2021年8月25日

今日中に、自由研究、終わらせるんだあ(泣) Ninja study

 

She studied about Ninja and did experiment of color of their outfit.
 すべてのプリント類を終わらせ、あとは、自由研究のみ。「今日、終わらせる!」と意気込むナノカ。

 しかし、まとめるという作業。そんなに簡単なものじゃない。午前中いっぱいを使っても、まだ下書きすら、終わらない。 

 12時を過ぎたので、お昼休憩を取ろうとすると、「イヤだ」「終わらせる!」「お腹すいてない!」とベソベソ泣く。あと30分で終わるのなら、それもアリだけど、まだ半分ぐらい。午後、仕切り直そうよ。「イヤだ!」

ブチンっ(母の、堪忍袋の緒が切れる音)

 「手伝ってるママにだって、休憩が必要です。イヤです。続けたいのなら、勝手に一人で続けてください。」

ワーーーーーーーーーーン

30分ぐらい、号泣して、大騒ぎして、ようやく、お昼にありついた。やれやれ。

 しかしながら、自由研究って、子どもだけで、できるものなのだろうか?やりたいことを調べて、疑問を洗い出し、それを実験や観察で明らかにして、結果をまとめて、考察していく。高度だよなあ、、、

 悲喜こもごもの夏休みの宿題も、最終章を迎えた。涙を流す姿に、「ここまでする必要あるか?」とも思ったし、「親がこんなに駆り出されていいのか?」とも思ったけど、満足そうに出来上がりを見ている姿を見ると、時間をかけてやり遂げることは、本人も望んでないこともないのかな、とも思える。どうやって、モヤっとした疑問を解決していくのか、過程を体験してみた、というところか。

 宿題に関しても、たしかに、人生には、締め切りまでに課題を終わらせないといけない場面は、たびたびある訳で、これも、人生の1レッスンなのかもしれない。なににせよ、おつかれサマー。これで、あと1週間は、完璧なる解放か。

2021年8月24日

バースデーろうそく実験 Candle Study

 相方の誕生日当日は、わたしの記者発表日だったため、バタバタで、なにも、できず、、、週末も忙しくて焼けなかったケーキを、月曜日にナノカと焼いた。

ケーキは焼けたが、キャンドルがないことに気づく。買い物に制限がある、超のつく田舎に住むわが家。まさか、バースデーパーソンに買い物を頼むわけにもいかず、先日、わたしが絵を描いた和蝋燭をケーキに刺して、ハッピーバースデーを歌った。結構な絵面だったが、キャンドルのないバースデーケーキでは、願い事ができないからね。

和蝋燭は、芯が太く、真ん中に穴が空いているため、非常に大きな炎ができる。一方、一袋いくらのティーキャンドルって、1回使うと芯が小さくなって、蝋がまだあるのに、火が小さくなって、使えなくなるけど、どうにかならないだろうか。

 「芯って、どうなってるの?」と聞くナノカに、和紙でできるんじゃない?という話になって、竹ひごに紙を巻きつけて、蝋に浸して、火をつけてみた。

でか!

 ただの紙であったのなら、火をつけてすぐに燃えて終わってしまうであろうに、蝋に浸した紙は、この大きな炎を維持したまま、ずっと燃え続けた。電気を消してみると、1つの炎で、お互いの顔がしっかりと見えるほど、明るかった。平安時代とか、炎しかなかった時代の夜は、こんな感じであったのだろうか。

 その後、それぞれ紙をよって、火をつけ、テーブルの上の火遊びは、しばらく続いた。 そのうち、紙に蝋を何度も浸して、ろうそくを作り始めたが、すぐには冷えず、なかなか大きくならない。すると、相方が保冷剤を出してきた。保冷剤の上に乗せると、蝋はすぐに固まり、また溶けた蝋に浸すことができ、ろうそくは一気に太っていった。

 その蝋の塊を見てナノカが、「地球の表面は固まっているけど、中が溶けたままなのは、なんでだろう」と言いだした。「あれって、重力の圧縮で、熱があるんだっけ?」と私が言うと、「じゃあ、冷えて固まるのは、外が寒いから?」「宇宙は、寒いんだよ」という話になった。地球や宇宙の話は、自信がない。

 「科学や実験はたのしい」とナノカは言う。「ふしぎに思ったら、なんだって、自分の予想を立てたらいいし、やってみたらいいんだよ」と言うと、「ナノカ、医学に興味がある」と言いだした。医学!

