友人に、丸の内にできた、新しい美術館の招待券をもらったので、いそいそ出かける事にした。東京に出てきて、美術館に行くの、はじめてなので、わくわく。
I went to new museum in the center of Tokyo business area. I was excited.
美術館だらけのニューヨークでは、その周りが公園のように市民の憩いの場所になっていて、そこで本を読むだけの人、涼むだけの人、いちゃいちゃするだけのカップルなど、素晴らしい美術品がはいった箱であると同時に、カジュアルな場所でもあった。
In NY, the surroundings of museums are all place for citizen. People are casually reading, playing and chatting in the stairs of front entrance.
が、、、丸の内って、平日の日中に初めて行ったのだけど、本当に、こぎれいな場所でびっくりしました。そして、丸の内OLさんって、ホント、雑誌から出てきたみたいに、きちんとした服装をしている。私、生まれてこのかた、そこまできちんとした格好をした事がなかったので、ただただ、感心してしまいました。これを毎日、続けてるなんて、すごい、、、
But this museum in Tokyo was so different. The area was really tidy and the office working women around there were nicely wearing like latest fashion magazines. I had never worn like that. I was so shocked that these women wore like that every day,,,,
そのまま、出版社で、原画展の打ち合わせをして、絵本にサインをしました(絵本ナビで売ってもらえるそうです)。私の出入りする所では、この格好で大丈夫だから、こうなっちゃってる訳なんですねえ。私なりに、こぎれいな格好で出かけてるつもりなんだけど。これで、母親とかになって、保護者会とかに、こういう格好で行ったら、やっぱりまずいんだろうか?イマイチ、TPOがわからないのでした〜。やれやれ。
I went to the publisher to have meeting about exhibition and signed books after that. I wore OK for my business and surroundings. Can I make it when I have a child and go to PTA things? I do not know TPO here.
2010年5月31日
2010年5月26日
poor in young 若い時の苦労は買ってでも?
「若い時の苦労は買ってでもしろ」ということわざがある。「かわいい子には、旅をさせろ」も似た意味になるのかな。昔、若者は、早くから、丁稚や就職で都会に出る事が多かったし、経済的にも精神的にも苦労が多かった。
An old Japanese proverb says "The youngers should have a hard time even they have to pay for it." Long time ago, many youngers had to work apart from hometown and and they must have difficult time financially and mentally.
苦労の渦中にある時は、「苦労しなくて済むなら、その方がいいんじゃないか」と思わずにはいられない。実際の貧乏や苦労は、おとぎ話や映画の中のように、ほのぼのなんてしてない。それゆえのケンカがあったり、恥ずかしい思いをしたり、人間関係で痛い思いをしたりする。その結果、心だってすさむし、自分のイヤな部分も見える。経験したからこそ、それを2度と味わいたくないな、という苦いものだと思う。でも、最近(年をとったせいか)、若い時にしか苦労に耐えられないから、こういう言葉があるんだな、と感じるようになった。年齢を経ると、人はその時以上の苦労には耐えられなくなっていく。若い時に苦労すると、その分だけ、その後の人生の行動範囲や視野が拡げられる、という意味なのかなあ、と。
When in the time, nobody enjoyed a hard time. If they do not have to, they do not want to go through. Real poverty or trouble is nothing funny but really tough. They had fight on it, sometime feel ashamed, hurt in the friendship or relationship. They had to face on bad side of themselves sometimes and experienced unnecessary heartache. We really do not want to experience the same again as we already went through it. But I recently noticed that word exists since we can bear the hard time only when we are young.
昔の人に比べれば、甘ったるいものではあるが、私もまあまあの貧乏生活を送ったことがある。一番きつかったのはボストン時代、一軒家の屋根裏部屋に住んだ時で、外が−20℃なのに、一切暖房を禁止されていて、窓からの冷気で、寝られないぐらいだった。起きてる間は毛布をかぶって、課題をした。床が斜めだったので、鉛筆やらペンが転がってしまったし、背の低い私でも、部屋のはじでは、天井に頭がついてしまった。一度風邪を引くと、寒さのせいで、二度と治らず、最後は友達の家に避難するしかなかった。
経験したから、同じ事がもう一度我慢できる訳じゃない。また同じ事をしろ、と言われたら、もう無理である。でも、あたたかい部屋に住めるだけで、どこへでも行けるようにはなったと思う。少なくても、「最低限こういう部屋じゃなきゃ暮らせない」のレベルは下がった。いい事なのか悪い事なのかは、わからないけど。
I had a little poor experience. The worst time is that when I was in Boston. I lived in the attic-where we were not allowed to use any heat even it was -20℃ outside. I could not sleep some night by cold air from the window. I always covered myself with blanket to do my assigment. The floor was shallow. So pencils and pens were rolling on the floor. I could not stand since the ceilling was low. Once I caught a cold, I never recovered of cold aid inside. I stayed at my friend's finally. Looking back those days, I am now so happy to have a warm house with heating system.
。
この一軒家は住宅街にあったので、コインランドリーまでバス停3個分ぐらいあった。その2、5キロを大荷物で歩くのだ。外は軽く−10度以下になる。毎日学校があるし、週末は混んでるし、治安が悪いので夜9時前までに全部終わらせなければいけない。2週間に1度、金曜の学校が終わってから行くのだが、これが相当辛かった。たまに、歩いてる時に泣けてきた事もあった。これも2度とやりたくない。でも、そのおかげで、今、洗濯機が家にある喜びをかみしめる事ができるのかな、とも思う。日本では、洗濯機が家にあるのが、ほぼ当たり前に思ってしまっていたから。自分の稼ぎで買ったドラム洗濯機が、本当にかわいらしいと思う。Viva、私のドラムちゃん!
