2010年6月30日

Hot Spring 混浴

私は、物心ついてから3回だけ、混浴にぶつかったことがある。
Originally Japanese have mixed bathing culture. Now it is not so common, but still remains. I got three chances to take mixed bathing after I got older.

一回目は、大学時代の東北旅行中に、友達と、「よし!ひなびた温泉に行こう!」と、かなり山奥の湯治場温泉に乗り込んでいった時のことだ。はじめて迷い込んだ湯治場は、私が想像していたよりずっとディープな世界だった。座敷に寝転んで仮眠する、老年の男女、裸で廊下を歩く老婆、そして、廊下の先の扉を開けると、脱衣場もなく、突然洗い場(外から、丸見え)だった。そこには、よく見ないとおじいちゃんなのかおばあちゃんなのかわからない、しわしわの男女が並んで、身体を洗っていた。初心者にはちょっと刺激が強すぎて、私と友人は露天風呂をあきらめたのだった。
First, I was around 20, and I went to northern area of Japan with my friend. It was in mountaineer side and that hot spring was for long term stay to medication. We got big cultural shock. It was an old dirty wooden building and old men and women(we could not judge at a glance) slept all over the floor of the room and naked old woman walked a hallway and at the end of the hallway, there was door directly to bath-open to outside-there was no changing room. We were not brave enough to wash ourselves next to wrinkled men and women in the nature. We gave up.

2回目は、家族旅行で、槍ヶ岳の側の宿に泊まったときの事だ。混浴露天風呂が空っぽだったので、勢いづいて母と2人で入っていたら、知らないおじさんが途中から入ってきてしまったのだ。油断していた私は、バスタオルをもっておらず、
Secondary, it was the time when I went to Yarigatake mountaineer good inn as family trip. My mom and I were bathing outside mixed bath since there was nobody around. But when we were in the tub, a man came. I did not bring bath towel,,,

「お母さんは中年で、既婚だから、もういいけど、私は嫁入り前でまだ若いから、まずい」と母を説得して、母のバスタオルを譲ってもらった。かわいそうな、母、、、
and asked my mom, "You are middle age and married, so you are fine, but I am younger and not married." and got her bath towel. Poor mom!

母のバスタオルを奪ってまで、混浴を拒否していたくせに、先日、3度目の混浴に遭遇した際は、わりとへっちゃらで、入ってしまった。まさか、「オバちゃんになって、羞恥心がなくなった」のだろうか?いや、きっと、慣れたんだ(と思いたい)
I refused mixed bathing by getting mom's bath towel, but I got third time recently and I accepted as natural thing. Am I older and feel less shyness? No, I just got used to it(I think,,,,)
その温泉は、下部温泉の源泉館といい、武田信玄の隠し湯の一つだという。このように、源泉そのものに板を張って、温泉にしている、まさに源泉の温泉。温度が低い冷泉で、きっとこの季節は気持ちいいのではないだろうか。ぜひ、お試しあれ。
That hot spring is Simobe Onsen and the bath name is Gensenkan. Very unique old hot spring that water springs under the tab. It is not hot, and good for this hot season. Try it if you have a chance!

2010年6月29日

Narrative 1枚絵と絵本の違い

Narrativeという言葉を聞いた事があるだろうか。日本では、それに当てはまる日常的な言葉も見当たらないし、同じような議論をあまり、耳にする事がない。が、私がニューヨークのデザイン学校に行っていた時に、ひじょーに耳にしていた言葉だ。意味は、「お話的な」という感じであろうか。
Narrative is one of the important words in the field of illustration.

私は、非常にNarrativeな人間である事を知ったのも、学校に通ったからである。私のいたコースには、必須科目として、「タイポグラフィー」があった。フォントや文字の使い方を学ぶ授業だ。担当教授は、かなり厳しい人で、とても「グラフィックデザイン的」な要素を重要視していた。課題は、既存の雑誌記事をまるごと自分でデザインしなおしたり、ポスターを作ったり、など実践的な文字の入るデザインが多かった。私は、まじめな学生だったので、いろいろ考えて、ポスターなどを作っていくのだが、ことごとく、彼女は気に入らず、「Narrative」と私の作品を、酷評した。わかりやすく説明すると、こんな感じだろうか、、、
In the typography class of Art school, teacher gave us to re-design the magazine articles or making poster with type as assignments. But my teacher always criticized my work as "this is narrative"

Narrativeな作品だと、こんな感じ。「ふんの後始末をしましょう」というポスターを、こうしたストーリーで構成している。ちょっと、この状況を読み込むまでに時間がかかる。でも、ここにある、恋心と、はずかしいって気持ちが、かわいらしくて、いいかも、というような意図で描いている。
For example, narrative poster is like this. It shows the story that a doggy felt ashamed about his poop since he had affection to this passing lovely dog. It took 3 seconds to catch the idea.