 「え、ナノちゃん、お医者さんに興味があるの?」「違うよ。わたし、お医者さんは、ムリ。」

 よく聞くと、人の体と薬草とかの関係に興味があるとのこと。忍者の研究の続きかな。さすがに医学は初耳で、びっくりした。

 のびやかな好奇心。くったくのない想像力。こどもにとって、日常はふしぎにあふれていて、「やってみたい!」「すごい!」「おもしろい!」の連続。これが、いったいどこへ行くのかは、だれにもわからないことだけど、このままワクワク生きていけるのなら、どんな方向にいっても、きっとしあわせだね。

2021年8月19日

かんころの島紀行7月号 Goto article July

 8月1日付のカンコロの島紀行です。

8月3日、「かんころもちと教会の島」が刊行される前のタイミングで記事を出せることになったので、絵本の話を中心に書くことにした。

 そもそも、なぜ、かんころもちの絵本を書こうと思ったのか。どういう出会いだったのか。どういう4年間だったのか。

 4年の間に、あまりに色々あって、かんころ餅を取り巻く環境も変わっていったし、世界の情勢も変わったし、わたしの気持ちも変化していった。だから、最初、どうして、かんころ餅に興味を持たれたのですか?と言われて、すこし、考えてしまう。

 当時、NHKのえいごであそぼ、の仕事が終わったばかりだった。テレビの仕事は、多くの人に見てもらえて、新しい経験で、とても新鮮だった反面、週ごとに締め切りが来て、時間に追われ、作品も時と一緒に流れていってしまうことに、寂しさを感じてもいた。次にやる仕事は、残る仕事がいいなあ。久々に、しっかり絵本を描きたいなあ、と思っていた。

 しかし、出版不況で絵本は売れないのに、世界に絵本はあふれていた。本屋さんに並ぶ絵本を見ていると、「今さら、自分が1冊増やす意味って、なんなのだろう?」と考えてしまった。

この中で描くからには、「わたし」にしかできない、意味のある絵本にしたい。

 そんな時、かんころ餅の話を聞いて、島を訪れて、人に会い、ミサに参加して、カンコロの棚を見て、という機会があった。「これは、他にはない文化だ」「まだ、あるうちに記録しないといけない」「多くの人に知ってもらいたい」という使命を感じた。これが、わたしの次の仕事じゃないだろうか。

 だれかに頼まれたわけでもなく、自分が勝手に感じた使命感を形にするのは、難しい。ない仕事を作り出して、人を納得させて、形にしていかなきゃいけない。さまざまな場でアピールしてみたが、辛辣な言葉が返ってきたこともあったし、まったく相手にされないこともあった。わたしは、うまい宣伝マンではないのだろう。

 そんな中、同じ気持ちを共有して、並走してくれたのが、草加家の高木社長であり、建築士の高橋さんだった。彼らは、かんころもちの背景にある文化について、造詣が深く、そして、絵本としてそのことを伝える意味を、理解し、応援し続けてくれた。

 いろんな絵本があふれてる中に、一冊増えただけ。見る人によっては、そうかもしれない。

それでも、これは、出したかった1冊。「わたし」にしかできない絵本になったのではないかな、と思う。

2021年8月18日

世話好き Caring person

"I am tired. I'll have a rest."
"Mommy, hold your head(put the pillow underneath and put blanket over)"

She is reading Ann's handmade book.

"Nanoka is reading the book of various delicious food." "I will tell you I am not going to make anything today."

"If you follow the book, you can make good sweets." "I said that I was not making!" at the end, she made orange jello.

昨日、取材が来た。

さまざまなものが、家中のあちらこちらに散乱しているので、片付け始めたら、大掃除になってしまった。つかれた、、、が、結果、さまざまなことが、整理できて、スッキリした。

ナノカは、取材中、なぜか席に座って、漫画を読みながら、自分で作ったゼリーを出したり、かんころ餅を焼いて出したり、秘書のように働いてくれた。

取材が帰ると、取材中に出た世間話について、しっかり聞き取ってコメントしてきた。秘書は、あなどれないな、と思った。

2021年8月17日

根気よく Patient Painter

 



「終わらない」と泣いた宿題だったが、9日が休校になってしまったことで、新たなプリント類が来なくなり、一気に進んだ。

 絵は、いくつかのテーマから選ぶことができて、なのかは、「海とさかな」コンクールの作品にした。こういうテーマは、小さな「サカナ君」みたいなマニアがいっぱいいるから、激戦区だろうなあと思ったが、これも、ご本人が選ぶこと。なのかは、生き物マニアではないが、生き物の絵を描くのが好きなのだ。