I had to walk half hour to do laundry under -10℃. I was busy for the school and I only could make it once two weeks. I cried on the way sometime. I really did not want to do this again. In Japan, almost everybody has laundry system at home and it is common sense to do laundry everyday. But I feel thank to that since I had that experience.
最近では、日本でもシェアハウスが浸透してるようだけど、私も赤の他人と生活する事を、海外で覚えた。ボストンの一軒家は、1階部分に持ち主一家が住んでいて、2階と屋根裏を5人程でシェアしていた。純粋なアメリカ人の若者と生活するのは、なかなかハードだ。見た目はきれいな女の子なのに、台所に食材を放ったらかしにして、キッチンがハエだらけになるし、それぞれガールフレンドだのボーイフレンドだのを複数連れてくるし(シャワーとトイレはみんなでひとつ)、人の食べ物は勝手に食べるし、掃除はしないし、、、でも、考えてみれば、核家族で育って、人と共同生活なんて送るチャンスがそれまでなかった。もうしたくないけど、でも、共同生活は若いうちにしておくといい事のひとつだと思う。自分だけのルールや気難しさに気がつくし、人がいてもリラックスする方法や、相手をリラックスさせる方法が、身につく。人は、人と暮らす事もできた方が、いいと思う。
To have roommates is what I experienced oversea for the first time. Actually it is not easy to live with different cultural background people-they do not care cleaning the house and we had much bags. They brought several boyfriends and girlfriends all the time(we only have one shower and toilet for 5 people) But I do not have any chance to live with others except family if I did not have roommates overseas. It is not easy to live with others, but one of the good things to experience when we are young. Otherwise, we make up own rules and getting difficult to share the time and space and even life.
日本は豊かな国で、自分たちの世代は「当たり前」になんでも手に入れてきた世代だと思う。平均でありさえすれば、「これぐらい」は当たり前、と。でも、時代は変わる。今まで手に入ったものが入らなくなる時もあれば、社会全体が貧しくなったり、人生が急に違う方向に転がる事もある。そういう時、「当たり前」じゃない時代を持っている事が財産になるのかもしれない。発想を変えて、どんな時代も、それなりに幸せに生きていかなきゃいけないのだから。「若い時にしか、貧乏や苦労をするチャンスがない。」とおばが言ってた事があったけど、確かにそうかも、と思う。買ってまでするのは、とても、難しい事だけど。
Japan is wealthy for last few decades and our generation get many things naturally. If we are average person, we get "this and that and them" ordinally. But the time changes. What you could get until now is not available from one point of time. We all can suddenly poor. Or one's life turned into different direction. When we are in not available time, the experience that we had less can be meaningful. My aunt said "Only chance to experience poorness and hard time is when they are young" might be right. It is difficult to willing to do so though,,,
An old Japanese proverb says "The youngers should have a hard time even they have to pay for it." Long time ago, many youngers had to work apart from hometown and and they must have difficult time financially and mentally.
苦労の渦中にある時は、「苦労しなくて済むなら、その方がいいんじゃないか」と思わずにはいられない。実際の貧乏や苦労は、おとぎ話や映画の中のように、ほのぼのなんてしてない。それゆえのケンカがあったり、恥ずかしい思いをしたり、人間関係で痛い思いをしたりする。その結果、心だってすさむし、自分のイヤな部分も見える。経験したからこそ、それを2度と味わいたくないな、という苦いものだと思う。でも、最近(年をとったせいか)、若い時にしか苦労に耐えられないから、こういう言葉があるんだな、と感じるようになった。年齢を経ると、人はその時以上の苦労には耐えられなくなっていく。若い時に苦労すると、その分だけ、その後の人生の行動範囲や視野が拡げられる、という意味なのかなあ、と。
When in the time, nobody enjoyed a hard time. If they do not have to, they do not want to go through. Real poverty or trouble is nothing funny but really tough. They had fight on it, sometime feel ashamed, hurt in the friendship or relationship. They had to face on bad side of themselves sometimes and experienced unnecessary heartache. We really do not want to experience the same again as we already went through it. But I recently noticed that word exists since we can bear the hard time only when we are young.
昔の人に比べれば、甘ったるいものではあるが、私もまあまあの貧乏生活を送ったことがある。一番きつかったのはボストン時代、一軒家の屋根裏部屋に住んだ時で、外が−20℃なのに、一切暖房を禁止されていて、窓からの冷気で、寝られないぐらいだった。起きてる間は毛布をかぶって、課題をした。床が斜めだったので、鉛筆やらペンが転がってしまったし、背の低い私でも、部屋のはじでは、天井に頭がついてしまった。一度風邪を引くと、寒さのせいで、二度と治らず、最後は友達の家に避難するしかなかった。
経験したから、同じ事がもう一度我慢できる訳じゃない。また同じ事をしろ、と言われたら、もう無理である。でも、あたたかい部屋に住めるだけで、どこへでも行けるようにはなったと思う。少なくても、「最低限こういう部屋じゃなきゃ暮らせない」のレベルは下がった。いい事なのか悪い事なのかは、わからないけど。
I had a little poor experience. The worst time is that when I was in Boston. I lived in the attic-where we were not allowed to use any heat even it was -20℃ outside. I could not sleep some night by cold air from the window. I always covered myself with blanket to do my assigment. The floor was shallow. So pencils and pens were rolling on the floor. I could not stand since the ceilling was low. Once I caught a cold, I never recovered of cold aid inside. I stayed at my friend's finally. Looking back those days, I am now so happy to have a warm house with heating system.
