24日、36歳になった。先日の体験ルポで、読者年齢に合わせて、「アラフォー」という言葉を自分に使うように頼まれた時、とてもショックだったが、実際、アラフォーなのでもある。(しかし、44歳と35歳が同じ囲いに入るのは、複雑な気分)まあ、これからも、自分をアラフォーなんて呼ぶつもりはないので(だいたい、アラサーの時だって、呼ばなかった)関係ないっか。
I became 36 years old on 9/24. I was called "around 40" in Japan. I am not happy about that since it includes 44 and 35 into same pocket.
とにかく、誕生日だったので、バースデー割でアリエッティを観に行った。吉祥寺の映画館では、誕生日月は1000円で、付き添い一人まで1000円で見られる。
Anyway, it was my birthday and I got birthday discount for movies in my neighbor. So I went to see Ariettie, living on what was borrowed.
アリエッティの原作は、イギリスの児童文学「床の下の小人。」映画では、この舞台を、日本の東京郊外と思われる古い洋館に移している。「借り暮らし」って、耳心地のいい言葉だけど、実際にお手伝いのおばさんに「泥棒小人」と呼ばれてたように、必要なものを人間からちょっと泥棒、して暮らしている。でも、考えてみると、人間がこの世に産まれて、地球で暮らしている時、それは、すべて借り暮らし、してるとも言えるのかも、と思えてきた。所有してる、と思い込んでいるけど、それがいったい誰のものであるのか、いつ誰が決めたんだろう?他の動物や、自然界から見てみれば、勝手な言い分。正当(この世の中のルールでは)と言われる手段で所有していたとしても、自分が生きていくのに必要なもの以上を、どん欲に所有しようとしている事こそ、泥棒なのかもしれない。何件もの不動産、投資目的で買われる美術品、金銭ゲームで生み出す利益など。
少しの持ち物は、人を幸せにしてくれると思う。自分の好きな色のカバンを手に入れて、特別な日には、「この服を着よう」と思ったり、ステキなポットでお茶を入れたり、住んでいる家を心地よく改造していったり、、、アリエッティ達の生活は、とても色鮮やかで、豊かだった。そうした生活のお気に入り、を失って、愛した場所から追いやられて行く事は、とても悲しい。時代も変化し、私達は、生き方自体を見直している時期ではないだろうか。生活レベルで豊かになる事と、力任せに財産を手に入れて、膨張して行く事は別。国レベルでも、同じ事のように思う。目指す所がどん欲なだけでは、幸せになれないと思う。
Ariettie's original story comes from English children's story, "the Borrowers." In this movie, the director brought the place to modern Tokyo superb. They said that they live on what they borrowed, but actually they steel from human beings. But I started to wonder who decide what belongs to whom. It is only human being's rule. All the creatures are living on what are borrowed from the nature and survive and finish their lives. Even we gain in legal ways, if it is more than what we need, is it really right things to do? Things makes our life richer and colorful-favorite color bag, dress only for special occasions, and beautiful pot for special tea-Ariettie's family made up their colorful life under the floor. It must be so painful to be forced to leave to give up their precious life. It happened to lots of people through the history in the term of war or conflicts. The wealthy life is not meaning the expanding their possession as much as possible by power.
2 件のコメント:
この間、僕も一つ歳をとりました。
みんな、若造ばっかりなので”年寄り~~”って呼ばれて”お前らより仕事してるぞ”って言い返しましたが…
何はともあれ、おめでとうございます。以前の歳をとることは、自分を知ることだ、って言うお話、ありがたく読ませていただきました。
料理人は一生、殺生を仕事にしていくのだから、釣りとか生き物の命を奪う趣味は持ってはいけない。というお言葉を頂いたことがあります。丸で来た魚とか、鶏とか、ウサギとかまぁ掃除するわけで、どんな生活をしていたんだろうと思ってしまいます。忙しい時は、それどころじゃないですが。
命の一つ一つが、次に繋げて行く為にあるわ
けですよね。
旬って言うのは、大体その次につなげるための力を一番蓄えた時なのだと思います。
現代では、技術の発達で(特に日本では)いい状態の肉や魚が手に入りますが、たった30年40年前までは、その命をありがたく頂いて、”初物は寿命が3年延びる”といっていた時代があったはずです。
いい意味で、昔に戻れたらいいなといつも思っております。イタリアにはそういう環境がまだあるのでホッとします。それだけじゃないですが…
ちょっとした工夫で、生活は豊かになると思います。気のおけない仲間たちと、ちょっとしたおしゃれをして食事に行ったりとか、一人で外出する時のためのお気に入りの場所をとっておいたりとか。
日々を、ありがたく受け取って暮らしていこうと思いました。
とにかく、おめでとうございます。
剛さん、
こちらからも、お誕生日、おめでとうございます。
料理人のお話、とっても興味深く読ませていただきました。そういえば、以前、漁師さんが、自分たちが奪った命に対して慰霊を捧げる神社がある、という話しを聞いた事があります。あと、庭師さんは、緑を摘むから、植物の命を尊ぶ習慣があり、お針子さんは、傷んだ針を慰霊する習慣があったそうで、職業人は、常にその自分の暮らしを立ててくれる命や、ものに、感謝と尊敬の気持ちがあったんだと思いました。
命を感じる事が減る生活になりました。パックで売られてる切り身のお肉を見て、豚だと感じる事はありません。そういう生活をしていると、その切り身が切り身の値段だけにしか感じられず、平気で買い過ぎて、捨ててしまう事が出来てしまいます。殺生だと感じれば、必要な分だけ買って、きちんと食べきれるはずですよね。パック売りの生活だからこそ、本当に、気をつけないと行けないのだと思います。そういう意味で、たまにはちょっとグロいものが置いてある肉屋さんに行った方が、身が引き締まるのかも、、、
経済が少し破綻して、今のようになんでも手に入る時代じゃなくなった時、どうなるんだろう?と人と話す事があります。でも、「ただ、昔の生活に戻るんじゃない?」「自給自足に近づいて、贅沢は出来ないけど、小さな畑耕して、細々生活して、、、」その話しをしていると、「もしかして、なんとかやっていける?」「いい部分もあるかも?」とも。今は少し、命と人間の間に距離が出来過ぎてるのかも、しれませんね。鈍っているから、余計にものがあふれていないと、豊かだと感じられないの、と思い込んでいるのかも。ものの命に鈍いから、人の命にも無頓着になる。いい意味で、昔に戻れたらいいな、て思う気持ち、なんだか、わかります。
お互い、今年も1年、かっこよく、豊かに年をとりましょう!
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