2020年10月16日

おと、いろ、におい sound, vision, smell

今朝、おじさんが、鎌をナノカに見せながら、「手伝うか?」と聞いてきた。「学校行くより、勉強になるぞ!」と言われた。真をついているかも?

 先日、ヒマラヤ聖者の暮らし方の本を、チラ見した。そこに、体を健全に保つ方法が書いてあった。

「必要なだけ食べる」「怒りに身を任せない」など、 そうだろうなあ、ということも書いてあったけど、気になったのは、「体によい音を聞き、ものを見て、においを嗅ぐ」という話だった。

体によい、とは、自然界にある音が基本。人間は動物なので、人工音は、基本、リラックスする音ではないのだそう。

都市生活は、人工的な音であふれ、私たちは、その音に慣れてしまっている。車の音、工事の音、隣の家のエアコンの室外機、掃除機、テレビ、マンションのエレベーター。電子音に、エンジン音。頭で、それらの音の元がなにかと理解できているから、一々、あ、車が走ってるなあとか、エレベーターが下におります、など考えず、受け流すことができる。

でも、意識下では、それらの音は、生き物としての私たちに、どこかで緊張を強いている。

ここに引っ越してきて、最初にとまどったのは、この家が「無音」であることだ。天井が高い、田舎の一軒家は、ガラーンと静けさに包まれていた。自分の声がみょうに響く。

しばらくして、慣れてくると、鳥の声、川の流れる音、などが聞こえた。いかに、音の雑踏の中で今まで、暮らしていたか、知った。

さて、ナノカを迎えに自転車に乗る10分間、すこし、意識してみる。稲穂が黄金に光り、向かいの畑はコスモスが満開で、空は高く、青く、広い。川の水面に波紋が立ち、そこに夕焼けが映り込んでいる。草を刈った匂いがする。雀の鳴き声。たった10分、自転車に乗るだけで、それらの、美しいものが、目や耳や鼻に飛び込んでくる。たぶん、意識しない日も、これらを、見て、聞いて、嗅いでいたのだ。

知らず知らずのうち、恩恵を受けていたことを知った。

大学生活を送った東京も好きだし、なんでもありのニューヨークも楽しかった。田舎暮らしは、いい事ばかりではない。すべてにおいて選択肢が狭いし、街が恋しくなることは、しばしばある。

でも、目や鼻や耳は、そして脳は、私が意識しないところで、勝手に喜んでいるだと思ったら、ちょっと愉快な気分になった。

自分の体はもちろん、子や家族や周りの人生すら、うまく運営しなきゃと考えてしまいがち。でも、本当のところ、自分の細胞一個ずつですら、勝手にうれしがったり、嫌がったりしてるのかもしれない。そんな風に考えたら、「自然に、お任せしましょうか」と、気が楽になった。

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