あの日から、5年が経ちました。
今年のお正月は、1年半ぶりに、仙台に行ってきました。
前回とは違い、街から、明るさを感じました。
もちろん、大切な人を失い、生活の基盤が崩れてしまった人たちには、
今も、重く、辛い日が続いているのでしょうが、
街が、明るさを取り戻していることには、うれしく感じました。
相方の実家は、多くの犠牲者が出た、若林区の川向かいにあり、
閖上は、彼の少年時代の遊び場でした。
生まれて半年のナノカを連れて、震災後、初めて、帰省した時は、
漁船が道路に乗り上げたままになっていて、
沿岸部は、殺漠とした空き地が、延々と、続いていました。
前回、1年半前に訪れた後、3歳のナノカが
様子がおかしくなり、1週間後に泣きながら、
「みんな、びしょ濡れだった」と言い出しました。
私は、そういう現象に、半信半疑な人間ですが、
まだ、小さな子供だし、いろいろ、見えたのかもしれないなとも思います。
あの日の後、原発事故があり、日本中が、ただ、まっすぐ
復興に向かって、突き進む、ということで、まとまれなくなりました。
それ以外にも、異常気象、紛争、テロなど、世界中に不安要素が山積。
10年後は、20年後は、同じように、過ごせているのだろうか?
こどもたちは、おだやかな春を迎えているのだろうか?
私は、「花は咲く」の歌が、好きです。
昔から、平和を考える時、必ず、象徴的に「花」を思ってきました。
昔、ニューヨークの友達と平和のポスターを描いた時も、
私は、「花」をテーマにしました。
食べられるわけでもない、でも、人には必要なもの。
戦争中には、育てているだけで、非難されたこともあったと柳宗民が言ってました。
でも、兵隊さんが見つけて、「花だ!」と笑顔になったそうです。
100年後の春も、おだやかに、家族の姿があると信じたい。
これからも、花を平和な時間と絡めて、作品を作っていけたら、と
思います。
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