が、本来、デザインの世界では、インパクトが何より大事だというのが、彼女の持論。「立ち止まって3秒後にわかるものでは、ダメ」「ドキッとする強さが何よりの価値がある」「100人の人間がいたら、(知識もセンスもないような人でも)100人に正確に伝わること」。そういう意味では、頭でひねって考えこんだユーモアや、叙情的なものは「弱い」ことになる。一瞬の「強さ」のあるものが、よし、なのだ。おもしろくない、没個性だ、と思うような作品でも、インパクトで負ければ、とにかく完敗だった。
In the field of graphic design especially poster, the most important things is instant message. It should be direct and strong. 3 seconds is too long. Sensitive humor is not working.

私は、かなり努力したが、どうしても、このインパクト一番、の一枚絵の世界において、あまり報われなかった。散々、酷評されて(授業後に10回ぐらい泣いた)才能ないのかも、、、と自信もなくした。
が、そのうち、絵本の授業が始まると、私は水を得た魚のように、他の人が苦労しているような場面でも、とても自然にアプローチする事ができた。それまで「あなたの絵はnarrativeだから、、、」とダメだしされてきたのが、「あなたの絵は、とってもnarrativeね」とほめ言葉に変わった。絵のひとつひとつから、お話がはみ出て、あっちにつながり、こっちにひろがっていくのは、絵本の世界では、必要な事だったからだ。むしろ、世界が1枚で完結してしまっては、ダメなのだ。
今では、タイポグラフィーの教授が言いたかった事が、よくわかる。同じ「絵」の世界に見えても、一枚絵と絵本の世界は違う。私は、一枚絵の世界で、自分の得意な言葉を使ってしゃべろうとしていた。そこで必要とされていた言語は別だったのだ。(わざとお話的なアプローチをポスターで使ったり、強烈な一枚絵を並べて絵本を作ったりする事もあります。)
Narrativeという言葉は、私を表すのに(絵だけではなく、会話や、生活態度自体、すべてにおいて)ぴったりな言葉なので、日本語にもあればいいのに、と思う。
I was down. However after children's book class started, "Narrative" turned to be complement from criticise. We need story to each pictures to carry the story going though a book. It makes the book believable as a world.
Now I understand very well what typography teacher wanted to say. I was using same language(narrative art) to the different world. They were both pictures, but they are fundamentally different.
Narrative is the best word to show myself. I wish Japanese had same word.

2010年6月28日

Marriage education 結婚教育

ここ数年、「人生のパートナーに求めること」のような話を、かなり多くの人とした。お年頃というには、若干、遅い時期なのだが、周りにちょうど、そういう話がひしめいていたからだろう。
For last a few years, I got chances to talk with many people about what is the most important for choosing life partner.

文化の違いはあっても、このあたりは、話のネタとしては、世界共通。特にニューヨークは、周りに様々な習慣の違いがあふれているからこそ、「ここまでは、我慢できる」「わかっていても、これだけは無理かも」のような、本音が飛び交っていた。2人の違う人間が、一緒に生きていく訳なのだから、理想どおりに完璧、というのはあり得ない。「何がどうしても譲れないか」、「それさえあれば、他の事はたいした事じゃないと流すべき」を知っているのは、大事だと思う。
In NY, there are so many different cultures and way of life. So it is common to think about "which point we cannot accept" and "which points are not so serious and we have to take it easy" for two different people to live a life together.

その中で、友人Aが言ってたことが、心に残っている。「私は一人っ子だから、いつか、両親が死んだら、一人になるわけでしょう。だから、自分が、一生を一緒に過ごすのは、パートナーなのだと思って、小さな頃から、結婚のことを意識してたよ」私は、結構な年になるまで、結婚の事なんて考えた事もなかったので、「へえ〜」と思ったものだ。彼女のご両親は、信頼関係で結ばれた、素敵なご夫婦だが、そういうのを見て、彼女の中で、「人は、パートナーと人生をつくり上げるもの」というイメージがあったのも大きいのだろう。
My friend, A, told me her thought of marriage. "I am only child and I have no brothers or sisters. So I will be alone after my parents died. It means that my husband is the person to share my whole life. I have been thinking of marriage since I was a child." Her parents are very good couple who is necessary for life each other. That gave her image "the life is created by two people as unit." Then She chose her "funny comfortable life partner"