。
この一軒家は住宅街にあったので、コインランドリーまでバス停3個分ぐらいあった。その2、5キロを大荷物で歩くのだ。外は軽く−10度以下になる。毎日学校があるし、週末は混んでるし、治安が悪いので夜9時前までに全部終わらせなければいけない。2週間に1度、金曜の学校が終わってから行くのだが、これが相当辛かった。たまに、歩いてる時に泣けてきた事もあった。これも2度とやりたくない。でも、そのおかげで、今、洗濯機が家にある喜びをかみしめる事ができるのかな、とも思う。日本では、洗濯機が家にあるのが、ほぼ当たり前に思ってしまっていたから。自分の稼ぎで買ったドラム洗濯機が、本当にかわいらしいと思う。Viva、私のドラムちゃん!
I had to walk half hour to do laundry under -10℃. I was busy for the school and I only could make it once two weeks. I cried on the way sometime. I really did not want to do this again. In Japan, almost everybody has laundry system at home and it is common sense to do laundry everyday. But I feel thank to that since I had that experience.
最近では、日本でもシェアハウスが浸透してるようだけど、私も赤の他人と生活する事を、海外で覚えた。ボストンの一軒家は、1階部分に持ち主一家が住んでいて、2階と屋根裏を5人程でシェアしていた。純粋なアメリカ人の若者と生活するのは、なかなかハードだ。見た目はきれいな女の子なのに、台所に食材を放ったらかしにして、キッチンがハエだらけになるし、それぞれガールフレンドだのボーイフレンドだのを複数連れてくるし(シャワーとトイレはみんなでひとつ)、人の食べ物は勝手に食べるし、掃除はしないし、、、でも、考えてみれば、核家族で育って、人と共同生活なんて送るチャンスがそれまでなかった。もうしたくないけど、でも、共同生活は若いうちにしておくといい事のひとつだと思う。自分だけのルールや気難しさに気がつくし、人がいてもリラックスする方法や、相手をリラックスさせる方法が、身につく。人は、人と暮らす事もできた方が、いいと思う。
To have roommates is what I experienced oversea for the first time. Actually it is not easy to live with different cultural background people-they do not care cleaning the house and we had much bags. They brought several boyfriends and girlfriends all the time(we only have one shower and toilet for 5 people) But I do not have any chance to live with others except family if I did not have roommates overseas. It is not easy to live with others, but one of the good things to experience when we are young. Otherwise, we make up own rules and getting difficult to share the time and space and even life.
日本は豊かな国で、自分たちの世代は「当たり前」になんでも手に入れてきた世代だと思う。平均でありさえすれば、「これぐらい」は当たり前、と。でも、時代は変わる。今まで手に入ったものが入らなくなる時もあれば、社会全体が貧しくなったり、人生が急に違う方向に転がる事もある。そういう時、「当たり前」じゃない時代を持っている事が財産になるのかもしれない。発想を変えて、どんな時代も、それなりに幸せに生きていかなきゃいけないのだから。「若い時にしか、貧乏や苦労をするチャンスがない。」とおばが言ってた事があったけど、確かにそうかも、と思う。買ってまでするのは、とても、難しい事だけど。
Japan is wealthy for last few decades and our generation get many things naturally. If we are average person, we get "this and that and them" ordinally. But the time changes. What you could get until now is not available from one point of time. We all can suddenly poor. Or one's life turned into different direction. When we are in not available time, the experience that we had less can be meaningful. My aunt said "Only chance to experience poorness and hard time is when they are young" might be right. It is difficult to willing to do so though,,,
2010年5月25日
Making of Goromaru メイキング「五郎丸」
すでに本になって、売られている五郎丸だが、最初にキャラクターを考える時に、いくつかしたスケッチが残っている。
These are the sketches of Goromaru.
結構、後ろが余白の時に、大変なので、迷ったが、キャラクターには白が一番合ってるかなあ、と。ちなみに、最初は鼻の周りが黒かった。
I tried some version of Goromaru before starting. White plane dog is difficult on white background, and I wondered. First he had black spot on his nose.
しろで、全体の雰囲気とどう合うか、試してみる。特に、雨のシーンでどうなるかな、とか。
I tried white plane Goromaru with background. Especially I wondered the scenery of rain.
結果はこうなりました。あわれな感じが出ました〜
This is final painting. Goromaru looks poor successfully.
These are the sketches of Goromaru.
結構、後ろが余白の時に、大変なので、迷ったが、キャラクターには白が一番合ってるかなあ、と。ちなみに、最初は鼻の周りが黒かった。
I tried some version of Goromaru before starting. White plane dog is difficult on white background, and I wondered. First he had black spot on his nose.
しろで、全体の雰囲気とどう合うか、試してみる。特に、雨のシーンでどうなるかな、とか。
I tried white plane Goromaru with background. Especially I wondered the scenery of rain.