 描きたい魚を図鑑から選んで、大きさの比率を揃えながら、生息地に合わせて配置していく。捕食者が現れて、それぞれの隠れ家に隠れようとしている所だ。

 リトルアーティストの時は、なのかの絵にほとんど口出しもしないのだが、今回は「ママ、ここ、どうしたらいいかな?」と、すごくアドバイスを求めてきた。ものすごく慎重に、細かく、描くことを選び、結局、2時間ずつ、魚、隠れ家、影や波の模様など、と3日間に分けて、完成させた。

 早く、終わらせたい気持ちを抑えて、少しずつ、根気よく、仕上げた。とても、満足そうだった。

2021年8月14日

イトウのセカイ リターンズ Family money game

昨日の午前2時、携帯が鳴って、緊急安全確保が東彼杵町に発令された。 

わが家は、川の脇だが、かさ上げされた土地に建っているので、下手に動くより、家にいる方が安全だ。せっかくのお盆休みだが、家に閉じ込められた状態。でも、安全が確保できていることに感謝する。

 さて、こんなお休みの日、ナノカが、「イトウの取り引きがしたい」と言い出した。 わが家には、家族内通貨、イトウが存在する。 

https://kaenishimura.blogspot.com/2020/09/kingdom-ito-game.html 

https://kaenishimura.blogspot.com/2020/09/tea-time-at-ito-kingdom.html

今回は、こんなラインナップとなった。

わたし:グラタンセット5いとう おえかきワークショップ2いとう 講演会10いとう Mom:Gratin set 5ito, Art workshop 2ito, Great author's speech 10ito

相方:布団準備券1いとう マッサージ券10分3いとう 読み聞かせ券各種2いとう4いとう Dad:Making bed 1ito, Massage 10 minutes 3ito, Reading book, 2ito, 4ito,

なのか:おやつけん5いとう お茶いれるよけん2いとう かたもみけん2いとうNanoka:Snack 5ito, Tea 2ito, Massage 2ito

 だいたい、チケットは売れることが前提なのだが、講演会は買われないよう、高額いとうに設定した。最終的に、ナノカが想定より、いとうを所持してて、最後講演会チケットを、買うか迷ってて、ドキドキした。

コロナも大雨も重なり、自宅で待機のお盆休みの人も多いと思う。みなさんも、こんな過ごし方は、いかがでしょうか。

2021年8月13日

宿題パニック panic on assignments

"Mommy, I want to use computer. I want to look up something." "Wait a minutes"
"This is not and that is different from what I want. I cannot find how to make the Ninja clothings!"

"Here you are. This is pattern for Ninja clothings."

She burst to cry saying, "This is not. I cannot finish assignments..."

"See, you just two assignments from them. How about calligraphy? You can just spend one or two hours""I cannot finish!"

 ナノカの夏休みの宿題は、プリント類以外は、渡された表の中から、2つ課題をやっていく、というもの。絵、作文、習字類なのだが、自由研究でもいいらしい。ナノカは、1つ目は自由研究を選んだ。テーマは忍者だ。

 当初、うれしそうに忍者の本を書き写していたが、自由研究として、「服を作る!」と決めた。最初にそれを聞いた時、「ああ、面倒なことを、選んだなあ」と思ったが、当人がそう決めたのだから、仕方ないな、と思っていた。

 プリント類が終わったナノカは、課題も終わらせようと、忍者の服をパソコンで調べ始め、突然、泣き出した。

 型紙や、工程をちょっと見て、簡単に終わる代物じゃないことが、わかったのだ。いくら調べても、都合の良い、簡単にできる服が出てこない。逃げ場がなくなって、パニックになった。

 「手伝うよ?」と言っても、「終わらない」と言って泣くので、「べつに、他にもっと楽な宿題あるじゃん。テキトーにやればいいじゃん」というアドバイスをしてみたが、ずっと泣き続ける。「服にこだわらなくても、いいんじゃないの?」と話して、気持ちが落ち着いたら、また、話そうと立ち去った。

 1時間後、泣き止んだナノカと、結局、服作りから離れて、忍者の実験をすることになった。

  ナノカは、時々、自分で自分に課した課題でパニックになることがある。残念ながら、わたしに、似ている。この性格で生きていくためには、一つ一つ、整理して、落ち着いて、問題を解決していくことを身につけないといけない。

 あんまり泣くので、わたしもきつく言ってしまい、どうなのかな?と思ったけど、落ち着いたら、ケロッと、「ママがいたから、パニックが収まった」「ありがとう」とのこと。そして、生き生きと、忍者の実験を始めた。

もう少し、お手伝いが必要なんだな、と思った。 

2021年8月12日

売れる本 Good sale book

"Mommy, I love Yoshitake's work. I want to write the story like him." "I see"

"I want to write good sale book like his" "...."