私の両親は、人生の選択(進路、職業、結婚)において、多少の意見は言うものの、「自分で決めなさい」と、常に私自身に選ばせてきた。受けた高校や大学の名前も、母親が知っていたか、微妙なぐらいだ。だから、私の中で、「何かを選ぶ」という事は、それに伴う責任を含めて、人生の中で度々しなくてはいけない、当たり前に自分の問題だと思ってきた。
が、どうやら、世の中の全ての人がそういう訳ではないらしい。先日、親御さんのちょっとした反対で、すっと結婚を辞めてしまった話を聞いた。私に言わせると、親はちょっとでも問題があれば、「大丈夫なの?」「辞めておいたら?」ぐらいの意見はするもので、親を説得をするのも、結婚する本人たちの役割の一部だと思う。30を越えても、自分に基準を持たないのも、どうなんだろう?そんな事で揺らぐ愛情なんて、本当に愛情なんだろうか?と感じた。でも、年齢がいくつでも、「親」がかなりの影響力を持つ人を、たまに見かける。考えてみると、ちょっと前まで、結婚も就職も進路も親が決めていた時代があり、今でも、根強くそういう慣習が残っている文化圏もある。それが間違ってるとは、言い切れない。結局、結婚観は、育った環境によって、一番、価値観が分かれる所なのかもしれない。
My parents gave me some advices but fundamentally they left me final decision of any life choice(schools, occupations, and marriage). So it is common for me to choose one as my responsiblities(I made some mistakes in my life maybe). About marriage, it is one of them.
But I noticed that it is not always common for everybody. Especially about marriage some cannot make their own decision. Recently I heard the story that 34 year-old woman gave up marriage just because her parents light objection. Well, parents can have some objection to some aspects, but it is the couple to let them understand that two can do well as a unit. If it is easily broken by a small objection,I doubt if the love there is true. But it might be so different for each person. Until recently there had been no freedom for themselves to choose job, school and partner. In some cultures, it still goes on. I cannot understand from my point of view. For those, I am wrong. I am also educated by my parents about life, about marriage, in other way around.

2010年6月26日

Mother 母とお出かけ

母がメルヘンハウスにごあいさつに伺う、というので、一緒に出かけた。久々に、一緒に話してると、「この人、ホント、おかしいなあ」と、わが親ながら、感心してしまった。とにかく、よくしゃべるし、なんかずれている。わかっていたつもりだけど、たまに会うと、あっぱれな気分にもなる。
I went out with my mom. It was a long time after I went out with her last time. I was impressed by how much she talked and how funny she was.

なにやら、母は数日後に「シンデレラ」の扮装劇をやるらしく、「シンデレラの継母の服装について」資料が欲しいという。髪型は、ストッキングに布を入れてふくらましたものを、頭のトップに付けるらしい。なかなか個性的なアイデアだ。でも、衣装に困ってるらしく、「そう言えば、昔、やたら派手なピンクのドレス持ってたじゃん」と私が聞くと、今は紛失してしまったと残念そうに答え、「あれ、40代の時に着た時の写真がこの間出てきたけど、似合っていて、かわいかった」と自画自賛していた。私は、今現在でも、あれほど派手なドレスを着る勇気はないなあ。
She would dress up as a Cyndrella's stepmom in a few days. She talked about the costume. She would use tights to make hair bonnet. And she talked about pink dress that she used to have. She wore that when she was in her 40's. She said "I looked nice in the dress on the picture." That was so vivid pink that I could not wear even now.

途中で、手土産を買おうと、ミロアールに寄った。ミロアールは一社の駅からちょっと奥まったところにある、もう30年以上はやっているであろう隠れた老舗のケーキ屋さんだ。焼き菓子の箱詰めを買った後に、生菓子のケースをおいしそうだね~と眺めていると、「そうだ、好きなの選びなさい。誕生日プレゼントだ」と母が言った。私は、9月24日生まれである。いったい、いつの誕生日の話をしているのだろう、、、
We went to shop the sweets for my exhibition staff. I was watching the prety cakes in the showcase and my mom said, "choose whatever you want. It is for your birthday." My birthday is September 24th. Which birthday was she talking about?

でも、せっかくなので、黙って、誕生日ケーキを買ってもらった。多分、先日の5月の母の誕生日に、私がプレゼントを贈ったお返しのつもりなんだと思う。ミロアールのケーキはフルーツ系が、とてもおいしいので、オールフルーツ系に。ひじょーにおいしかったです。
Anyway I got cakes. Probably she bought it for me since I presented grobes and hat for her birthday in May. Cakes were so good.

2010年6月25日

cable TV ケーブルテレビの取材

メルヘンハウスでの展示が始まりました。初日、中部ケーブルテレビネットワークが取材してくださいました。
Cable TV station came to the exhibition to shoot for the news.

平日が初日という事もあって、店内、お客さんはほとんどいません。取材では、「自然なカット」という名のもと、唯一来ていた家族と、メルヘンハウスのスタッフがサクラとして、「自然に展示を眺める」という不自然なショットに協力してくれました。ありがとうございます。
There was almost no visitor since it was the weekday. We need the natural cut that visitors were looking at exhibition, so we asked the only family there and people working there.