結果はこうなりました。あわれな感じが出ました〜
This is final painting. Goromaru looks poor successfully.
2010年5月24日
Sunny Saturday and Rainy Sunday はれのちあめ
何もない週末を、ぜいたくに過ごす方法。
There are several ways to spend luxury weekend for free.
土曜日は晴れ。公園で、勉強をする事にした。
On Sunny Saturday, we studied at the park,
お弁当は、トーストサンド。中身はちょっとがんばった。
with handmade sandwich-grilled chicken salad and egg salad.
見える風景はこれ。湖畔でみんな釣りしてます。
with a view of the lake-people were fishing.
日曜日は雨。図書館にて、読書。周りは、女子高生が世界史の勉強をしてて、うるさいですが、まあ、公立図書館だし、地元の人々のものだしねえ。
On rainy Sunday, we read at public library. Behind us, high school girls were chatting.
木の香りのする、新しい図書館。どうやら町の財政状態は良さそうだ。目の前はガラス張りで、そこには、本物の森。
It was beautiful wooden new library. Through the huge glass window
見える風景はこれ。ぜいたくですねえ〜。
we had real forest view. How luxury!
There are several ways to spend luxury weekend for free.
土曜日は晴れ。公園で、勉強をする事にした。
On Sunny Saturday, we studied at the park,
お弁当は、トーストサンド。中身はちょっとがんばった。
with handmade sandwich-grilled chicken salad and egg salad.
見える風景はこれ。湖畔でみんな釣りしてます。
with a view of the lake-people were fishing.
日曜日は雨。図書館にて、読書。周りは、女子高生が世界史の勉強をしてて、うるさいですが、まあ、公立図書館だし、地元の人々のものだしねえ。
On rainy Sunday, we read at public library. Behind us, high school girls were chatting.
木の香りのする、新しい図書館。どうやら町の財政状態は良さそうだ。目の前はガラス張りで、そこには、本物の森。
It was beautiful wooden new library. Through the huge glass window
見える風景はこれ。ぜいたくですねえ〜。
we had real forest view. How luxury!
2010年5月21日
somebody somewhere 人伝に
先日、出版社に伺った所、編集さんが、「ああ、ものしり五郎丸、見たわよ〜。三越で平積みになってたわ。よかったわよ〜」と教えてくれた。私は、まだ、一度も平積みを見てないが、人づてに話を聞くと、広がりを感じて、うれしい。
On the other day, an editor told me, "I saw your new books stocking in front in a big department store bookshop. It was good book!" I did not see them in front, yet, but it was great to hear it from somebody.
前に、北海道で、母が「ねこのタマコでございます」を知人の娘さんにあげた所、遊びに来てた近所の子が、「あ、この本、なんでこのおうちに、あるの?図書館にあったやつだ。おもしろんだよー」と言ってた、と嬉しそうに報告してくれた事もある。すごい遠い地域で、知らない所で、誰かと私の本がつながってるんだなあ、と感動してしまった。
My mom had experienced that she gave a friend's daughter one of my books and neighbor boy came over and said, "I know the book. I like it!" My mom told me happily.
若干、暗い趣味だなあ、と思いつつ、「ものしり五郎丸」とgoogleで検索する。すると、日本中の図書館で、入れてくれた所の名前が出てくる。北海道から、九州、知らない地名、行った事のない県、聞いた事だけある土地、、、なんか、私の代わりに、私の本が、旅行をしてるような気持ちになる。自分と、読んだ人との繋がりがうまれる事は、まれ、である。でも、いろんな土地で、本は人の手に渡り、誰かのカバンに入り、誰かに読まれ、誰かの会話にのぼっているのかなあ、と思いをはせる。たった一冊の本だけど、私の手を離れて、旅に出て、そして、たまに、そのかすかなつながりの破片を私に見せてくれる。
I googled my new book sometime. I could see libralies all over Japan bought it. I have never been there, I only know the name, or I never even heard of it, but my book is there. It is in somebody's hands, in somebody's bag, and somebody is reading ir or somebody is talking on it. It is funny feeling. I rarely have connection to the reader, but once in a while, I saw the small link with the readers, somebody somewhere.
On the other day, an editor told me, "I saw your new books stocking in front in a big department store bookshop. It was good book!" I did not see them in front, yet, but it was great to hear it from somebody.
前に、北海道で、母が「ねこのタマコでございます」を知人の娘さんにあげた所、遊びに来てた近所の子が、「あ、この本、なんでこのおうちに、あるの?図書館にあったやつだ。おもしろんだよー」と言ってた、と嬉しそうに報告してくれた事もある。すごい遠い地域で、知らない所で、誰かと私の本がつながってるんだなあ、と感動してしまった。
My mom had experienced that she gave a friend's daughter one of my books and neighbor boy came over and said, "I know the book. I like it!" My mom told me happily.
若干、暗い趣味だなあ、と思いつつ、「ものしり五郎丸」とgoogleで検索する。すると、日本中の図書館で、入れてくれた所の名前が出てくる。北海道から、九州、知らない地名、行った事のない県、聞いた事だけある土地、、、なんか、私の代わりに、私の本が、旅行をしてるような気持ちになる。自分と、読んだ人との繋がりがうまれる事は、まれ、である。でも、いろんな土地で、本は人の手に渡り、誰かのカバンに入り、誰かに読まれ、誰かの会話にのぼっているのかなあ、と思いをはせる。たった一冊の本だけど、私の手を離れて、旅に出て、そして、たまに、そのかすかなつながりの破片を私に見せてくれる。
I googled my new book sometime. I could see libralies all over Japan bought it. I have never been there, I only know the name, or I never even heard of it, but my book is there. It is in somebody's hands, in somebody's bag, and somebody is reading ir or somebody is talking on it. It is funny feeling. I rarely have connection to the reader, but once in a while, I saw the small link with the readers, somebody somewhere.
