか若かった頃、すごい、なんでも知ってるつもりだったの。いい女のつもりで、「これぐらいは、相手に求めなきゃ」て、条件ばっかり、突きつけてた。今思うと、若くて、かわいいから、周りが大事にしてくれて、勘違いしてたのね。まだ中身、空っぽだったのにね〜」以後、いろいろ経験して、大人になって振り返ると、そう思うのだそうだ。
She continued, "Teenagers thought they know everything in the world. They think themselves as the best woman in the world and they can ask for anything to their partners. It was just because they are young and cute that they are so poplar. They are still empty inside."
確かに、若い頃の方が、「こうじゃなきゃダメ」が多かった。逆に、コンプレックスも、この頃の方が多い。若い頃は、先天的な持ち物の、比率が大きい。親の庇護下にまだいるから、自分だけの持ち物が、みんな少ないからかもしれない。測ってる基準は極端に狭い。足が太いだけで、人生が終わったように感じてみたり、逆に、ちょっとしたものが、絶対的な価値があるように見えたり。でも、この時代の価値は、一生不動のものではない。若さは必ずみんなが失う財産でもある。
It is true that I have lots of "should be" things when younger. The youngers had lots of complex, too. They do not have much inside possesion from experiences yet, so they tend to judge what they have at that time and they are so limited. Appearance, possesion, and their own limited world rules and senses. They think their life is over just because of bold legs. Unfortunately it is destiny of everybody that the youth will disappear. The youth is beautiful, but it is not
more than a part of development.
年を重ねて、若さを懐かしむ気持ちはあるけど、戻りたいとは思わない。なぜなら、今の方が、楽だからだ。社会に出ると、自分が後天的に手に入れてきたもので、人生を形成し始める。それなりに、いろんな経験をして、まだまだ未熟で、まだまだ成長できる事を知る。その経験分の蓄積で、人とつき合う事が出来、人の役に立つ事が出来、人を愛する事が出来る事を知る。足が太いだけで、人生が終わらない事を、知る。同時に、相手に多くを求められない事を理解する。自分が「こんなもの」なのに、相手が完璧なはずがない。自分を知り、身の程を知り、等身大の相手を選ぶ。30代、40代の人間が理想を相手に求めるのは、「まだ、自分の身の程を知らないのかなあ」と思ってしまう。だいたい、頭で人を選んでるように感じる。現実的に譲れない部分はあるのかもしれないけれど、それが絶対に譲れないものじゃない限り、もっと受入れる事の方に集中した方が、大人な人付き合いだと思うが。
取材でアンチエイジング治療を受けてみて、「若々しく、元気に、健康でいる」という意味なら、いいものだと思った。でも、それが「年をとる事を拒否して」「若さにしがみつく」ことだとしたら、未熟な気がする。失うものの方に注目する事で、得ているものを見えてないなら、もったいないとも思う。そういう意味で、精神的にはアンチエイジングしちゃいけないな、と思った。やっぱり、ピーターパンは結婚できないからね。
Of course I missed the youngerhood sometime, but I do not want to go back. I am happier, now. After 20 something, we are in the society and we start to face on what we gain-what we study, what we experience, what we make effort. Now we know the bold legs did not kill our life. We can make our life richer by ourselves-We can make friends, we can do business, we can support somebody and we can love. We know we are still unmature and developing, that's why we accept who the others are. Anyway we ourselves are not perfect.
Anti aging is good as meaning of "keep young, healty energetic." But if it means "not accept getting old" it is the same as unmature. If we live on good life, we should be proud of being older.
Many people are looking for their life partners. But I heard no news they found the right ones. Talking with them, I feel that they asked too much for their future partners. My friend said, "do they think how big they are! They must be unmature. The best thing to get old is to know themselves." She was so right.
友人曰く、「ティーネージャとか若かった頃、すごい、なんでも知ってるつもりだったの。いい女のつもりで、「これぐらいは、相手に求めなきゃ」て、条件ばっかり、突きつけてた。今思うと、若くて、かわいいから、周りが大事にしてくれて、勘違いしてたのね。まだ中身、空っぽだったのにね〜」以後、いろいろ経験して、大人になって振り返ると、そう思うのだそうだ。
She continued, "Teenagers thought they know everything in the world. They think themselves as the best woman in the world and they can ask for anything to their partners. It was just because they are young and cute that they are so poplar. They are still empty inside."