ちなみに、私も一瞬だけインタビューに答えています。前回の展示の時にも取材してもらい、あまりの自分のあたふたした「アホそうな」受け答えを後で放送で見て、がっくりしたので、今回こそは、賢そうにハキハキ話そう、と思っていたのですが、すらっと質問されたのに、「ええっと、なんか、いい感じの展示って感じになったかなあ~てへへ」みたいな、答え方をしてしまったのが、唯一の受け答えになり、「ああ~、世の中のインタビューに答えている、全ての人が、どれほどすごいのか」がわかりました。

地方のケーブルテレビなので、見れる人は少ないかもしれませんが、一応、放送日をお知らせしておきます。
I got a short interview. I was not good at talking in clever way. This time, I had strong will to speak like sophisticated author, but I failed. I respected all other interviewee in the world. sigh.


CCNetチャンネル 緑区 豊明市 日進市 東郷町 アナログ8 デジタル082
「Cステーション」 6月28日(月)~7月1日(木) アートを訪ねて
6:00、7:00、8:00、12:00、13:00、17:00、18:00、21:00、22:00、23:00

ちなみに、7月3日(土)15:00~ メルヘンハウスお話し会にて、ものしり五郎丸、読み聞かせ、サイン会、いたします。

2010年6月22日

Art in Business アーティストが生き抜くために、、、

誰かが、「年をとった」と意識した時に、年をとる、と言ったけれど、最近、「私は、年とったのかなあ」と思う経験をした。年をとったというか、保守化した自分の考えにびっくりしたのだ。
Somebody said that Poeple got old when they felt it. Recently I had that feeling.

それは、ぐっと年下のアーティスト志望の男の子の相談を受けたときの事である。美大を出たばかりの彼は、ファインアートをやっていきたい、という。その時、まず、私が考えたのは、「ファインアートで食うのは難しいから、別の安定した収入源になる職業を身につけて、制作できる環境を整えるべき」て言うのと、「男の子だから、10年先の事も考えて、周りの大人が忠告してあげるべきなんじゃないか」て言う事だった。この「男の子だから」なんて、自分が同じぐらいの年だった時には、思いつきもしなかった。その上、自分もさんざん、好きな事を目指してきたのに、人に、こんなに「守りを固めろ」みたいに思うんだな、とびっくりした。
It was when I talked with much younger art graduate relative boy. He wanted to be an fine artist. First I felt that "fine art is difficult to find the way to live. He should have another source of income to keep for a life such as computer or design skill" and also because he is a man, he should have 10 years vision. Olders around him should have good advice for that." How conservative I am now!

でも、これには、少し、理由がある。日本の美大が、あんまりビジネス面を生徒に教え込まない事に、私は不満があるのだ。アーティストであれ、私達も人間で、生きていて、ご飯を食べるし、家にも住むし、そのうち、家族だってできるかもしれない。つまり、他の何千万の社会人と同じように、お金が必要なのである。そして、なんの保証もないアーティストという職業に就く以上、むしろ、他の職業の何倍も、特殊なビジネス能力を持たないといけないという事でもあるのだ。実際、アメリカの美大では、ビジネスの授業がかなり、重きを置かれている。
But there is reason. Japanese art schools do not teach much about business aspect of art. But Artists are human being, too. We have to eat. pay the rent and some might have family. We are the same as all other people and we need money.Since artists work for themselves, we have to operate the own unique business more than other people.

私の同級生達も、ウェブにテキスタイルに、学校教師。様々な就職口を見つけて、働いている。そこでの経験が、実際に他の場面でも役立つ。そういう分野はキャリアを積めるから、困った時にはまた再就職口を見つけやすい。その傍らで、自分の制作もして、会社を興し、ブランドを立ち上げ、ネットで自分の商品を売ってみたりしている。次に何をやりたいか、どの能力を身につけるか、何に応用するか、どう社会に貢献して、どうメッセージを伝え、どう生きるか。それを、自分で見つけて行かなきゃいけないのが(一人一人、違うので、モデルがない)、アーティストの人生なのだと思う。だからこそ、その基本になる、シビアなビジネスを学校で教え込んで欲しいな、と思うのだ。
In US, business is important aspect in art school. My classmates are now working as web designer, textile designer and teachers. It is easer to go back job for income when we need because this kind of job is counting as career. At the same time, they make own work, establish own bland and run the small business. Artist job is to know "what is the next project" ""how to live" "what skill we should get for that" "How can we apply and make money" "how to support the society" "what is own voice" all by ourselves. There is no model-everybody is so different. So we have to be clever to survive.