2010年5月18日
dress-change ころもがえ
Everyday Sunny finally!
ようやく、あたたかくなり、毎日、いい天気!衣替えをしなくちゃ、と、冬物の洗濯にいそしむ日々です。
I decided to do laundry of all winter clothing for welcoming summer.
とはいえ、ワンルームのアパート住まい。陰干しなどできる場所がそれほどあるわけでもなく、一日につき4、5枚ずつ、地味〜に洗っては、窓の桟やら、ドアのへりに順番に干していく作業が続きます。かなり、夏物と冬物の入れ替えが進みました。
It is a small studio. I do not have enough space for hanging. I washed 4 sweaters or scarves one time. Slowly summer clothing are taking over the winter's.
そして、大物も。コタツ布団をザブザブ洗いして、干しました。アパートとはいえ、猫のひたい程の庭があり、物干し台もあるので、とても助かります。そういえば、上海万博のPRのため、上海市民は「文化的な暮らし方をするように、屋外に洗濯物を干さないように」と言い渡されたとニュースでやっていたけど、私は、洗濯物が外に干してある風景って、それこそ、人間らしい文化を感じて、とても好きなんだけどなあ。日本でも最近の住宅事情やアレルギー問題(私も花粉の時期は外干しできません)で、見られなくなっていく気がするけど、、、
Then big laundry! I washed futon. My apt has tiny garden with hanging. I heard that In Shanghai, government told citizen not to hung the laundry outside during Expo since it is out of civilized life. I think the laundry outside is a symbol of people's life and very beautiful. Well, it is getting less in Japan because of new style of life. I missed the scenery,,,
実家のベランダは広かったので、おふとんは、干し放題でした。何個いっぺんに干しても、大丈夫。そして、干しておいたふとんに顔をうずめると、おひさまのにおいと、フワフワ感に、そのまま寝てしまいたくなったものです。
In my parent's house, there was big balcony and we could hang as much futon as possible. Diving into the warm soft futon, I nearly asleep for comfot.
昔は、屋根の瓦に布団を干しているのも、見かけました。もし、私が猫だったなら、あそこに寝たかったなあ。
I used to see some futon on thr roof. If I were a cat, I would have a great nap there.
ちなみに、うちの近所のノラ猫たちは、道路のど真ん中で、日がな一日ひる寝してます。そりゃあ、袋小路で車はほとんど来ないけどー、いいのかねえ。声をかけても、無視されます。わかってるのに、なんか、かまいたくなります。きっと、いやがられてるんだろうなあ。
My neighbor cats are sleeping on the road. It rarely has car passing since it is inside of housing area, but I still worry about them. They ignore my warning. I want to be friends with them, in vain,,,
ようやく、あたたかくなり、毎日、いい天気!衣替えをしなくちゃ、と、冬物の洗濯にいそしむ日々です。
I decided to do laundry of all winter clothing for welcoming summer.
とはいえ、ワンルームのアパート住まい。陰干しなどできる場所がそれほどあるわけでもなく、一日につき4、5枚ずつ、地味〜に洗っては、窓の桟やら、ドアのへりに順番に干していく作業が続きます。かなり、夏物と冬物の入れ替えが進みました。
It is a small studio. I do not have enough space for hanging. I washed 4 sweaters or scarves one time. Slowly summer clothing are taking over the winter's.
そして、大物も。コタツ布団をザブザブ洗いして、干しました。アパートとはいえ、猫のひたい程の庭があり、物干し台もあるので、とても助かります。そういえば、上海万博のPRのため、上海市民は「文化的な暮らし方をするように、屋外に洗濯物を干さないように」と言い渡されたとニュースでやっていたけど、私は、洗濯物が外に干してある風景って、それこそ、人間らしい文化を感じて、とても好きなんだけどなあ。日本でも最近の住宅事情やアレルギー問題(私も花粉の時期は外干しできません)で、見られなくなっていく気がするけど、、、
Then big laundry! I washed futon. My apt has tiny garden with hanging. I heard that In Shanghai, government told citizen not to hung the laundry outside during Expo since it is out of civilized life. I think the laundry outside is a symbol of people's life and very beautiful. Well, it is getting less in Japan because of new style of life. I missed the scenery,,,
実家のベランダは広かったので、おふとんは、干し放題でした。何個いっぺんに干しても、大丈夫。そして、干しておいたふとんに顔をうずめると、おひさまのにおいと、フワフワ感に、そのまま寝てしまいたくなったものです。
In my parent's house, there was big balcony and we could hang as much futon as possible. Diving into the warm soft futon, I nearly asleep for comfot.
昔は、屋根の瓦に布団を干しているのも、見かけました。もし、私が猫だったなら、あそこに寝たかったなあ。
I used to see some futon on thr roof. If I were a cat, I would have a great nap there.
