2021年2月19日

リトルアーティスト、カフェアーティスト、お休みさせてください

 

ナノカが体調を崩してしまったので、療養に専念したいと思います。

今月のリトルアーティスト、お休みさせてください。

よろしくお願いいたします。

2021年2月8日

コミュニティの喪失 Grown up under the broken community

かわいい人形たちと After the puppet

  バレエのおさらい会の前に、子ども劇場で、人形劇を観た。そのあとで、友人と、子どもを取りまくコミュニティ環境について、話題になった。 

 わたしと、友人は、昭和の後期に子ども時代を、地方で送っている。その頃、地域コミュニティは、かろうじて存在していて、近所のおばちゃんに叱られたり、親切にしてもらったり、まあ理不尽なことに、みんなで怒ったり、地元のお祭りがあって、大人たちが協力して、地元を盛り上げていたり、と地域の中で育ってきた感覚が残っている。

 でも、その後、コミュニティが次々と消えて行き、人は、もっと個人的に生活をするようになった。お祭り的な楽しみが欲しければ、ネズミランドに行けばいいし、劇が観たければ、自分が旅をして、お金を出して、良質なものを観に行けばいい。集まりたかったら、自分の気の合う仲間だけで、集まればいい。そうやって、一見、自由で、シンプルな世の中ができあがっていった。

 今の、子育てしている親御さんは、地域コミュニティがなくなった世界で、育った世代。もちろん、がっつりコミュニティの残る下町エリアで育った人もいるし、親御さんの方針で、さまざまな活動を目の当たりにして育った人もいるので、ここは、個人差だが。 

 社会感覚がないので、なにか問題が起きた時、その問題が起きた「社会」を変えなきゃ、という意識に向かない。「あの人、かわいそうね」と、対岸の火事になる。自分の身に降りかかるまで、声を上げる人がいない。悪気はない。当事者になるまで、問題は、社会の中で、黙殺し続けられていく。

 でも、社会は、当事者には、変えられない。第3者が動かないと、当事者は、孤軍奮闘で、やがて、泳ぎ疲れて、去っていくのである。 社会が、「変わらない」という閉塞感があるのは、このせいだ。

 先日、読んだ本の著者は、親は子を、「世界の平和の実現のために」育てるべきだ、と言っていて、それは、「頭の良い子を育てる」「これからの時代を生き抜くための頭脳を育てる」みたいな話が多い中で、そこが基本だよね、と共感した。

 わたしは、ナノカのいろいろな能力は、社会を公正に見て、民主主義とは何かを自分の頭で考え、違う考えの人と議論を交わし、よりよい結論を模索していくために、使って欲しいと思っている。

 社会感覚は、社会人になったからって、突然、降ってわいたように、出てくるわけじゃない。小さな頃から、信じられるコミュニティの中で、社会の成り立ちを味わい、世界の未来に希望を育てていって、初めて、発動されるものだ。

  頭がよい人材は、これからも、どんどん出てくるだろう。能力のある子も、世渡り上手な子も育つだろう。でも、物事の本質は、いったい、なんなのか。なにを、実現するために、その能力が必要なのか。ちょっと、忘れちゃってはいないだろうか。 

 おとなの社会が、次世代に身につけて、社会に出て行って欲しい感覚を、議論できてない。本当は、そこが、まったなしな気がする。

アイロンで、心のばし Ironing your heart

 


本日、ナノカは、気の重い会議を抱えている。

1週間前から、ずっと、「ああ、月曜日がイヤだなあ」と、プレゼン前のサラリーマンのような独り言を、つぶやいていた。

そんな日の朝、母は、何ができるだろう。とりあえず、ナノカの新しい白い長袖Tシャツに、前から約束していたアイロンプリントをして、刺繍をした。そして、ナノカに、アイロンを頼んだ。

ハンカチ1枚と、わたしのブラウス2枚。しわを、アイロンで丁寧にのばしていく。

「気持ちいいね」

アイロン前の、ごちゃごちゃのシワが、一気に目の前で解決されていく感覚に、夢中になるナノカ。

余った時間で、花瓶の花の入れ替えもした。

すると、最後の方に、ポツポツと、頭を整理するための、確認の言葉が漏れた。

言葉が、とても得意なナノカ。自分の気持ちも、世界の情勢も、論理立てて、すべて言葉を通して、理解していく。

でも、きもちはどうだろう?きもちは、「こんなことをされて、ひどいと思う。悲しいよ」と言えたら、癒えるのだろうか?結局、きもちは、自分で、癒していかないといけない。

じぶんで、ピシッとのばしたシャツに、あなたの心は、すこしは、スッキリしましたか?