それと単純に、30歳を越えた時に、ずっとつき合ってきた人に、「やっぱり、結婚はムリ」と言われて、ふられてしまったら、辛いだろうな、とも思ったのだ。老婆心、ていうヤツなのだろうか。やっぱり、私は保守化しているのかもしれない。気をつけねば。
I simplly thought that would be so sad if he could not get married because of his job after he became 30 years old. That might be not my business. I am now acting like an old woman. I have to be careful.

2010年6月18日

Celery セロリ

私の料理は、自己流で、習った事もないし、かなり適当である。でも、人に食べさせるのは好きで、(単純に自分が食べるのが好きなのだ)人が来たら、結構、食事を出す。で、私がニューヨークにいた頃、お金がなくても、だれにでも喜んでもらえるおもてなし料理として開発したのが、豆カレーだ。
I am a self-taught chef. I had never taken cooking class and I am not so serious. But I like inviting and cooking for the guest. Pea Curry is the most poplar dish that I originally made as a cheap dish but pleased everybody.

ニューヨークで安いもの、それは、大量売りのにんじんと、一株売りのセロリ。
In NY, carrot bag and celery is the cheapest vegetable.

とにかく、ひたすらに刻んで、一時間ていねいにいため続ける。手間と時間で、材料の貧しさをカバーするのだ。
I cut onion, carrot and celery into 5mm-1cm pieces. Saute them more than 1 hour.

ちなみに、鶏肉は、まるのままゆでる。濃いスープをここでとる。
Boil chicken as a big piece. Get soup.

で、やたら、煮込む。人が来るのがわかってたら、前の日に作っておく方が、おいしいものができる。
Into soup, put sauteed vegetable, canned tomato, laurel, beans, and boil for 2-3 hours. Put curry powder and boil another 2-3 hours. put chicken at the end. One day later, it will be much better.

で、日本に帰ってきてからも、このカレーはよく作るのだが、セロリが日本では、一本だけで売られていて、割高。ある日、高いから、セロリを省いて、タマネギを多めで作ることにした。
In Japan, I still make this curry. But the celery is sold as a piece and expensive. One day I gave up and made curry without celery.

そうしたら、「今日のカレーはおいしいなあ」と言われてしまった。そっか、、、セロリの味って、日本人で苦手な人って結構多いんだよね。もともと、安かったから、使ってた野菜。くせで使ってたけど、要らないんだなあ、と。セロリの入ったスープとか、あの臭み、いいと思うんだけどねえ〜
He said, "Today's curry is better!" and have two more dishes. Well,,,I noticed many Japanese are not familiar with the smell and taste of celery and they do not like so much. Originally I used it because it was cheaper in NY, so I do not have to use celery. I like the smell of it, though,,,,

2010年6月16日

Tragedy of H Hの悲劇

ロンロンがつぶれて、アトレになった。どこもかしこも、アトレだ。私は、街が均一化する感じに、なんとなく納得がいかないで「we don't need Atore」と言っていたが、最近では、アトレのパン屋でパンを買うようになっている。意志薄弱。
Lonlon deli closed and Atore store opens at the station. I was not happy about that first, but now I shopped at Atore. People change easily.

しかし、ロンロン閉店は意外な所で悲劇を生んでいた。吉祥寺在住7年目を迎えるカメラマンの友人Hは、ロンロンの食糧品売り場を「キッチン」として、8時以降の30%引き、半額セールを愛用して、生き延びてきたのだが、ロンロン閉店で食べるものがなくなったのだ。
But one tragedy occurred at the side. My friend H shopped and ate 30-50% off food after 8pm at Lonlon deli, but she lost her kitchen after Lonlon closed.

腹を空かしたHは、仕方なく、コンビニ弁当に手を出す事になる。お寿司屋さんのお嬢さんで、舌が肥えまくりの彼女には、かなりハードルの高い(?)ことだったが、一度越えると、「食べられる事がわかった」といい、ずるずる、このような乱れた食生活をしているらしい。
She started eat convenience store lunch box and some first food in a rotation. Her daddy is Sushi chef and she ate gourmet from her childhood. She was not happy of course.

料理ができないならわかるが、お寿司屋さんの娘だし、ニューヨーク時代はちゃんと自炊していた。が、「一人で食べる料理は、えさ」と信じて、今はただ、生き延びるためだけに食事をとっている。彼女のガスレンジの上には鍋がおかれ、コンタクトレンズ入れになっている。長らく使われてないのだ。
She is not bad chef originally. But she does not feel make dinner only for herself. Now her cooking pot is occupied by contact lenses maintenance products. She did not cook for a long time.

