2020年10月29日

栞づくり Bookmark

 

帰省前。みんなに栞を作り始めました。
貼り絵、後ろに本から引用、編み紐、表面に保護をつけ、穴を開け、、、丁寧な仕事。

明日から、3泊4日で、愛知に帰省する。秋休みという、謎の休みのおかげで、混雑を避けて、帰ることができる。

 帰省を前にして、突然、ナノカが栞を作り始めた。最初、切り紙で作った人形を、「何かに使えないかな」と 持ってきたので、栞の台紙に貼ったら?と提案したところ、気に入ったようで、親戚の人数分、和紙を切り、ひとつひとつ、作りはじめた。

紐を編み出した頃から、ちょいやり過ぎてるなあ、とも思ったけど、こういう思いついた事を、最後まで、段階を追って、丁寧に仕上げられることって、すごいことだとも思うので、最後まで付き合った。

 コロナのせいで、「なんのために、生きているんですか?」は、改めて、考えさせられるテーマだ。

介護職の方と話をしてたが、介護施設の高齢者は、面会謝絶となり、家族に会うこともなく、弱っていく。その事に、「規則は規則だし、仕方のないことだけど、、、」と前置きをした上で、「でも、いったい、何が正解なのだろう?」と、悩んでいた。

教育に関しても、いろいろと思う。フィンランドの教育の本を読みかじってるけれど、あちらでは、「子どもの権利」という考え方が浸透していて、子どもも自由に物を考えて、生きる権利がとても大切にされている。

今、子ども達が学んでいる勉強は、彼らの自由な心、幸せを、支えていくものなのだろうか?

わたしは、ナノカに、生きる力、選ぶ力、考える力、人生を幸せにする力を、身につけてほしいと思う。

だから、歌えたらいいなと思うし、泳げたらいいなと思うし、人とうまく話せたらいいなと思うし、よい文章を書けたらいいと思うし、数字から論理的な考察ができたらいいなと思うし、正しく資料を読めたらいいなと思う。

でも、それは、彼女がそれを、楽しいと思いながら、世界を広げる中でないと、結局、身にならないのではないかな、と思う。そこが、教育の腕のみせどころじゃないのだろうか。

大切なのは、覚えた知識の量ではない。知識を得る喜びだ。

公式の正しい当てはめ方ではなく、数字を使うと、いろいろなことがわかるという驚きだ。

出雲に行きたいと言っていたナノカに、古事記の本を買った。数時間で読んでしまうと、「原文が読みたい」「神様の名前を覚えたい」と言いだした。うちの子は、本から、世界が広がるタイプなのだ。

されど、ナノカは、記憶力があまりよくない。もし、神様の名前を覚えて、テストをすることになったら、50点を切ってくると思う。これで、日本の教育は、「賢くない」と判断してしまうのかな。

もはや、ただ、自由な時間があることだけでも、貴重になりつつある昨今。「あそぶ」時間は、子どもの権利だけど、それが保証されてるようには見えない。じゅうぶんに遊ばないで育った人は、大人になれていないように思う。心に余裕がない。子どもにやさしくない。遊びに嫉妬をしている。

子どもに、宿題のことを「我慢の訓練」と言っている人がいた。我慢の訓練なんて、他にいっぱいする機会がある。

「なんのために、生きているのか」は、結局、「なにのための教育か」を考えさせるし、「教育の結果、今、生きているわたしたちは、本当に、幸せか」につながる。

ナノカは、なにはともあれ、幸せそうに栞を作っていた。

2020年10月19日

カフェアーティスト・ペン画 Pen class

 今回は、「不思議な絵」にチャレンジしました。光と影の使い方、構図の取り方などを、たくさんの作品を見ることで、参考にしました。

初めての方用のペン画を、とても丁寧に、仕上げてくれました!

こちらは、ルドンの素描と同じ構図の絵に挑戦。ペンの濃さを生かして、劇画を思わせる、強い絵になりました。逆光で、ほとんど人体の詳細がつぶれている、という絵だったので、非常に難しかったと思いますが、その状況が描けている上に、きちんとポーズがわかります。しっかりと濃い線を入れて、2回目とは思えない、力強い作品です。

こちらは、ハンニバルという絵本にヒントを得て、ペン画にしました。写真ではない世界観を自分でペン画にしていくのは難しいのですが、雰囲気をつかめています。白いキャラクターが、自然に描かれていて、かわいいです。全体で線をコントロールできてると思います。

