2013年8月26日

Sasebo dialect 佐世保弁

越してきて1年以上が経つが、九州アウトサイダーの私達夫婦にとっては、「〜と」「〜ば」などは、全く馴染みのない言葉遣いで、勝手がわからない。語尾にくっついてくるだけのものが多いので、意味はほとんどわかるのだが、使おうと思うと、とっかかりがないのだ。I and my husband both are from outside of this area and not familiar with dialect here. We had no idea how to use it.
ある日、ナノカが、「これ、つくったと?」と言った。「と」て、佐世保弁の「と」?One day Nanoka asked me in Sasebo dialect.
聞き間違いかと思い、固まっていると、、、I was not sure if she did, and freeze it not to answer,,,

「これ、つくったと?」と、さらに大きな声で、くり返した。あ、やっぱり、その「と」なのね。She asked me again louder in Sasebo dialect. I see. She got it.
それからというもの、やたら、「〜と」と、「と」満載で話すので、「ナノちゃん、その「と」てなくても、意味が通じると思わない?」と思わず、指摘したら、大泣きした。自分で、周りを観察して、せっかく覚えてきた言葉を否定されて、悲しかったようだ。大人げない事をした、、、反省。I pointed her way of using the word is not necessary in the conversation. She burst crying. She leaned new way of language and delighted to use it believing it was right. Then I said something negative. She was so sad. I should not have done it...
 そして、先日、「おうちに、かえらん」と、ナノカが言った。かなり強烈な佐世保弁に、笑ってしまうと、「かえらんば!」「かえらんば!」と、うれしそうに、ナノカがくり返していた。「どうやっても、私には使いこなせなさそうな領域に入ってきたなあ」と思う。ちょっと、寂しい。On the other day, she said more complex dialect. I laughed at it. She repeated happily. I felt, "her dialect became more than I can copy." and a little sad.
ナノカが保育園に通い始めた時、いずれ「佐世保弁」を、ナノカが話し始めるだろうね、と、夫婦で話していた。外では、100%佐世保弁に囲まれる。自然に覚えてくるだろう。
いざ、「〜と?」 と話し始めたのを聞くと、それなりにショックだった。私が話せない言葉をしっかりと、使いこなしている。「なおす」=しまう、も定着した。「ママ、これ、なおしておいてね」と言う。さりげなく、「うん、しまっておくね」と答えるのだが、もはや、彼女にとっては、「なおす」の方が、自然なようだ。
先日、「おうちに、かえらんば」と言われた時は、あまりのインパクトに、笑ってしまった。これから、私と彼女の間には、言葉のギャップができていくのは、決定事項なのだろう。We thought it would happen sooner or later that she started to speak in Sasebo dialect since she would be surrounded by that outside home. It was actually a little bit shocking for me to listen to her speaking in dialect which we cannot speak. This might be a feeling that immigrant family feel to their kids who became fluent speaker of new language?

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