確かに、若い頃の方が、「こうじゃなきゃダメ」が多かった。逆に、コンプレックスも、この頃の方が多い。若い頃は、先天的な持ち物の、比率が大きい。親の庇護下にまだいるから、自分だけの持ち物が、みんな少ないからかもしれない。測ってる基準は極端に狭い。足が太いだけで、人生が終わったように感じてみたり、逆に、ちょっとしたものが、絶対的な価値があるように見えたり。でも、この時代の価値は、一生不動のものではない。若さは必ずみんなが失う財産でもある。
It is true that I have lots of "should be" things when younger. The youngers had lots of complex, too. They do not have much inside possesion from experiences yet, so they tend to judge what they have at that time and they are so limited. Appearance, possesion, and their own limited world rules and senses. They think their life is over just because of bold legs. Unfortunately it is destiny of everybody that the youth will disappear. The youth is beautiful, but it is not
more than a part of development.
年を重ねて、若さを懐かしむ気持ちはあるけど、戻りたいとは思わない。なぜなら、今の方が、楽だからだ。社会に出ると、自分が後天的に手に入れてきたもので、人生を形成し始める。それなりに、いろんな経験をして、まだまだ未熟で、まだまだ成長できる事を知る。その経験分の蓄積で、人とつき合う事が出来、人の役に立つ事が出来、人を愛する事が出来る事を知る。足が太いだけで、人生が終わらない事を、知る。同時に、相手に多くを求められない事を理解する。自分が「こんなもの」なのに、相手が完璧なはずがない。自分を知り、身の程を知り、等身大の相手を選ぶ。30代、40代の人間が理想を相手に求めるのは、「まだ、自分の身の程を知らないのかなあ」と思ってしまう。だいたい、頭で人を選んでるように感じる。現実的に譲れない部分はあるのかもしれないけれど、それが絶対に譲れないものじゃない限り、もっと受入れる事の方に集中した方が、大人な人付き合いだと思うが。
取材でアンチエイジング治療を受けてみて、「若々しく、元気に、健康でいる」という意味なら、いいものだと思った。でも、それが「年をとる事を拒否して」「若さにしがみつく」ことだとしたら、未熟な気がする。失うものの方に注目する事で、得ているものを見えてないなら、もったいないとも思う。そういう意味で、精神的にはアンチエイジングしちゃいけないな、と思った。やっぱり、ピーターパンは結婚できないからね。
Of course I missed the youngerhood sometime, but I do not want to go back. I am happier, now. After 20 something, we are in the society and we start to face on what we gain-what we study, what we experience, what we make effort. Now we know the bold legs did not kill our life. We can make our life richer by ourselves-We can make friends, we can do business, we can support somebody and we can love. We know we are still unmature and developing, that's why we accept who the others are. Anyway we ourselves are not perfect.
Anti aging is good as meaning of "keep young, healty energetic." But if it means "not accept getting old" it is the same as unmature. If we live on good life, we should be proud of being older.
2010年9月10日
神保町ブックハウス二人展 Exhibition information
ブックハウス神保町さんで、原画展をさせてもらうことになりました。
今度は、二人展、です。
9月23日(木)~10月5日(火)(水曜定休) 11am-6:30pm
こばやしゆかこ・にしむらかえ 絵本原画展
10月3日(日)14:00〜
こばやしさんワークショップ にしむらかえ読み聞かせ
楽しみです♪
I am having duo-exhibition at Jinbocho, Tokyo
Jinbocho is the center of book market in Japan. There are many old books and rare books shops. It is worth to check out.
Kae Nishimura/Yukako Kobayashi Exhibition
9/23-10-5
Book House Jinboucho
10/3 14:00
Book reading and workshop
今度は、二人展、です。
9月23日(木)~10月5日(火)(水曜定休) 11am-6:30pm
こばやしゆかこ・にしむらかえ 絵本原画展
10月3日(日)14:00〜
こばやしさんワークショップ にしむらかえ読み聞かせ
楽しみです♪
I am having duo-exhibition at Jinbocho, Tokyo
Jinbocho is the center of book market in Japan. There are many old books and rare books shops. It is worth to check out.
Kae Nishimura/Yukako Kobayashi Exhibition
9/23-10-5
Book House Jinboucho
10/3 14:00
Book reading and workshop
pencil case クマちゃんペンケース(アーティストバージョン)
筆記用具類の多い職業だと思う。ちょっと外に出るときでも、鉛筆とペン(油性と水性両方)と消しゴム、鉛筆削りがないと、困ることが多い。さらに言うなら、筆とペン軸とペン、ハサミにカッターに定規、軽く色の付けられる色鉛筆、色ペンも欲しい。が、思いついたままに、かばんに突っ込めば、収拾がつかなくなるし、かといって、市販のペンケースは、おしゃれなものは品の良い万年筆ともう一本ぐらいしか入らないし、でかいものは全く持って味気ない。だいたい、私のように鉛筆類をふつうのケースに突っ込むと、すごい勢いで汚れるのだ。ちゃんと、分別したい。ーということで、自分で作りました。
I carry much stationary with me. Pencils, pens(waterproof and non-waterproof), eraser, sharpner are fundamental. In addition, I need brush, dip-pen and pen top, cissars and cutter, scale and color pencil and pens,,,, It ends up the big mess in my bag. But usually the fashionable bland pen case is too small and hold only one Mon Blanc and one mark pen. Cheap big bag has no character. First of all, I put some pencils-it gets dirty. I need some organised structured pencase-then I made it.