ちなみに、うちの近所のノラ猫たちは、道路のど真ん中で、日がな一日ひる寝してます。そりゃあ、袋小路で車はほとんど来ないけどー、いいのかねえ。声をかけても、無視されます。わかってるのに、なんか、かまいたくなります。きっと、いやがられてるんだろうなあ。
My neighbor cats are sleeping on the road. It rarely has car passing since it is inside of housing area, but I still worry about them. They ignore my warning. I want to be friends with them, in vain,,,
2010年5月17日
pen drawing ペン画 こども
2010年5月13日
image talks ビジュアルの役割
友人に、書いた原稿を読んでもらった。
I asked my friend to read the story.
友人曰く、「これ、文字だけで読むと、重いね、、、」とのこと。え?そう?私はあんまり予想してなかった反応に、びっくりした。
She said, "this looks heavy when I only read the letters." Really? I did not expect the reaction.
この話は、ちょっとまのぬけた、かわいいラブストーリーのつもりだったのだ。でも、言われてみて、自分も文字だけで読むと、確かに、そうかも、、、
The story is humorous cute love story about hen. Thinking of her opinion, I read through it again and it could be...
文章を書いてる時には、私の頭の中には、すでに「ちょっと大人向け」「2、3色の特色印刷で、初期の頃の絵本の雰囲気で」「シックなフォント」「チャプターブックのように」と、かなり「こんな雰囲気にしたい」という像が具体像で浮かんでいた。そうしたビジュアルがあるのを予想しながら、古くさい言葉を使っていた。その方がコミカルになるのだ。
I wrote it thinking of images of finished book-sophisticated illuminated book, like a classic picture book, two or three colour print, in the shape of chapterbook, etc, etc. I already have visual information only in my mind. Then I chose old type writing like fable or some sirious words. As a result, they would be comical.
そういえば、名作「100万回生きた猫」だって、あれを最初から文字だけのものとして読んだら、なかなかの重さがある。あの、本当にふてぶてしそうな、貫禄のあるノラ猫を見ながら読むから、バランスが取れるのだ。改めて、ビジュアルの存在の大きさを感じた。自分の仕事は、だからこそあるのにね。それを、久々に意識した出来事だった。
In master picture books, they also would be heavy without visual images. Vision has big influence on the story and inpression. I again realized how powerful the image is.
I asked my friend to read the story.
友人曰く、「これ、文字だけで読むと、重いね、、、」とのこと。え?そう?私はあんまり予想してなかった反応に、びっくりした。
She said, "this looks heavy when I only read the letters." Really? I did not expect the reaction.
この話は、ちょっとまのぬけた、かわいいラブストーリーのつもりだったのだ。でも、言われてみて、自分も文字だけで読むと、確かに、そうかも、、、
The story is humorous cute love story about hen. Thinking of her opinion, I read through it again and it could be...
文章を書いてる時には、私の頭の中には、すでに「ちょっと大人向け」「2、3色の特色印刷で、初期の頃の絵本の雰囲気で」「シックなフォント」「チャプターブックのように」と、かなり「こんな雰囲気にしたい」という像が具体像で浮かんでいた。そうしたビジュアルがあるのを予想しながら、古くさい言葉を使っていた。その方がコミカルになるのだ。
I wrote it thinking of images of finished book-sophisticated illuminated book, like a classic picture book, two or three colour print, in the shape of chapterbook, etc, etc. I already have visual information only in my mind. Then I chose old type writing like fable or some sirious words. As a result, they would be comical.
そういえば、名作「100万回生きた猫」だって、あれを最初から文字だけのものとして読んだら、なかなかの重さがある。あの、本当にふてぶてしそうな、貫禄のあるノラ猫を見ながら読むから、バランスが取れるのだ。改めて、ビジュアルの存在の大きさを感じた。自分の仕事は、だからこそあるのにね。それを、久々に意識した出来事だった。
In master picture books, they also would be heavy without visual images. Vision has big influence on the story and inpression. I again realized how powerful the image is.
2010年5月12日
Kae's English Diary Kaeの英語観察日誌
Argumentは、旺文社が高校の英語教師向けに出している冊子である。ここで、私は1ページのイラストエッセイを書かせてもらっている。年に2回の発行だが、かなりのページがたまってきた。ということは、もう何年もお世話になっているのだなあ、と時間の流れを感じる。
This is the illustration essay job for Argument-the magazine for high school English teachers. It is published twice a year. I did a page for each issues. Now more than 15 pages I have done. The time has passed since I started.
これが、最新号。
日本では、「若いのが一番」ジョークや、「年だから」自虐的ギャグがまかりとおっていて、女性は、「女の子」→「おばさん」という真ん中すっとばしの進化をとげてしまうように思う。でも、アメリカの女性は、女性であり続ける。体型や見かけは、むしろ日本人よりも、豪快に変化する人たちも多いのだが、ぷくぷくの体に、背中の開いたドレスをどっちり身につけて、自信満々に、「私は、花柄が似合うって、彼が言うの」と旦那とほほ笑み合う。「腐っても鯛」ばりに、「年とっても女」でありたいな、と思う。
It is the latest issue.
"I got 35 years old. In Japan, they call "around 40" and people treated as a middle age women. But in a questionnaire in NY, they said that 35 year-old girl is the most poplar for the men. The women got enough career after graduation and went through much life experience then they becane more attractive as a matured woman. My teacher said to me, "you matured nicely" and that was the best appreciation I felt. That kind of praises push girls to maintain themselves well and they became beautiful forty-something, fifty-something.