2021年2月6日

オニ→ふく Mask of goddess

 さて、節分。手巻きの恵方巻きを、南南東(方位磁石で見つける)に向かって食べて、豆まきの時間。

 順番に自分の作った鬼の面をつけて、自分の決めた鬼を追いやる、という形式。まずは、相方。そして、わたしの番。

 じつは、鬼の面以外に、ナノカとわたしは「おふく」の面を作っていた。玄関外まで鬼の面で追いやられた後、おふくの面に付け替えて、「ふくが、きたよ〜」と入っていった。

「そう、来たか!」と、相方。ナノカも、同様にした。お話仕立てで、驚かせることもできて、楽しかった!

平安美人風のおふく。微妙にリアル。

なぜか、金髪のおふく。
 2日間、まあまあ、行事でエネルギーを費やしたけど、楽しかった。

 そういえば、節分、保育園では、豆を煎るところから、みんなで準備して、毎年、楽しんでいたが、小学校に上がり、学年が上がるにつれて、簡素化していった。季節の行事は、年齢とともに、だんだん、日常から遠ざかっていくものだろう。

 ふと、ターシャチューダーが、子ども達と家で、人形劇を催していたのを思い出した。家の中に、さまざまな本格的な遊びが存在していて、それは、ちょっと楽しむ、のレベルを超えたもので、たいへん、美しい。どれだけの熱とエネルギーで、ものごとを楽しむかは、家庭それぞれだと思うけれど、使ったエネルギー分、なにか残るものもあるだろうな、とも思う。

 ちょうど、和菓子屋社長と、「コロナによる、行事の縮小」の話になった。スーパーの節分コーナーが小さくなったらしい。まとめ買いをする家庭が多く、スーパーに来る回数が減る。行事ごとにうっていたキャンペーンに広告費を出しても、それだけの効果が得られないので、小売の現場も縮小モードなのだそう。外からの刺激が減り、それが、家庭の季節感に影響していってる。

 世帯収入は落ちている家が多いだろう。消費を控える気持ちになるのも、わかる。でも、必要以上に、縮こまっているのかもしれない。祝う気持ち、楽しむ余裕まで、縮小してしまい、なんだか、ぼんやりした日常風景だ。

 わがやに、この「おふく」さんたちは、福をもたらしてくれるかな。

2021年2月2日

オニの面コンテスト Competition of masks

 今年の節分は、2月2日。当日は、豆まきやら、恵方巻き作りやら、忙しいだろう。とのことで、2月1日に、すしす作りと、お面作りをすることにした。

平日の夜、まあまあ、みなさんお疲れのところ、20時半に、色画用紙が運ばれてくる。乗り気になれないパパも、目の前に材料を出されると、参加せざるを得ない。

「だれが、一番、こわいオニのお面が作れるか」を競うつもりだったが、ナノカが、「怖いお面は作れない」と意義を唱える。そこで、「だれが、魅力的なお面を作れるか」を競うことになった。

昭和のアイドルみたいなのは、お面をつけるためのベースである。

 一人2票ずつ与えられて、家庭内投票になった。わたしは、ネットで一般投票をしたらどうか、と聞いたが、ナノカはすぐに結果が知りたかったようだ。

エントリーナンバー1:うるうる目のオニ

エントリーナンバー2:とがった頭のオニ

エントリーナンバー3:フェイスガード風のオニ

 投票の結果、3票集めたナノカの、ウルウルオニが優勝した。ナノカが、歓声をあげた。

家の中で、楽しいことがいっぱいあると、日中のわずらわしさから、自分の人格を切り離すことができる。家を、笑いと、クリエイティビティでいっぱいで満たしたい。

「子どもの生きている社会も大人顔負けのシビアさで、子どもも、毎日、外で戦ってきている。だから、家で、ムリさせちゃいけない」、と子どもの教育の専門家が言っていた。しつけもほどほどに。外で戦って、家で叱られて、じゃ、踏んだり蹴ったりだ。

自己肯定感が落ちたり、卑屈になったり、自信をなくしたり、積極性がなくなったり、免疫力が落ちたり、なんて、とんでもないと思う。めっちゃ、楽しくて、めっちゃ、幸せな毎日を過ごして、自分のことを、大好きでいてほしい。