小学生の作品。ハロウィーンのカボチャで3作品。ちょっとラフなラインワークが、効果的に不思議な雰囲気を出しています。ユーモラスさもあって、シンプルで、また3シリーズなのも、いいですね。繰り返すことで、線の濃さがコントロールできるようになって、(彼の特徴の)ラフなラインでも、自由に作品が描き出せるようになりました。これから、楽しみです。

小学生の作品。オリジナルに挑戦するのを戸惑っていたので、描きたいものを聞くと、「鳥」とのこと。1枚目の飛んでる鳥が、あまりに美しかったので、鳥を、「空」「地」「水」で表現することを提案しました。空間の使い方が大胆で、線が力強く、とても、愛らしい3作品です。

ペン画は、線を入れないと、白っぽく、平面的で、完成度が上がらないのですが、線を入れすぎると、雰囲気がどんどん、重くなって、つぶれていってしまいます。効果的な線の入れ方なら、結構、たくさん入れても、大丈夫なのですが、その兼ね合いは、何度かやってるうちに、「ああ、これぐらいか!」と習得できるものなのかもしれません。

今回、不思議な雰囲気の絵を描くことで、いつもより、思い切って、線を入れられた気がします。作品も、楽しいものばかりでした。

2020年10月16日

朝活バッジ Morning crafts

 

朝の隙間時間に、プレゼント制作。
 

ナノカの朝の出発時刻は、8時10分。普通の小学生より、30分ほど、遅い。 

6時30分起床のナノカは、朝、少し、余裕がある。

「バッジ作りやりたがってたKちゃん達が、旅行に行くから、餞別をあげようか」と提案すると、「いいよ」と乗ってきた。

アマビエはナノカ作。ユニコーンは、わたし作。

一度作ったデザインなので、手際よく、制作。ナノカは、色に関して、あまり固定概念がないようで、赤をご選択なさった。結構、かわいいな、と思って見ていたら、最後の最後で、髪の毛で白を選択。ちょっと、ヤマンバっぽくなった。

おと、いろ、におい sound, vision, smell

今朝、おじさんが、鎌をナノカに見せながら、「手伝うか?」と聞いてきた。「学校行くより、勉強になるぞ!」と言われた。真をついているかも?

 先日、ヒマラヤ聖者の暮らし方の本を、チラ見した。そこに、体を健全に保つ方法が書いてあった。

「必要なだけ食べる」「怒りに身を任せない」など、 そうだろうなあ、ということも書いてあったけど、気になったのは、「体によい音を聞き、ものを見て、においを嗅ぐ」という話だった。

体によい、とは、自然界にある音が基本。人間は動物なので、人工音は、基本、リラックスする音ではないのだそう。

都市生活は、人工的な音であふれ、私たちは、その音に慣れてしまっている。車の音、工事の音、隣の家のエアコンの室外機、掃除機、テレビ、マンションのエレベーター。電子音に、エンジン音。頭で、それらの音の元がなにかと理解できているから、一々、あ、車が走ってるなあとか、エレベーターが下におります、など考えず、受け流すことができる。

でも、意識下では、それらの音は、生き物としての私たちに、どこかで緊張を強いている。

ここに引っ越してきて、最初にとまどったのは、この家が「無音」であることだ。天井が高い、田舎の一軒家は、ガラーンと静けさに包まれていた。自分の声がみょうに響く。

しばらくして、慣れてくると、鳥の声、川の流れる音、などが聞こえた。いかに、音の雑踏の中で今まで、暮らしていたか、知った。

さて、ナノカを迎えに自転車に乗る10分間、すこし、意識してみる。稲穂が黄金に光り、向かいの畑はコスモスが満開で、空は高く、青く、広い。川の水面に波紋が立ち、そこに夕焼けが映り込んでいる。草を刈った匂いがする。雀の鳴き声。たった10分、自転車に乗るだけで、それらの、美しいものが、目や耳や鼻に飛び込んでくる。たぶん、意識しない日も、これらを、見て、聞いて、嗅いでいたのだ。

知らず知らずのうち、恩恵を受けていたことを知った。

大学生活を送った東京も好きだし、なんでもありのニューヨークも楽しかった。田舎暮らしは、いい事ばかりではない。すべてにおいて選択肢が狭いし、街が恋しくなることは、しばしばある。

でも、目や鼻や耳は、そして脳は、私が意識しないところで、勝手に喜んでいるだと思ったら、ちょっと愉快な気分になった。

自分の体はもちろん、子や家族や周りの人生すら、うまく運営しなきゃと考えてしまいがち。でも、本当のところ、自分の細胞一個ずつですら、勝手にうれしがったり、嫌がったりしてるのかもしれない。そんな風に考えたら、「自然に、お任せしましょうか」と、気が楽になった。