このように、全部、きれいに収まる。つかいやすい!
Like this, I can put all what I need. Very handy!
丸めて携帯。まあ、少し大きいので、キャリアウーマンのカバンから出てきたら、びっくりかな。
Roll it up and carry. It might be too big for business woman's bag though.
I carry much stationary with me. Pencils, pens(waterproof and non-waterproof), eraser, sharpner are fundamental. In addition, I need brush, dip-pen and pen top, cissars and cutter, scale and color pencil and pens,,,, It ends up the big mess in my bag. But usually the fashionable bland pen case is too small and hold only one Mon Blanc and one mark pen. Cheap big bag has no character. First of all, I put some pencils-it gets dirty. I need some organised structured pencase-then I made it.
このように、全部、きれいに収まる。つかいやすい!
Like this, I can put all what I need. Very handy!
丸めて携帯。まあ、少し大きいので、キャリアウーマンのカバンから出てきたら、びっくりかな。
Roll it up and carry. It might be too big for business woman's bag though.
表は、クマちゃんを、白抜きしました。なかなか、広げたときの表側は披露しにくいので、隠れキャラみたいになっちゃいますが。
I put bear in white. It does not show because it is always hidden when they use.
2010年8月27日
anti-aging-Grandmother's life 長生きな生き方
アンチエイジング医療の体験ルポを引き受けた(婦人公論で10月に掲載予定。また、発売時期にお知らせします)ということで、今週は最新の予防医学を受けさせてもらい、「とにかく、健康にゆっくり年をとる、て大事だな」と感じさせられた。
I had assignment of report about latest anti-aging health care from woman magazine and I took two medical care for anti-aging.
年の取り方は、本当に個人差がある。まだ中年と言えるような年齢でも、体中にトラブルを抱えて、大変な人もいれば、90歳でもかくしゃくと、現役な人もいる。私の父方の祖母は99歳まで生きたのだが、その末の妹(80歳)に法事で会ったら、駆け足で車を追いかけて見送っていた。フットワークが軽い!沖縄の人は遺伝的に長生きが多いと言われるが、祖母の姉妹もみな長生きだった。年の取り方がゆっくりしていて、そもそものエネルギー量が違うのじゃないか、と見ていても思う。寿命って、遺伝である程度、決められてしまってるのだろうか?
As for age, I think the speed to get aged depends pretty much on individuals. Some middle age people get so much physical problem all over the body, on the other hand some 90 something people are still active. My grandmother in my father's side lived until 99. I met her youngest sister who was 80 at that time, and she ran after cars to see off everytime somebody left-very energetic and young. All my grandmother's sisters (they were 5 of them) live up over 90. I heard that people in Okinawa has gene to live long. Is the life length depending on our genes?
一方で、生活習慣も大きいのだと思う。祖母は、90を越えて倒れるまでは、現役で家事をこなしていた。今のように「適度な運動しなさい」とか、「これを食べろ、これを食べるな」などの科学的な知識が全くなかったので、特に何もしてなかったが、思い出すと、ゆっくり、マイペースで常に体を動かしていた。
It is also up to the way of life style. My grandmother done all house keeping all by herself until 90-she got heart attack. She did not know any scientific knowledge about "do proper exercise" "eat this, not eat that" things, but remembering of her, she always keep moving in her pace.
まめに、料理もしていた。私も小さな頃に、板間に座って、一緒に野菜の皮むきなんかをした記憶がある。庭の手入れもしていた。そして、疲れると昼寝をしていた。
She is cooking every day. I accompanied her to sit down on the kitchen floor and peel the vegetable skins. She kept garden nicely. Then she had nap when she felt tired.
広い家を、毎日、かたっぱしから床磨きをしていた。床掃除をすると私もびっくりするのだが、汗をかいて、あんがいいい運動になる。昔の人が丈夫だったのは、日々の生活で、筋肉を使い、足腰が丈夫になり、血流がよくなっていたからなのだろう。
She scrubbed the floor of house from this end to the other end every day. It is actually good exercise I notice. The reason why old time people are healthier is they use their muscles daily life, never allow their feet waken and keep their blood circulation normal.