2021年2月1日

むきあう Listen to kids

at the our town just before the sun down
 

ナノカは、暇さえあれば、ずっと本を読んでいる。昨日も、大村図書館で、30冊ぐらい借りて、その本を車中で読んでいた。

わたしは、「ねえ、車の中ぐらい、本をやめて、景色でも眺めようよ」と声をかけた。景色はちょうど、こんなだったのだ。 

「えー」と言ってたけど、本を閉じた。太陽から、一本の太い線がこちらに向かってのびていて、そこに、緑がかった水色のやわらかな線が、水面に平行にならんでいる。あんまり、きれいだったので、車を降りて、写真を撮った。そこから、太陽が山に入っていく瞬間まで、5分ほど。同じ景色を、見つめていた。

さて、この日の午前中、モデルのアルバイトをしたナノカ。1分×2 30秒×4 15秒×4で、合計5分のポーズ取り。前日に、ドガの画集を見た後、流れを考えながら、自分で1個ずつポーズを決めて、それを小さな紙にメモして、覚えて、しっかりとポーズをとった。

このリトルアーティストのモデルを始めたのは、相方がモデルをして、わたしが1000円払ってるのを見たナノカが、「わたしも、やりたい!」と言ったからだ。1年に1度の話なので、言い出して1年後に打診すると、やると言う。去年は、300円支払った。

人に見られて、動かないで、ポーズを見せる、というのは、なかなかな経験だと思う。でも、お金が絡んでいるからなのか、ナノカは、プロ意識を持って、それだけの時間、ポーズを保てるのか実験し、決まった後は間違えないよう、数回リハーサルをしていた。こういう所、えらいなあ、と思う。

リトルアーティスト「こんなときだから、すすむさんを、かこう」figure drawing

 

プログラムです。

モデル2回目のナノカ。しっかりと、役割をこなしました。

最後の30分ポーズを、木炭で仕上げました。体のサイズ感、角度や、人間の安定感などが、うまくつかめています。このドローイング、4回目だったかな。定点観測していると、成長を感じます。

彼女も、これが、何度目でしょうか。今回は、紙にしっかりと体を収めた構図取りに成功。体の構造もしっかりと感じさせるドローイングになりました。きもちのよい、大きさと、立体感です。

ナノカも、3歳から毎年描いて、6回目でしょうか。去年の、棒っぽいドローイングとはうってかわって、人の重さを感じさせる、しっかりとした構図で人を捉えられていて、成長を感じました。

大人の作品。革製品の作家さんです。正確に物を捉えて、描きたいという気持ちが伝わってきます。ドローイングは、見ること、捉えることの訓練だと思いますが、人によって、その方向性や目的が違ってきます。よい方向で、目的に向かって、描かれていると思います。

はじめて参加の女の子。最初、とても、魅力的な表情のある線で、描き出していましたが、30分の間に、色を使ったり、線を入れ直したりで、試行錯誤を繰り返し、最初の線は消失しました。ドローイングは、実験でもあるので、紙の上で、彫刻のように、練り上げたのだろうな、と思います。また、やりましょうね!

正面からの難しい角度から、堂々としたドローイングを仕上げました。すすむさんの、憂いを帯びた表情が、また、なんとも言えません。背景の中に、自然に人が溶け込んでいて、それでいて、人の存在感もあって、とても、魅力的な作品になりました。

ちいさなフィギュアを、カラフルな背景の中に描きました。最初に見せた、ボナールの印象があったのかな?この日は、他のドローイングも、周りがしっかり描き込まれていて、おもしろい作品ばかりでした。他の対象物を描く時にも、参考になるといいな。

年長さん作品。前回は、すすむさんを目の前にウサギを描いてましたが、今年は、人を描きました。かわいいですね(ウサギがいなくなるのは、ちょっと、さびしいですが)前半のドローイングでは、しっかり、見ながら、人を描いていたので、成長を感じました。

ペン画のクラスから、大人も参加です。周りを見ながら、トーンを決めていくことを意識して、仕上げました。力強いラインと、重みのある上半身が、いい感じです。服のトーンと髪の毛のトーンの描き訳など、細かい所を意識されています。ペン画に参考になるといいな、と思います。

こちらも、ペン画の大人さん。こちらは、繊細なラインと、静かなトーンで描いています。少ないラインで、部屋の雰囲気を描き出し、人間のいる空間に説得力を持たせています。こちらも、ペン画に活かせそうですね。

不要不急がどこまでを言うのか、悩みましたが、換気ができる施設と、接触のないプログラムであることなどから、対策を取りながら、教室を行いました。子どもも大人も混じってのドローイングでしたが、どちらも、非常に刺激になったと思います。1年に1度、これをすることで、1年間の視点の支えになってくれたらな、と思います。