This is the illustration essay job for Argument-the magazine for high school English teachers. It is published twice a year. I did a page for each issues. Now more than 15 pages I have done. The time has passed since I started.
これが、最新号。
日本では、「若いのが一番」ジョークや、「年だから」自虐的ギャグがまかりとおっていて、女性は、「女の子」→「おばさん」という真ん中すっとばしの進化をとげてしまうように思う。でも、アメリカの女性は、女性であり続ける。体型や見かけは、むしろ日本人よりも、豪快に変化する人たちも多いのだが、ぷくぷくの体に、背中の開いたドレスをどっちり身につけて、自信満々に、「私は、花柄が似合うって、彼が言うの」と旦那とほほ笑み合う。「腐っても鯛」ばりに、「年とっても女」でありたいな、と思う。
It is the latest issue.
"I got 35 years old. In Japan, they call "around 40" and people treated as a middle age women. But in a questionnaire in NY, they said that 35 year-old girl is the most poplar for the men. The women got enough career after graduation and went through much life experience then they becane more attractive as a matured woman. My teacher said to me, "you matured nicely" and that was the best appreciation I felt. That kind of praises push girls to maintain themselves well and they became beautiful forty-something, fifty-something.
2010年5月10日
hello on the walk たまむしさんのさんぽでこんにちは!
去年、世界文化社のワンダーブックのプチノートで、一年連載されていた「たまむしさんの、さんぽでこんにちは」のイラストを担当させてもらいました。子供たちに、虫や植物に親しんでもらいたい、という企画で、やさしい目線の文章がステキでした。私は、「リアル過ぎず、でも、それらしく、それでいてかわいらしく」虫を描いて欲しい、という事で、はじめて、毎月虫の資料と格闘してイラストを描き続けました。知らなかった虫や、自然現象と出会えて、とても勉強になりました。
These are the illustrations for magazine called "putite note." I illustrated essay about insects and nature for a year.
最初の一コマは、だいたい、そのテーマに沿った、子供の姿
木の芽に近づいてみてみよう
冬芽は、いろいろあって、おもしろいよ
雑木林で「どんぐり」をあつめよう
どんぐりから出てくる幼虫を育てると、こんなかわいい虫になるよ
These are the illustrations for magazine called "putite note." I illustrated essay about insects and nature for a year.
最初の一コマは、だいたい、そのテーマに沿った、子供の姿
木の芽に近づいてみてみよう
冬芽は、いろいろあって、おもしろいよ
雑木林で「どんぐり」をあつめよう
どんぐりから出てくる幼虫を育てると、こんなかわいい虫になるよ
2010年5月7日
Nobu ノブ
ハルト日記にたびたび登場する「じいじ」こと私の父。ハルトには、最近、「ノブ」と呼ばれているらしい。
This is my father, grandpa of Haruto. Haruto recently called him, "Nobu."
リタイア後のどこにでもいる初老男性のように見えるが、特殊な能力がある。子供が、すぐなつくのだ。
He is ordinal elder man, but he has special ability. Any kids have affection on him.
隣に住んでいる、3兄弟にも大人気だ。毎日のように、「じいちゃん」と遊ぶのを目的に、家に来る。
They are my parent's house neighbour brothers and sister. Every day they visit him for play.
人見知りのはげしい、まだ、乳幼児ぐらいの子供にも、、、
Even very shy baby,,,
This is my father, grandpa of Haruto. Haruto recently called him, "Nobu."
リタイア後のどこにでもいる初老男性のように見えるが、特殊な能力がある。子供が、すぐなつくのだ。
He is ordinal elder man, but he has special ability. Any kids have affection on him.
隣に住んでいる、3兄弟にも大人気だ。毎日のように、「じいちゃん」と遊ぶのを目的に、家に来る。
They are my parent's house neighbour brothers and sister. Every day they visit him for play.
人見知りのはげしい、まだ、乳幼児ぐらいの子供にも、、、
Even very shy baby,,,
2010年5月6日
Rent レント
「レント」をDVDで見た。ニューヨークで、ミュージカルを見る機会がなく、今さら見てるのだけど、音楽がいいなあ、と、くり返し見てるうちに、「よく出来てるなあ」と気付くところがいっぱいあった。クリスマスに始まって、クリスマスで終わっている。それが"five hundreds twenty-five thousands six hundred minutes=1年、をどうやって測ろう?につながってるんだな、とか、その1年の間に、さまざまな愛の物語(別れとか、死とか、仲間とか、、、)を起こして、「愛で年月を測る」て事なんだなあ、と。基本中の基本なんだろうけど、ただ、予備知識もなくボーっと見てたから、自分で気付いた時にはちょっと感動した。
I watched "Rent" on DVD. I had no chance to see it on musical play in NY. I kept watching it since I liked music, then gradually noticed how well done it was. It starts on Christmas and ends Christmas. So many dramas relating to love happened in the play. So they said "to measure" " a year-five hundred twenty-five thousands six hundred minutes" "in Love"
劇中に、ホームレスが「この街は、アーティストだらけ」と悪態をつく場面があるのだけど、そういえば、自分もその一部だったなあ、と思い出していた。小汚くて、貧しくて、確かに「レント=家賃を払う」事に頭を悩ましていた。ニューヨークの家賃はべらぼうに高くて、500ドルぐらいのルームメートのいる部屋を渡り歩き、絵本の仕事を始めてからは、どうしても一人暮らしする必要が出来て、1150ドルの部屋にがんばって住んだ。絵本の印税と雑誌の原稿料がふっとんで、まったく余裕がなかったけど、自分で部屋を改造して住んで、「お城」持ちになった気分になった。でも、ギリギリの生活はあやういものだ。体調を崩してからは、全く頑張りが利かなくなって、最後は「これじゃ、やっていけない」と帰国することにした。レントも1300ドルに値上げされるところだったし。でも、これは帰る国のある私だから、出来た事。あの時、ニューヨークに残らなくてはいけなかったら、、、レントは払えなくなり、ホームレスになりかねなかったとも言える。ホームレスとアーティストの境目は、紙一重、と思ったこともあったなあ。
In the play, there is the scene that homeless said, "this town is full of artist." I was there as a part. I was poor, dirty and always suffer from paying the rent. Rent in NY is super-expensive. First I had roommate and paid 500$ then I need my own apt for my picture book job then paid 1150$. I was just paying rent and no money left. But still I thought it was my castle. But it was not stable. Once I was sick, I lost energy to being ambicious to earn money and finally gave up apt. The landlord asked me 1300$ anyway for next contract. I did not have to be homeless since I had place to go back. But if I did not, how could I survive there? There is just tiny boundary between artist and homeless, I thought at that time.