予防医療の話を聞くと、ほとんどのものが、「血流をよくする」「冷えを治して、免疫をあげる」という基本のようだ。そのことによって、もともと持っている、人間の自然治癒力を高い状態に保ち、いろいろな病気に打ち勝っているのだ。高額な「アンチエイジング医療」を受けられる人は少ないと思うが、日々の生活で同じような効果を持つ暮らし方を心がければ、お金がかからないでアンチエイジングができる。そして、長生きだった祖母の時代の暮らし方は、結局、理想的だったのかな、と思った。日本人が昔、長生きだったのは、「不便だった」からなのかもしれない。クリニックの先生が言ってた一言が印象深い。「体は、使わない機能から、働かなくなっていく」ちょっとした、負担を体にかけ続ける事が、大事なのかもしれない。
Wherever I go to hear the anti-aging medicare, the doctors told me that the key word is "to keep blood circulation smooth" "to avoid low fever, activate the immune system. " As a result we
increase the natural ability to defeat every kinds of disease or virus. It is not easy for everybody to pay for the expensive anti-aging medication , but it is worth same to keep health by caring their own body in every day life for free. My grandmother's way of life is a kind of model for cheap long healthy life. It can be because they did not have much and their life was not convenient as ours. One doctor said the interesting things: "the function that people do not use is going to retard." It could be important to keep stressing on the body.
I had assignment of report about latest anti-aging health care from woman magazine and I took two medical care for anti-aging.
年の取り方は、本当に個人差がある。まだ中年と言えるような年齢でも、体中にトラブルを抱えて、大変な人もいれば、90歳でもかくしゃくと、現役な人もいる。私の父方の祖母は99歳まで生きたのだが、その末の妹(80歳)に法事で会ったら、駆け足で車を追いかけて見送っていた。フットワークが軽い!沖縄の人は遺伝的に長生きが多いと言われるが、祖母の姉妹もみな長生きだった。年の取り方がゆっくりしていて、そもそものエネルギー量が違うのじゃないか、と見ていても思う。寿命って、遺伝である程度、決められてしまってるのだろうか?
As for age, I think the speed to get aged depends pretty much on individuals. Some middle age people get so much physical problem all over the body, on the other hand some 90 something people are still active. My grandmother in my father's side lived until 99. I met her youngest sister who was 80 at that time, and she ran after cars to see off everytime somebody left-very energetic and young. All my grandmother's sisters (they were 5 of them) live up over 90. I heard that people in Okinawa has gene to live long. Is the life length depending on our genes?
一方で、生活習慣も大きいのだと思う。祖母は、90を越えて倒れるまでは、現役で家事をこなしていた。今のように「適度な運動しなさい」とか、「これを食べろ、これを食べるな」などの科学的な知識が全くなかったので、特に何もしてなかったが、思い出すと、ゆっくり、マイペースで常に体を動かしていた。
It is also up to the way of life style. My grandmother done all house keeping all by herself until 90-she got heart attack. She did not know any scientific knowledge about "do proper exercise" "eat this, not eat that" things, but remembering of her, she always keep moving in her pace.
まめに、料理もしていた。私も小さな頃に、板間に座って、一緒に野菜の皮むきなんかをした記憶がある。庭の手入れもしていた。そして、疲れると昼寝をしていた。
She is cooking every day. I accompanied her to sit down on the kitchen floor and peel the vegetable skins. She kept garden nicely. Then she had nap when she felt tired.
広い家を、毎日、かたっぱしから床磨きをしていた。床掃除をすると私もびっくりするのだが、汗をかいて、あんがいいい運動になる。昔の人が丈夫だったのは、日々の生活で、筋肉を使い、足腰が丈夫になり、血流がよくなっていたからなのだろう。
She scrubbed the floor of house from this end to the other end every day. It is actually good exercise I notice. The reason why old time people are healthier is they use their muscles daily life, never allow their feet waken and keep their blood circulation normal.
予防医療の話を聞くと、ほとんどのものが、「血流をよくする」「冷えを治して、免疫をあげる」という基本のようだ。そのことによって、もともと持っている、人間の自然治癒力を高い状態に保ち、いろいろな病気に打ち勝っているのだ。高額な「アンチエイジング医療」を受けられる人は少ないと思うが、日々の生活で同じような効果を持つ暮らし方を心がければ、お金がかからないでアンチエイジングができる。そして、長生きだった祖母の時代の暮らし方は、結局、理想的だったのかな、と思った。日本人が昔、長生きだったのは、「不便だった」からなのかもしれない。クリニックの先生が言ってた一言が印象深い。「体は、使わない機能から、働かなくなっていく」ちょっとした、負担を体にかけ続ける事が、大事なのかもしれない。
Wherever I go to hear the anti-aging medicare, the doctors told me that the key word is "to keep blood circulation smooth" "to avoid low fever, activate the immune system. " As a result we
increase the natural ability to defeat every kinds of disease or virus. It is not easy for everybody to pay for the expensive anti-aging medication , but it is worth same to keep health by caring their own body in every day life for free. My grandmother's way of life is a kind of model for cheap long healthy life. It can be because they did not have much and their life was not convenient as ours. One doctor said the interesting things: "the function that people do not use is going to retard." It could be important to keep stressing on the body.