2020年10月14日

疫病退散! Go away! Corona virus

 

バッジ完成。
 

ちょっと、デカかった。

学校につけていきたいような、壊れそうだから、つけて行きたくないような、、、

結局、わたしにくれました。気前のいい子なので。

 

2020年10月12日

リトルアーティスト「がくに、ひそむもの」 Art Class

今回は、あっち側の世界との窓になっているという設定にしました。

世界観が決まってる子は、集中して、黙々と作り続けます。

バックを水色にして、白いウサギを浮き立たせました。茶色いのは箒だそう。水色が何色か使ったので、リッチな色合いが出ていて、いいですね。

黒猫ちゃん。こちらは、一番「飛び出し」感がある作品になりました。シンプルだからこそ、難しい構図だったけど、スケッチ通りに最後まで、ねばって制作。色も白と黒のシンプルなところに、青、ピンクがほんの少しという、素敵な組み合わせです。

とても、シンプルに、きちっとベースを仕上げていった後、遊び心をいっぱい発揮して、アフリカンのような、南米のような、おもしろい顔に仕立てました。ていねいな仕事と遊び心の組み合わせが、爽快な気持ちにさせてくれます。色もとても、効果的な組み合わせです。

その隣で、かなり感覚的な感じで制作していた弟くん。ボリューミーなベースでしたが、なんとも、おもしろく仕上げました。ベースの黄色のような、茶色のような、微妙な色は、こだわって彩色していました。もう何個か、作ってもらいたい!なんか、新境地が出てきそう。

こちらも、愛らしい猫ちゃん。とても美しいグレーを、自分で作り、黙々と塗っていました。お鼻のピンク、目の黄色、ブルーアイ、どれも、やさしい色使いで、心に残ります。最後に縁取りに使った、黄色の毛糸が、またとても効果的。あたたかいアップリケのような印象になりました。

こわめの犬(オオカミ)を想定して作り始めたけれど、結果的に、本人のかわいらしさがにじみ出た、たれ目のワンちゃんになりました。しっかりとボリュームのある半立体を、うまくうめこんで、壁からぬっと顔を出している雰囲気が、とてもうまく、出ています。そして、なんだかわからないけど、印象に残りますね。純粋な顔をしているからこそ、ちょっとこわい?

こちらは、化石か標本のようなものを、最初に作り上げ、その周りに、好きなものを貼り付けて、かわいい額縁を作りました。色が、砂糖菓子みたいで、ガーリーで、いいですね。飾って、幸せな気持ちになれそうな作品です。ひとつひとつの手作業も、とても、上手でした。

ナノカの作品。鳥人間だそうです。ちょっと強烈で、なんとコメントすべきか、私も悩みました。スポンジボブのプランクトンのキャラに似てる?つけまつげとアイラインのインパクトがまた、すごい。

なんとも、いい表情のお月さま。鼻の穴とかまでしっかりあって、いいやつ感に溢れていて、見るたびに癒されそうです。和紙に着色することで、深い効果のある闇夜が作れました。黄色と青の色の対比も、いいですね。ていねいな手仕事で、お月さまの丸が美しいです。

最年少3歳の女の子の作品。猫ちゃんです。ちゃんと、作りたいもの、塗りたい色、しっかりと表現してくれました。やさしいピンクに、青いヒゲ(下に伸びているのは、おひげなのです)が、とてもきれいな組み合わせですね!最後まで、仕上げる集中力も、すばらしいです。

額のアートは、半立体になります。

完全な立体では、現実の世界にあるように、球はまんまるに作ればいいのですが、半立体では、どう立体に見せながら、平面に近づけるか、考えないといけません。

その中での表現。制限があるからこそ、豊かになる部分もある。おもしろい作品ばかりで、わたしも、楽しかったです。

週明けのアマビエーヌ Amabie in the Monday morning

 週末、ナノカは、ハシゴのハシゴで、忙しかった。

土曜日。

朝一番は、スイミングで始まる。 

帰ってきたら、すぐ出発。今週末は、演劇サークルの活動があるので、土曜日午後のスケジュールは、13:00−13:30 演劇サークル 13:30ー15:00 バレエ 15:00ー16:00 演劇サークルに戻る になる。

