うちの娘は、去年、学校を2ヶ月、休んだ。いろいろあって、だんだん様子がおかしくなっても、最後まで本人は、「負けたくない」と、行こうとしていた。
低学年だったので、まだ親との関係が近く、気持ちをわたしに伝えてくれた。だから、SOSをつかむことができて、親が、学校を休ませる判断をした。
その後、2ヶ月、家にいた。ひたすら本を読んでいた。わたしは家で仕事をして、その間ずっと、となりに座っていた。
今は、転校した学校に通っている。すべて順調とはいかないかもしれないけど、勉強は楽しいと言っている。好きなことは、楽しいし、苦手なことは、気が重い。そんな生活だ。
思い返すと、学校へ行こうとしている娘を止めるのは、簡単なことではなかった。最後まで、休みたいとは言わなかったし、外では、元気に振る舞い続けた。どんなに、心が疲れてしまっていても、それを自分自身で気づくのは、難しい。
人生の中で、ちょっと休むことなんて、じつは、よくあることだ。わたしも、数週間単位で高校を休んだことがあるし、大人になってからも、寝込んで、療養してた時期が何度かある。
社会には、いろんな生き辛さが存在している。それを避けて、通れたらいいんだけど、だいたいの人は、どこかの時点で、どれかにぶつかる。子どもに、その不条理がふりかからないといいな、と思うけれど、残念ながら、結構かかる。子どもの社会だからこその、閉鎖性や未熟さも加わって、深刻なことだってある。
難しい局面を、大人だって、乗り切ることは難しい。子どもが自力で、乗り越えることは、とてもとても、難しい。
大人が気づいて、環境を整備してあげることができたら、いいのかもしれないけど、大人が全部に気づくとも限らないし、大人が解決できるとも限らない。大人が原因のこともある。最悪な環境が、まったく改善されない状態が続くことだって、ある。
だから、休む、という選択肢は、常に、あっていいと思う。
9月1日。一応、「休んでもいいからね」と声をかけた。特に、思い当たる理由もなかったけど、言うだけ、言ってみた。
「は?ママは、すぐ、そうやって、適当なんだから」と怒られた。
でも、いつか、そういう場面が来たら、気軽に休んでもらえたらな、と思う。