2010年8月26日
swimming women アンチエイジングスイミング
ニューヨークに、アーティストビザで戻った後、近所のスポーツクラブの会員になった。その時、「水泳って体にいいんだなあ」と実感し た事があって、今も、「なにか運動を」と思うと、すぐ「泳がねば」と思う。
I used to smim in NY. At that time, I noticed how good exercise it is and I feel I shold swim when I thought about exercise all the time.
その頃、近所の「Sammyさん」というデザイナーをしている中国系アメリカ人女性と、親しくしていた。ある 日、彼女が、「私、何歳だと思う?」と聞いてきた。少しだけ年上かな、と思って、「35歳ぐらい?」と私が言うと、「私ね、50越えてるの」と答えが返っ てきた。びっくりした。若作りな年配女性はたまに知り合う事もあるし、きれいだなあ、と感心する事も多いが、なんとなく年齢はわかるものだ。(努力して若さをキープしてることは、尊敬する)だが、Sammyさんは、ほとんど化粧もせず、特に高そうなオシャレな服も着ていなかった。カジュアルにしているのに、肌のはりとか、ボディラインに、全く年齢がにじみ出てなかったのだ。よく見ると、髪の毛に白髪が少し混じっていたが、それでも年がいってるように見えないのだか ら、すごい!としか思えなかった。
彼女に秘訣を聞くと、「私、若い頃から、ずっと週に2、3回は泳いでるの。それだけかな あ。」と。特に私の目がとまったのは、彼女の足のきれいさだった。正直、美人というより、庶民派な顔立ちだったが、その足は、均整の取れたちょうどいい肉が全体について、締まる所はきれいに引き締まっていて、ミニスカートとサンダルが、とてもよく似合っていた。体型に気をつかってる年上女性でも、なんとなく筋っぽいもので、足というのも、年齢が出る場所だと思い込んでいたので、驚きだった。
女性は、顔周りを非常に気にするが、実は、全体の雰囲気で、男性は見てるようだ。足がきれいなのは、恋愛現役で居続けるための、Sammyさんの武器、という感じで、彼女と公園などで待ち合わせすると、ナンパされてて、話し込んでいた。Sammyさんの方も、セックスアンドシティのサマンサばりに、「男性ウェルカム」だったので、その次の週にバッタリ街で会うと、公園ナンパ男とデート中だったりして、「すごいなあ」という感じだった。
Sammyさんは、本当にサマンサばりの肉食系だったので、一緒に行った講演会の講師と、いつの間にかつき合ってたり、そういう自分の恋愛依存体質を悩んで通い始めたグループワークで、同じように恋愛依存症の男性に興味を持ったり(本末転倒)、とにかく、私生活がすごかった。一度、私が引っ越しをする時に、「盗まれないように、付き添ってあげる」と来てくれたのは嬉しかったのだけど、「うわ、この引っ越し業者、いい男ばっかり。うーん、彼はまだ20代ね。ちょっと若過ぎるから、かえにちょうどいいわ。私は、あの運転手のおじさんでも、いいかな。」と名刺をもらってたのは、閉口した。引っ越しの手伝いにきてくれたんじゃなかったの?と。そういう50歳になりたいかはともかくとして、水泳は、アンチエイジングに効果のある運動だという事は、頭にインプットされた。なにはともあれ、健康に、内面から、若さを保つのは、いいことだもんね。
I used to smim in NY. At that time, I noticed how good exercise it is and I feel I shold swim when I thought about exercise all the time.