その後、愛しの親友ちゃんと1時間遊ぶ。

1時間の逢瀬の後、夜ご飯を食べて、有田に行く。サークルのお友達のミュージカル公演を観に行くためだ。

日曜日。

午前中は、リトルアーティスト。昼を食べたら、13:00ー16:00で演劇サークル。その後、またまた親友ちゃんと1時間ほど遊び、その後、急遽入ったサークルの歌の合同練習を1時間ほど。

家に帰って、「ダーウィンが来た」と「キリンが来る」を観て、お風呂に入って、寝た。

習い事し過ぎはよくないと言われるけど、結果的にこんなになってしまった今週末。

でも、ナノカは、親友と遊べたこと、演劇サークルに仲間がいること、不安定だった歌の音取りができたこと、充実感も達成感もあったよう。

外の世界で得た自信が、多くの場面でナノカを支えてきた。年齢が上がって、人間関係も複雑になっていく中、「わたしは、わたしだもん」と言えるのは、「輝いている」自分の姿が、心にあるからだろう。 

演劇サークルで、演出家のきよみんが、「舞台は、一人だけがうまくなっても、ダメ。みんなで協力しないと、できあがらない。」と説明していた。なにげない言葉だったけど、ナノカの成長していく姿を見ていると、その通りだな、と実感する。

昔、負けず嫌いだったナノカ。でも、スッと脇役や裏方に回ることができるようになった。人を褒めることができるようになった。

私たち世代は、競争社会育ちだ。だから、「負けたらダメ」と、どこかで思っているのかもしれない。でも、世の中に溢れる、結果が出やすい競争ごとは、本質を見失わせるものも多い。

本物は、勝たなくても、負けない。ナノカたちの世代は、また、すこし違った生き方をしていくのかもしれない。

ちなみに、月曜日は、朝から、チーズケーキを焼いて、アマビエバッジを作ってから、登校していきました。今週も、元気!


2020年10月7日

カンコロ紀行「馬渡島」 Goto Article



 

カンコロ紀行の3年目、最後の記事を書くために、取材に行った。

ここ半年、島に行くことが、ためらわれる時期が続き、頭を悩まし続けた。本を読んだり、調べ物をすれば、新しいことを知り、記事が書けるぐらい、カンコロの背景は広く、深い。それでも、人の営みをテーマにしている以上、今を生きている人たちの温かみがないと、魅力が伝わらない。「私が見た」ということが、記事に熱を持たせる。

GOTOキャンペーンが始まり、人の動きが出はじめた。そろそろ、行ってもいいだろうか?

でも、より親しく、より身近だからこそ、島に行くことでのハレーションがどれぐらいなのか、考えてしまう。絶対、迷惑をかけたくない。自然、腰が重くなってしまう。

そんな中で、日帰りで、本土に近い島なら行ってもいいんじゃないか、と自分なりの考えで思った(本土との行き来の利便性から、ふだんからの往来歴、そして医療体制の連携などを推測)。そして、思いついた唐津の離島。

佐賀県に、潜伏キリシタンの島がある事を、どれぐらいの人が知っているだろうか?わたしは、3年目にして、初めて知った。衝撃だった。と同時にうれしかった。次から、4年目に入る連載。でも、まだまだ、知らないことがあるなんて!新鮮な気持ちで、まだまだ続けられそうだ。

馬渡島の人は、おっとりとして、おおらかだった。世界遺産の波も来ておらず、観光客も、いなかった。店もほとんどないし、案内もない。情報がなかった理由も、その辺りなのだろう。

島の人にしてみれば、かんころ餅は昔からあったし、カンコロだなもあったし、私に発見!と言われたくないだろう。でも、前情報が見つけられなかったため、自分の足と目で、発見した!という感動を味わうことができた。

世の中は、情報があふれている。そう、ネット社会が感じさせている。でも、実際、わたしたちは、前より、「知っている」のだろうか?

まだSNSが始まって間もなかった20年ぐらい昔、わたしは、手痛い失敗をした。人があげた中越地震後の混乱に関する訴えをそのままシェアした上で、「警察、ひどいですね」とコメントを加えたのだ。

それを、「その人の書いた事は事実だと、確認しましたか?あなたのしている事は、無責任な情報を拡散して、混乱を大きくする、迷惑行為ですよ」と、注意してくれた人がいた。

わたしは、当時ニューヨークにいて、日本の地震のことについて、まったく、知りようもなかった。言われた通り、わたしは、不確かな情報を信じ、そのまま、広げてしまったのだ。

すぐに、訂正して、さらに拡散してしまった人たちに謝罪して回った。あっという間に広がった、不確かな噂話程度の情報。悪気はなかったが、影響力はあった。その恐ろしさを実感した。