たまに、家に呼んで、食事を一緒にする。喜んでもらえるので(多分、実家の味付けが近いのだろう)、とてもうれしい。昨日のパーティーの話じゃないけど、喜んでもらうためのおもてなし、の一番シンプルな気持ちがこんな所だと思う。考えてみれば、私も一人でいつも食べていたら、料理し続けるのもイヤになるかもしれない。たまに、人が食べにくるから、それに合わせて、食生活がまわるようになり、米も炊くし、ダシもとるのかもしれない。一緒に食事をする事によって「えさ」から脱出してるのは、私でもあるのだろう。
Hの健康のためにも、彼女の鍋から、コンタクトレンズを取り出してくれる男性が現れないかなあ、と願う。さすがに、食べにくる人がいれば、作るだろう。
I invite her once in a while and have dinner together. I am pleased to please her. This is simple happy moment. I also do not have to eat alone. Probably she is right. I have no motivation to keep cooking if nobody comes. Somebody come for dinner. So I stock food at refrigerator and cook rice, boil the vegetables.
I hope that some guy will remove contact lenses products from her pot for her health. If somebody comes, she would start cooking.

2010年6月15日

party パーティー文化考察

典型的「アメリカ人のパーティー好き」は、パーティーをする人間を「いいヤツ」と呼び、どのパーティーにも出たがり、年に一度使うかどうかもわからないパーティーグッズをやたら買う。将来住みたい家も、「マンハッタンの最上階のペントハウス」だったりして、理由は、「パーティーに良さそうだから」。なんかなあー。
American party lovers called person who open many parties "good guy" and they wanted to join all the party and buy all party goods. They even consider house as a party place when they choose.

(これは、フォーマル系のパーティー。出版社のパーティーとか、同窓会とか、こういうノリ。ジョークも品がよく、かなり会話に気を遣う)
派手なパーティーにいたっては、プールを借り切ってプールサイドにバーを作ったりして、セレブっぽいことをしてた。私は、派手なパーティーにはなじめなかった。
当時はうんざり気味だったパーティー文化だったが、日本に帰ってくると、今度はぱったりない。あれは、あれで、いい文化だったなあ、と思い出す部分もいっぱいある。職業も、交友関係も違う人と知り合いになれて、へえ!と思うような話が聞けたり、意外な人物と友達になれたり。
One rich girl rent the pool only for the party. I cannot enjoy that kind of "hip"party. I prefer small at home party. Now I missed party culture itself. There is no party culture here in Japan. We do not have chance to get to know somebody outside job or school or small community.

(カジュアルなホームパーティってこんな感じ。とりあえず、場所と飲み物があれば、できる。)
よくアメリカ駐在に同行した奥さんが、度々開かなくてはいけない「ホームパーティー文化」にうんざりする、ていう話を聞くが、義務感でイヤイヤすると、そうなるんだろうな、と思う(コミュニティ内に高いハードルがありそうだし。)本来、パーティーは、ホスピタリティの世界なのだろう。人を呼んで、もてなすのに、「これだけしなくてはいけない」はない。新しい住人が来たから、自宅に招いて、お茶を入れて、他の人を紹介してあげたい、なかよくしたい、せっかくだからクッキー焼いておこう、みたいな所が出どころと思えば、規模の大小はあれ、もっと気楽に開催できるんだろう。
日本だと、会社や学校の飲み会と呼ばれる宴会には、家族やパートナーは呼ばれないし、友人同士を紹介するにも、レストランだと、人数も限られ、よそよそしい気もする。参加するもしないも自由、というパーティーのお誘いの方は、開放感があってよかったなあ、と。きっと、昔はお祭りとか、地域の行事が、そういう役割をしていたのかもしれない。
日本でも、軽いノリで、人を呼べるような、おもてなしパーティーを続けられたらな、と思う。
Wives who go to America with their husband complained of "home party culture". They felt much pressure to open perfect party. I guess they weren't familiar with party culture and put unnecessary pressure by themselves. Party is basically all about hospitality. If one newface comes, you just invite one for tea and introduce to the community. It should not be so difficult and complex. I want to keep having party here in Japan.

2010年6月9日

streetcar in Tokyo 都電荒川線の旅

先週末、「都電荒川線」一日旅をしよう!と思いたちました。
I did one day trip by the Toden Arakawa line last Saturday.

都電荒川線は、東京に残る、唯一の長距離路面電車で、早稲田と三ノ輪橋を結んでいます。一回大人160円、一日乗車券は400円。結構本数は多く、5分おきぐらいに電車が来て、そして、案外車内は混んでいます。周辺の住民の、重要な足、なのですねえ。
The Toden Arakawa line is the last remained streetcar in Tokyo and it runs from Waseda to Minowabashi station. One ride costs 160yen for adult and 400yen for one day ticket. Train runs as one cart and comes every 5 minutes in busy time. The cart was crowded more than I thought. It is important transportation for neighbors.