その頃、近所の「Sammyさん」というデザイナーをしている中国系アメリカ人女性と、親しくしていた。ある 日、彼女が、「私、何歳だと思う?」と聞いてきた。少しだけ年上かな、と思って、「35歳ぐらい?」と私が言うと、「私ね、50越えてるの」と答えが返っ てきた。びっくりした。若作りな年配女性はたまに知り合う事もあるし、きれいだなあ、と感心する事も多いが、なんとなく年齢はわかるものだ。(努力して若さをキープしてることは、尊敬する)だが、Sammyさんは、ほとんど化粧もせず、特に高そうなオシャレな服も着ていなかった。カジュアルにしているのに、肌のはりとか、ボディラインに、全く年齢がにじみ出てなかったのだ。よく見ると、髪の毛に白髪が少し混じっていたが、それでも年がいってるように見えないのだか ら、すごい!としか思えなかった。
彼女に秘訣を聞くと、「私、若い頃から、ずっと週に2、3回は泳いでるの。それだけかな あ。」と。特に私の目がとまったのは、彼女の足のきれいさだった。正直、美人というより、庶民派な顔立ちだったが、その足は、均整の取れたちょうどいい肉が全体について、締まる所はきれいに引き締まっていて、ミニスカートとサンダルが、とてもよく似合っていた。体型に気をつかってる年上女性でも、なんとなく筋っぽいもので、足というのも、年齢が出る場所だと思い込んでいたので、驚きだった。
女性は、顔周りを非常に気にするが、実は、全体の雰囲気で、男性は見てるようだ。足がきれいなのは、恋愛現役で居続けるための、Sammyさんの武器、という感じで、彼女と公園などで待ち合わせすると、ナンパされてて、話し込んでいた。Sammyさんの方も、セックスアンドシティのサマンサばりに、「男性ウェルカム」だったので、その次の週にバッタリ街で会うと、公園ナンパ男とデート中だったりして、「すごいなあ」という感じだった。
Sammyさんは、本当にサマンサばりの肉食系だったので、一緒に行った講演会の講師と、いつの間にかつき合ってたり、そういう自分の恋愛依存体質を悩んで通い始めたグループワークで、同じように恋愛依存症の男性に興味を持ったり(本末転倒)、とにかく、私生活がすごかった。一度、私が引っ越しをする時に、「盗まれないように、付き添ってあげる」と来てくれたのは嬉しかったのだけど、「うわ、この引っ越し業者、いい男ばっかり。うーん、彼はまだ20代ね。ちょっと若過ぎるから、かえにちょうどいいわ。私は、あの運転手のおじさんでも、いいかな。」と名刺をもらってたのは、閉口した。引っ越しの手伝いにきてくれたんじゃなかったの?と。そういう50歳になりたいかはともかくとして、水泳は、アンチエイジングに効果のある運動だという事は、頭にインプットされた。なにはともあれ、健康に、内面から、若さを保つのは、いいことだもんね。
2010年8月25日
swimming 泳ぐ
4年ぶりに泳ぎ始めた。4年前にニューヨークで体調を崩すまでは、週に3回ほど1キロずつ流していて、体にいい運動だとも実感していたが、一たび体調を崩すと、強い塩素と、冷たい水はなかなか、体にきつい。4年もブランクがあるから、ゼーハーになって泳げないんじゃないかと思ったが、思ったより、平気で元に戻った。
I started to swim after 4 years blank. I had been swimming 3 times a week , 1 kilometer, until 4 years ago-when I was down psychically. Once I was down, the chemical and cold water was hard for me. I was afraid 4 years blank but I swam OK.
私は、残念なぐらい運動神経が悪い事に、大人になってから気づいた(ラッキーな事に、子供の頃は、気づかなかったのだ)。ただ、運動神経の鈍さを、根性と体力でカバーしてきたから、黙々と続ける事だけは得意なようで、泳ぐ、ただ走る、ただ歩き続ける、などの体力系のスポーツだけは、楽しむ事ができる。
I am not good at sport at all generally (Fortunately I did not notice it until I became adult) Technically I am terrible, but I have enegy to keep swimming, running and walking.
私が育った地方では、当時「部活はしなくてはいけない、小中学生の義務」ぐらいの雰囲気に囲まれていた。なので、8割ぐらいの子供は、運動系の部活に所属していた。とはいえ、子供の頃は遊んでる延長だから、「おや、私はがんばってるわりに、あんまり、上達しないなあ」ぐらいにしか思わず、運動神経の鈍さに気づかなかった(周りも、寛容だったのだろう)。が、昨年、友人主催の「バトミントン大会、男女混合ダブルス、トーナメント大会」に参加して、愕然とした。羽が相手コートまで飛ばない。目の前に飛んできた羽を空振りする。くじで私と当たってしまった、気の毒なパートナーに、申し訳なくて、がっくりだった。うすうす、自分は鈍いとは思っていたが、ゲームにならないぐらいだとすると、こういうイベントに参加するのも、気が重くなる。
In my hometown, they thought that kids had to do some sports after the class. It was still a part of playing and I did not take it seriously about my not development even after training. I noticed recently by joining badminton cup invited by my friend. I could not hit the shuttle and my shuttle did not reach the defender's coat. I felt sorry for my partner.
そういえば、ボーリングでも、100を越える事も、まれである。ボーリングなら、個人競技だから、一人で自滅していればいいんだけど、、、誰かが「ペアで戦おう」なんて、言ったらどうしよう、と怯えてしまう。せっかくのスペアのチャンスを、がっつりガーターまっすぐに投げ込んで、盛り下がる事、間違いないのだ。
I could not score over 100 in bowling. It is fine to do by my self, but if somebody said "Let's do group games" I will be so afraid to distroy the games.