帰国して、こぎれいな日本の生活をしてるけど、「小汚い、ニューヨークのアーティスト」時代の悪い習慣が何個か抜けない。
1、どこでも地べたに座る。
2、食べ物をこぼす。
3、穴の開いた、くつ、くつした、服、を気にせずに着る。
もう30代も半ばなんだから、気をつけなきゃいけないなあ、と思う。だれも、そんな事は周りで、してないのだしね。でも、たまに、そんな事すらなつかしくて、そして、「プライドだけは一人前」だった自分とすべてのアーティスト達に思いをはせることがある。当時、レントは見てないのに、なつかしかった。
After leaving NY, I am living in clean polite Japan. But still I have "bad" custom at that time.
1.sit down everywhere
2.dripping food
3.wear worn-out clothings, shoes and soxes
I became middle 30's and I should care. But I rememberd everybody around me did not care small things. We all were so proud of themselves for no particular reasons. I did not see RENT there, but still reminds me the time.
I watched "Rent" on DVD. I had no chance to see it on musical play in NY. I kept watching it since I liked music, then gradually noticed how well done it was. It starts on Christmas and ends Christmas. So many dramas relating to love happened in the play. So they said "to measure" " a year-five hundred twenty-five thousands six hundred minutes" "in Love"
劇中に、ホームレスが「この街は、アーティストだらけ」と悪態をつく場面があるのだけど、そういえば、自分もその一部だったなあ、と思い出していた。小汚くて、貧しくて、確かに「レント=家賃を払う」事に頭を悩ましていた。ニューヨークの家賃はべらぼうに高くて、500ドルぐらいのルームメートのいる部屋を渡り歩き、絵本の仕事を始めてからは、どうしても一人暮らしする必要が出来て、1150ドルの部屋にがんばって住んだ。絵本の印税と雑誌の原稿料がふっとんで、まったく余裕がなかったけど、自分で部屋を改造して住んで、「お城」持ちになった気分になった。でも、ギリギリの生活はあやういものだ。体調を崩してからは、全く頑張りが利かなくなって、最後は「これじゃ、やっていけない」と帰国することにした。レントも1300ドルに値上げされるところだったし。でも、これは帰る国のある私だから、出来た事。あの時、ニューヨークに残らなくてはいけなかったら、、、レントは払えなくなり、ホームレスになりかねなかったとも言える。ホームレスとアーティストの境目は、紙一重、と思ったこともあったなあ。
In the play, there is the scene that homeless said, "this town is full of artist." I was there as a part. I was poor, dirty and always suffer from paying the rent. Rent in NY is super-expensive. First I had roommate and paid 500$ then I need my own apt for my picture book job then paid 1150$. I was just paying rent and no money left. But still I thought it was my castle. But it was not stable. Once I was sick, I lost energy to being ambicious to earn money and finally gave up apt. The landlord asked me 1300$ anyway for next contract. I did not have to be homeless since I had place to go back. But if I did not, how could I survive there? There is just tiny boundary between artist and homeless, I thought at that time.
帰国して、こぎれいな日本の生活をしてるけど、「小汚い、ニューヨークのアーティスト」時代の悪い習慣が何個か抜けない。
1、どこでも地べたに座る。
2、食べ物をこぼす。
3、穴の開いた、くつ、くつした、服、を気にせずに着る。
もう30代も半ばなんだから、気をつけなきゃいけないなあ、と思う。だれも、そんな事は周りで、してないのだしね。でも、たまに、そんな事すらなつかしくて、そして、「プライドだけは一人前」だった自分とすべてのアーティスト達に思いをはせることがある。当時、レントは見てないのに、なつかしかった。
After leaving NY, I am living in clean polite Japan. But still I have "bad" custom at that time.
1.sit down everywhere
2.dripping food
3.wear worn-out clothings, shoes and soxes
I became middle 30's and I should care. But I rememberd everybody around me did not care small things. We all were so proud of themselves for no particular reasons. I did not see RENT there, but still reminds me the time.
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