以後、シェアする時も、記事を書くときも、「事実であろうか?」と慎重になった。自分の体験に基づく感想なら、一番事実に近いだろう。それもあって、足を運び、人に会い、自分の目で見たことに対して、感想を述べるように、より努力するようになった。 

もちろん、わたしが、こうして書いている「体験談」とて、文字情報である以上、次に読む人にとっては、事実である確認が取れない。そういう意味で、いかに誠実で公正な情報を提供しようとしているか、信用される行動をとり、文章を書き続けることは、1つのチャレンジだと思う。

また、読み手としても、「聞きたかったこと」「そうであってほしいこと」や、「感情をゆさぶる事実」に惑わされず、しっかりと読解力を持ってのぞみたい。

情報が溢れるからこそ、とても、難しい時代なのだと思う。

2020年10月5日

おだんご dumpling for the full moon

 

10月1日。中秋の名月。

ナノカが、「今日、おだんご、作るからね」と言って、登校していった。つまり、帰宅後、17時以降に、おだんご作りがなされる、ということだ。

少々、めんどうくさいな、と思ったが、白玉粉とボールを置いておいたら、自分で測って、練って、茹でて、すべて自己完結で作ってくれた。その間、私は、夕食の準備をしていた。世話がかからず、器用に、なんでもこなす。

だんごが出来上がって、食事が済んでから、お月見のために散歩した。

「あ、本当に、ウサギが餅つきしてる!」と、叫ぶナノカ。そうだ、と思って見るから、そう見える、いたって、素直な性格。

靴紐をゴムで結わえただけのものに、「イカくん」という名前をつけて、カバンにつけて、持ち歩く。パパに新しい靴紐をもらい、友達を作った。その名前に、「ルネ」と月の名前をつけた。イカくんもルネも、よく話をする。

親から見れば、その「よい」と思うような特質も、 同年齢には、さまざまな感情を巻き起こすこともある。

満月の黄色い光に照らされて、透き通るような、少女の心。嘘もなく、他人に寛容で、想像力に満ち満ちて、やさしい子。

きっと、いつか、それが、世界の光となって、周りを照らす日が来るだろう。わたしは、あなたを誇りに思う。

そう伝えると、少女は、うれしそうに、わたしの手を握った。

キャンプ Camping season

10月に入った。暑くもなく、寒くもない。キャンプ時期が到来したのだ。

しかし、小学3年生がいる家の週末というのは、意外に忙しく、習い事に加えて、なにかと用事がある。それに加え、教室があったりと、まるっと空いた2日間というのは、ほぼ皆無と言っていい。

そんな中、相方の「そろそろ、キャンプがしたいなあ」の一言で、カレンダーとにらめっこすることになった。家族全員の希望を叶える、週末運営はなかなか、難しい。うむ、ナノカのバレエの後なら、日曜日は1日空いてるし、なんとかなるか、、、

ということで、ナノカは朝プールに行って、昼からバレエに行ってから、キャンプに行くことになった。なんと、忙しいスケジュール!

夕方からの出発で、遠出はできないから、佐世保市内に決定。白浜キャンプ場に16時頃に到着して、テント設営、それから、簡単な調理をして、海を眺めて、食事をした。

結論。近場キャンプは、素晴らしい。気負うこともなく、家で寝る代わりに、外で寝るぐらいの気持ちで出かけられるし、ただ散歩したり、海辺でカニを見たり、浜辺に絵を描いたり、の時間は、この上なく、贅沢だ。

さらに、ナノカは、その場でお友達を見つけた。キャンプ場にぶらっと来た者同士、子どもって、すぐ遊べちゃう。

残念ながら、夜中じゅう、宴会をしている外国人グループがいて、ぐっすり安眠、とは行かなかったが、まあ、それも含めてのキャンプ体験か。日常から、ちょっとはみ出た時間に、身をゆだねることは、いい刺激になる。

さて、釣り道具を持って行ったのに、リールを忘れて、釣りができなかった相方。帰ってきてから、川棚港に出かけ直した。

当たりは悪かったものの、エイが泳いでるのが見えたり、初めて、スナメリの姿を確認できたりと、大村湾の生態系を見れた。

当たり前だけど、どれだけ大物が釣れたかとか、どんなレアな豪華なキャンプ場に泊まることができたか、ではなく、季節や時間の移り変わりの美しさを感じて、楽しかったと心が喜ぶことが、大切。家族と出かける、この一時を喜んでくれる年齢のうちに、たくさん、キャンプしたいなあ、と思う。