旅のスタートは、おばあちゃんの原宿、巣鴨。とげぬき地蔵を拝んだ後、商店街を抜けて、庚申塚駅で乗り込みます。ちなみに、巣鴨は、まさに「おとしよりのための街」なので、バリアフリーで、物価もお値打ちで、サービスがきめこまやか。とても、居心地がいいです。
We started from Sugamo -that was called Old Ladie's Harajuku(hip-place). We visited Togenukijijo-temple preying for pain-free life. Then we went through shopping center. Sugamo is all about old people-barrier free, cheaper and friendly service. Very comfortable!

その次は、鬼子母神へ。ここは、大きなケヤキが境内を包み込むように育っていて、地面に近い部分はぽっかりと広い空間が開いているのに、緑の屋根を通して、静かな日陰が広がっています。
後から気付いたのですが、境内で売っていた「おせん団子」は、江戸時代からの名物で「千人子供がいた鬼子母神にあやかて、子宝にめぐまれる」といういわれがあったようです。今度は、骨董市に行ってみたいな。
We went to Kishimojin-the temple for mother and child. Big trees grow and made a huge umbrella covering area. Quiet and peaceful space. Some older people were drawing as a group.
Small simple shop there had 300 years history. Other sweet shop is selling Osen dumplings-encouraging pregnancy by goddess who had 1000 kids. I want to go to antique market next time.

次は、荒川遊園で降りてみました。荒川遊園は、びっくりするぐらい、しょぼい遊園地です。電車に乗っていた小学生の女の子も、「荒川遊園なんて、釣り堀ぐらいしか、する事がないから」と、卒業宣言をしていました。でも、狭くて、混雑してない園内は、気張らず時間を過ごしたい、小さな子供のいる家族連れには、ちょうどいい大きさなのかも、と思いました。そのあと、近くで、「たこせん」なるB級グルメを食しました。特筆すべき味ではありませんでしたが、子供がお小遣いで、買いたくなる食べ物なのは、わかる気がするなあ。
Then Arakawayuen. That was an old small boring amusement park.
The elementary girl on the cart said "there was nothing fun except fishing pond" and she declared her graduation from Arakawayuen. But it was so small and less crowded that might be good for family with very small kids. We ate Takosen on way to the station. Takosen is the B class gourmet that was takoyaki sandwitch with senbei crackers. As taste, not so much things to say.

旅の最後は、終点、三ノ輪橋。ジョイフル三ノ輪橋という商店街があり、ずらっと店が並んでいます。商店街の中の銭湯でひと風呂浴びました。なかなか大きなお風呂屋さんで、お風呂が7種類ぐらいあります。近所のおばあちゃん達が「年に一度のお祭りだで、晴れてよかった」とおしゃべりしていました。たしかに、商店街のはじっこで神輿が左右にはげしく揺れていました。でも、それ以外は平常通りの営業をしていて、さっぱりした雰囲気だったけど、大事なお祭りだったんだなあ、と思いました。お風呂場はお年寄りの社交場になっているケースが多いです(昔、女性は、家庭のグチをここで言ってたんじゃないかな)。こういうコミュニティ、日本に残って欲しいな、と切に思います。
The last stop of the Arakawa line and our trip, is Minowabashi station. It has huge shopping center named Joyful Minowabashi. Fun cheap shops lined. We went to Sento-public bath in the shopping area. Some older women were bathing and chattering about festival on that weekend. I hope that this kind of culture survive as people's community.

「ものしり五郎丸」イベントのお知らせ book reading


「ものしり五郎丸」関連のイベントのお知らせです。

先日お知らせした通り、6月24日から7月19日まで、名古屋のメルヘンハウスで原画展をやりますが、(額装などの作業も順調に進んでいます〜)、尾張地区のケーブルテレビさんが取材に来て下さる事になりました。前回に続き、私のしどろもどろの、インタビューが放送されるのかどうかは未定ですが、ご覧頂けたら、光栄です。

7月11日には、青山ブックセンターでよみきかせに参加させていただきます。
15:00〜15:30 の予定です。
こちらも、ドキドキです。
I have some events for new book.
CATV will come to exhibition at Nagoya bookstore on June 24. Nervous.
I will have book reading at Aoyama Book center on July 11, Sunday. 15:00-15:30. Exciting!