大学時代に一度、ゴルフを、集団で体験したことがあった。開けた場所で、打ちっぱなしをしただけだけど、私のクラブには、ボールがかすりもしない。いつまでも、同じ場所で、素振りもどきを続ける自分に、「世の中には、こんなに難しいスポーツがあるのか」とすら思った。自分でも、これは、練習すれば上達する、ていうレベルのものではないな、、、という感触ぐらいはわかるのだ。
I played golf once. My club never hit the ball. I standed at one place to swing the club forever. "this is the hardest sports" I thougt. I could feel that I won't make progress after some training from this first trial.
とくに、ゲーム性のあるスポーツで、みんなと競争しなくちゃいけないのは、気が重い。負けず嫌いなのではなく、びりになるのはまったく構わないのだが、あまりにできないと、みんなが気を遣うし、盛り下がってしまう。申し訳なさに、落ち込むのだ。ということで、「ひたすら、泳ぐ」みたいな「ひたすら、、、」系は、多分唯一自分に向いているスポーツなんだと思う。泳げるぐらい健康になって、本当に、うれしい。
I feel scared to game sports. I am OK about being lost, but my being bad at sports destroy the atmosphere of people. For me, to keep doing forever such as swim forever, is the best sports. I am very happy to be fine to swim again.
I started to swim after 4 years blank. I had been swimming 3 times a week , 1 kilometer, until 4 years ago-when I was down psychically. Once I was down, the chemical and cold water was hard for me. I was afraid 4 years blank but I swam OK.
私は、残念なぐらい運動神経が悪い事に、大人になってから気づいた(ラッキーな事に、子供の頃は、気づかなかったのだ)。ただ、運動神経の鈍さを、根性と体力でカバーしてきたから、黙々と続ける事だけは得意なようで、泳ぐ、ただ走る、ただ歩き続ける、などの体力系のスポーツだけは、楽しむ事ができる。
I am not good at sport at all generally (Fortunately I did not notice it until I became adult) Technically I am terrible, but I have enegy to keep swimming, running and walking.
私が育った地方では、当時「部活はしなくてはいけない、小中学生の義務」ぐらいの雰囲気に囲まれていた。なので、8割ぐらいの子供は、運動系の部活に所属していた。とはいえ、子供の頃は遊んでる延長だから、「おや、私はがんばってるわりに、あんまり、上達しないなあ」ぐらいにしか思わず、運動神経の鈍さに気づかなかった(周りも、寛容だったのだろう)。が、昨年、友人主催の「バトミントン大会、男女混合ダブルス、トーナメント大会」に参加して、愕然とした。羽が相手コートまで飛ばない。目の前に飛んできた羽を空振りする。くじで私と当たってしまった、気の毒なパートナーに、申し訳なくて、がっくりだった。うすうす、自分は鈍いとは思っていたが、ゲームにならないぐらいだとすると、こういうイベントに参加するのも、気が重くなる。
In my hometown, they thought that kids had to do some sports after the class. It was still a part of playing and I did not take it seriously about my not development even after training. I noticed recently by joining badminton cup invited by my friend. I could not hit the shuttle and my shuttle did not reach the defender's coat. I felt sorry for my partner.
そういえば、ボーリングでも、100を越える事も、まれである。ボーリングなら、個人競技だから、一人で自滅していればいいんだけど、、、誰かが「ペアで戦おう」なんて、言ったらどうしよう、と怯えてしまう。せっかくのスペアのチャンスを、がっつりガーターまっすぐに投げ込んで、盛り下がる事、間違いないのだ。
I could not score over 100 in bowling. It is fine to do by my self, but if somebody said "Let's do group games" I will be so afraid to distroy the games.
大学時代に一度、ゴルフを、集団で体験したことがあった。開けた場所で、打ちっぱなしをしただけだけど、私のクラブには、ボールがかすりもしない。いつまでも、同じ場所で、素振りもどきを続ける自分に、「世の中には、こんなに難しいスポーツがあるのか」とすら思った。自分でも、これは、練習すれば上達する、ていうレベルのものではないな、、、という感触ぐらいはわかるのだ。
I played golf once. My club never hit the ball. I standed at one place to swing the club forever. "this is the hardest sports" I thougt. I could feel that I won't make progress after some training from this first trial.
とくに、ゲーム性のあるスポーツで、みんなと競争しなくちゃいけないのは、気が重い。負けず嫌いなのではなく、びりになるのはまったく構わないのだが、あまりにできないと、みんなが気を遣うし、盛り下がってしまう。申し訳なさに、落ち込むのだ。ということで、「ひたすら、泳ぐ」みたいな「ひたすら、、、」系は、多分唯一自分に向いているスポーツなんだと思う。泳げるぐらい健康になって、本当に、うれしい。
I feel scared to game sports. I am OK about being lost, but my being bad at sports destroy the atmosphere of people. For me, to keep doing forever such as swim forever, is the best sports. I am very happy to be fine to swim again.