"I am not saying that I dislike Mommy's books. You are good as you are

"It is just my opinion. I just want to write the book like him selling well!" "OK.Nano, you do not have to explain more..."

"Be a author and earn the million" 買っちゃった、、、

ナノカは、どうやら、文筆業に興味があるようだ。

 これだけ本を読むのだから、そりゃ、そう思うだろうなあ、と思う。大村の図書館ができて、一回に一人50冊まで借りられるようになって、読書量はさらに増えて、月100冊は軽く、超えていると思う。

 読者として、忌憚なき意見を言わせると、まあまあ手強い存在になりつつある。

 さて、「売れる」かどうかは、わたし達にとっては、非常にセンシティブな問題である。商品である以上、売れることが、経済的なメリットをさまざまな関係者にもたらす。売れたらいいなあ、と常に思っている。

 しかし、じゃあ、売れる本を作ることが善かというと、そこも、難しい。売れてる本が、決して、善であるとも言えないからだ。商品としては、売れるものが正解なのだけど、文化的には、いつも答えが、売高に比例するわけじゃない。そこに、葛藤がある。

 とはいえ、売れないでいることも、善ではない。

 なんだか、娘にそれを指摘されたようで、苦笑するしかなかった。

 まあ、でも、今回は、意義のある本を書けたと思う。先日、わたしは、その意義について、家族内で、必死にプレゼンしたが、おおよその同意が(家族内で)得られたと思う。

2021年8月10日

出版あいさつ旅行 Goto trip

江袋の教会脇に復活した芋畑

江袋の交流センター

旧鯛ノ浦教会

被曝レンガ

8月3日、「かんころもちと教会の島」が出版されました。

思い立って、出版日当日、一泊二日で上五島に行くことにしました。

 協力してくれた方々に、1冊ずつ、手渡しながら、回る旅です。ほんの数分、顔を見て、絵本を手渡し、よかったね!と声を掛け合って、 別れる。その繰り返しでしたが、手渡しができて、本当によかったです。集落の人が喜ぶ姿を見て、ホッとしました。

 江袋には、交流センターが新しくできていました。かんころ餅の展示がされていて、トイレもありました。

 鯛ノ浦の修道院で、シスターに、ご挨拶に行きました。旧鯛ノ浦の教会は、被ばくレンガが使われています。建物が、所々、傷んだところがあって、きっと修復がここも、必要なのだろうなあ、と思いました。

 絵本にも出てきた赤波江教会も、近く、閉じるかもしれないとの話を聞きました。現実的に、過疎化の波は寄せてきているのを、感じました。

 同時に、2代目花野果さんは、新しい工場兼カフェをがんばって運営している様子も見てこれました。

 改善されていくこと。縮小していくこと。消えゆくもの。復活するもの。新しく入ってくるもの。

  島は、現実です。感傷的なお話ではありません。積み重ねている毎日が、そのまま、お話なのです。

 その後、実家の片付けに、強行スケジュールで片道15時間以上車中往復をして戻ってきました。翌8月9日は、長崎の原爆記念日。台風の影響で、ナノカの平和学習の発表は休校になってしまいましたが、家族で、テレビで式典を見て、黙祷をしました。

  わたしは、リアリストでありたいと思います。理想は理想で必要なことだけど、その高さにこだわると、絶望で、一歩も動けなくなる。シスターも、「現実を受け入れて、今、できることを楽しむようにし、がんばって生きていきましょう」と声をかけてくださいました。

 現実から目を背けて、一歩目を歩まないでいる限り、きっと、世の中は好転していくことはない。悲観主義も楽観主義も、動かなければ、一緒のこと。平和は、信じる人たちによってしか、成し得ないのだと思います。

 現実に向き合うことは、すこしばかりの、心の強さが必要だと思います。子どもが、その辛さと戦っている姿を、時折、見かけます。すこし、背中を押して、支えてやる。毎日、現実を一歩ずつ歩める助けをする。そのことで、わたしたちも、強さを持って、がんばって生きていくことを、また学んでいる気がします。

 島の人たちに久しぶりに会って、そんなことを、思いました。