2010年6月7日

summer has come! なつがはじまる

暑くなりました。薄着になり、着ているものが軽くなったからなのか、気持ちも軽やか。新しい事が始めたくなる季節です。
It's getting hot. We wear lighter and we feel lighter. We get feeling to start something new.
いろいろなものが、夏仕様に変化します。冬には、あたたかいお茶を入れて飲んでいたものの代わりに、冷蔵庫に「冷やしたお茶」を常備するようになりました。今は、もらったハイビスカスとレモングラスのハーブティーにハチミツを入れて、冷やしています。ピンクできれいで、なんか幸せ〜。
I change various thing into summer style. I was drinking hot tea in cold weather, but now I make tea and keep it cool in refrigerator. Now I like hibiscus and lemongrass tea with a dip of honey. It is pink and makes me happy!

髪の毛を切りに行きました。新しい美容室にチャレンジ。まさに、軽くなった。このまま、新しい事、起こりそうだっていう、気持ち〜。
I have gotten hair cut. I went to new salon. My hair is lighter. Something new would happen!



サンロード商店街を歩いてたら、はやくも「祝、菅総理大臣」という幕がアーケードにかかっていました。あたらしい「総理大臣」に「内閣」。軽やかな心持ちで見れば、「がんばって!」という期待を持った気持ちになりました。
In neighbor shopping center, they hang flag saying "Congratulations! for Kan Prime Minister." New Prime Minister and New government. I just feel supporting them with fresh feeling.
マスコミは、「ここがダメ」「日本は終わりだ」みたいに報道をして、絶望的な気持ちをあおるけれど、ネガティブな事だけ聞いていると、本当に、将来に対して暗い気持ちになります。絶望だけではなく、希望だって生きていくためには必要。「何がダメ」だけではなく、「何を目指していて、そのためになんの問題点があるのか」を話し合いながら、なんらかの運営を前向きにしていかなきゃいけないのは、個人、家庭レベルから、国の政治レベルまで、基本じゃないのかな、と。何をしても批評してくる奥さん(旦那さん)といて、がんばれないですよね。まずは、見守りたいな。
Media has tendency to just criticise whatever the government do, and point out negative aspects of the all thing. Probably they believe that sells well by showing despair. But we need hope to live. To operate the thing, somebody must do something, even it has problem in some cases, still we have to choose. It is so easy to just criticise whatever somebody done from outside. But we have to choose better way to operate the country (individual or family or small community etc ). Can you live with husband/wife who just criticise whatever you've done? I want to see quietly for a while.

2010年6月1日

Diary for broken hearts 失恋回復手帳

私は、ラジオファンで、日中ラジオをつけている。今日、「失恋回復手帳」なるものが紹介されていた。
Today, the radio talked about "diary for the broken hearts."

それは、京都のフリーペーパーが、「私達が日常で出会う災害の一つに、失恋がある」と防災グッズの一つとして制作したものだと言う。災害のひとつ!心理学の教授の指導のもと、自分の状態を数値化して、冷静に立ち向かい、時に偉人の言葉が散りばめられ、泣ける映画や、前向きになれる恋愛映画などが適時に記されている。へえ〜!ちなみに、この失恋手帳は3ヶ月分しかないという。理由は、「回復には、3ヶ月がメド」という。3ヶ月より後は、もう卒業しましょう、ていうことなのだ。災害、という割には、短期間なのね。
It was the diary to recover from the lost love. A free paper magazine made it as project to make protection from the disaster.They thought that the lost love was one of our closest disasters in daily life. With psychologist help, they have three month curriculum such as analysis, quarts and recommendations of movies. It was limited for three months. That's why people get over from the lost love for three months.

でも、なんとなく、わかる。失恋直後、人はどっぷり落ちる。ベースにしていた生活が崩れ、精神状態はぐらぐらになる。そのまま鬱病になったり、自暴自棄になったり、自殺を考えちゃう人だっている。が、しかるべき時が過ぎると、その痛みを忘れ、ちゃんと前向きに暮らせるようになる。人は忘れる生き物なのだ。
私が友人の恋愛相談に乗っていると、「くだらないなあ」と後ろから言われて、びっくりした事がある。が、考えてみれば、子育て中で毎日が戦争の人にしてみれば、「たかが恋愛」に思えたとしても、ムリはない。恋愛云々から遠ざかってから、10年以上も経っているとか、生活や仕事に忙殺されている人には、生きるか死ぬかの問題に比べれば、恋愛などそれほど重大な問題に見えない。が、本人にとっては、その瞬間、それは災害レベルなのだ。
その問題に3ヶ月だけ真正面から取り組んだ防災グッズ。案外、いいのかもしれないなあ、と思った。
It could be. Once we got broken heart, we were so down. We lost the basement where we were standing on until then, and mentally unstable. Some people were mentally damaged and even thought of suicide. But time helps usually. If we went through the hard time, we started to live OK. Human beings forget.
Once we forget, the love matter is not big deal. You are busy for days, kids or job, then love is lighter than other problems. But remember, for the people in the matter, the lost love is as hard as the disaster.
The diary for broken heart might be helpful.