2010年8月23日
40
相方さんが40歳になった。「人生の半分は過ぎちゃった、、、」と、40と言う数字に過敏に反応しているが、長寿一族の西村家の観点からすると、「100歳まで生きるのなら、半分も行ってない」である。無頓着な私は、「40」と大きく書いた誕生日カードと、40(フォーティーン)という本をプレゼントした。若干複雑そうな顔をしていたが、それでも、お誕生日って、祝ってなんぼ。やっぱり、いくつになっても、めでたいことであり続けたいなあ、と思う。
My partner had his 40th birthday. "I already spent half of my life,,," he said and he dislike to hear the number 40. For me-a member of long life family, 40 is not the middle of the life and gave him the card marked big 40 and the novel titled "40" He showed his complicated thank you face. Anyway, birthday is always good things even we got older.
手作り文庫カバー。この中身が、石田衣良の「40」である。
present1, book cover and book titled "40"
手作り、クマちゃんTシャツ。40になっても、着てもらいます。気の毒?
present2. T-shirts wih bear. Can 40 year-old man wear this? Sorry!
My partner had his 40th birthday. "I already spent half of my life,,," he said and he dislike to hear the number 40. For me-a member of long life family, 40 is not the middle of the life and gave him the card marked big 40 and the novel titled "40" He showed his complicated thank you face. Anyway, birthday is always good things even we got older.
手作り文庫カバー。この中身が、石田衣良の「40」である。
present1, book cover and book titled "40"
手作り、クマちゃんTシャツ。40になっても、着てもらいます。気の毒?
present2. T-shirts wih bear. Can 40 year-old man wear this? Sorry!
待ち受け画面にしていたお気に入りの猫(?)をうちわにしました。
fan with his favorite? cat from his cellphone image.
2010年8月18日
book cover ブックカバー
ずっと、ミシンが欲しかった。迷いに迷って、1年間あちこちで試し縫いをして、先日、とうとう虎の子をはたいて、買ってしまった。ハクスバーナ社のエメラルドちゃん。これで、いろんな家の中のものも手作りするのだ。おしゃれで高価な、ブランドのインテリアでこだわって揃えるのは無理だけど、ニトリとかアイキアの、あきらかに量販店のものだけで家の中を全部揃えていくことは、考えただけで気がめいる。コタツカバーも、ソファーカバーも、ひざ掛けも、クッションカバーも、自分で縫ってしまえば、(いまどき、安売り量販より安く上げることは無理だけど)、自分なりのこだわりの生活ができる。
せっかくなので、オリジナルグッズも作ろう!と、ブックカバーを試作してみた。作ってみると、シンプルに布処理する方法を考えるだけでも、一苦労。まだ、改善の余地だらけ。
I finally bought a sawing machine. I have wanted one for a long time and for a year I was looking around, trying many in various shops. This brings me the life surrounded by what I like. Economically it is impossible for me to purchase whatever I like for my interior such as designer's bland products, but I would be so unhappy if I bought all the interior from cheap discount shops. If I handmade the sofa cover, cushion cover, table clothes and so on, I can keep my original fashionable life(I cannot say it is cheaper than discount shop. They are too cheap now).
I can make original goods, too. First, I tried to make book cover.
ラブリー、エメラルドちゃん。
my lovely sawing machine.
文庫本カバー。裏はこんな感じ。
small book cover. I put different clothing inside.
ドードー鳥です。
My loving dodo patern.
こっちは、新書カバー。
a bit bigger cover.
せっかくなので、オリジナルグッズも作ろう!と、ブックカバーを試作してみた。作ってみると、シンプルに布処理する方法を考えるだけでも、一苦労。まだ、改善の余地だらけ。
I finally bought a sawing machine. I have wanted one for a long time and for a year I was looking around, trying many in various shops. This brings me the life surrounded by what I like. Economically it is impossible for me to purchase whatever I like for my interior such as designer's bland products, but I would be so unhappy if I bought all the interior from cheap discount shops. If I handmade the sofa cover, cushion cover, table clothes and so on, I can keep my original fashionable life(I cannot say it is cheaper than discount shop. They are too cheap now).
I can make original goods, too. First, I tried to make book cover.
ラブリー、エメラルドちゃん。
my lovely sawing machine.
文庫本カバー。裏はこんな感じ。
small book cover. I put different clothing inside.
ドードー鳥です。
My loving dodo patern.
こっちは、新書カバー。
a bit bigger cover.
新書の固さをやわらげ(過ぎ?)てくれる、うさちゃん、くまちゃん柄です。
too cute? bear and rabbit patern.
登録:
投稿 (Atom)