2019年12月8日

ペン画教室「年賀状」Pen Lesson "New Year Card"

小学3年 1富士2鷹3なすび きれいなラインで、スッキリ構成してます
中学生 ネズミと猫のどちらも、毛もじゃだけど、きちんとトーンを分けて描いてます。下の方に描いた、構成もいい!
日本的な「柚子」の風景。フェードアウトさせていく、難しい線画。柚子に黄色を塗って、朱文字をいれても、かっこいいかも。
バゲット。おもしろいです。バックを濃くすることで、パンの色を残しながら、線を入れやすくしてます。ユーモアがあって、いいポストカードですね。
こちらは、かわいらしい柄を、黒線一本で、仕上げました。写真やサンプルがない中で、トーンを入れるのは、なかなか、大変だったけど、全体、寂しくなく、明るく、仕上がりました。
カヤネズミ。いい構図です。ネズミを浮き立たせて、さらに、余白を生かすのは、難しいけど、しっかり、まとめてあります。ネズミも、かわいい。
小2。大好きなカードを、そのまま、年賀状にしました。カラーだったものを、黒一色で表現し直すのは、大変。でも、ペンのシャープさが、とても、合ってると思います。もっと、いっぱい描いてほしいな。

年賀状は、コンビニのコピー機で、印刷することができます。
手描きの味わいのある年賀状が、誰かの元へと、届いていくこと。
とても、うれしく思います。

2019年12月5日

ナノカのタイプ He is my type

At the meeting before musical workshop, owner praised instructor actor, Yuichi.
Nanoka was interested in him and asked me to show his profile.
After his first lesson,,,
Nanoka said, "Yuichi sensei, was a bit different for whom I expected.""He was much handsome than photo." "He was my type."
1ヶ月前から、ナノカは、長崎まで、ミュージカルのワークショップに通っている。

夏に参加した「赤毛のアン」が、あまりに楽しそうだったので、
長崎市内のワークショップに参加することにしたのだ。

知らない人だらけ、周りは、経験者もいて、
最初は、緊張でガチガチだったみたいだけど、
歌ったり、踊ったり、で、ほぐれていって、
楽しそうに通っている。

何をやるのかな、と思っていたら、
どうやら、「キャッツ」のアレンジらしい。
猫っぽいポーズで、ステップを踏んでいて、かっこいい。
「耐えられるか、その孤独を!」と歌っていて、
笑っちゃったが、ナノカのキャッツが見られるなんて、
こちらも、テンションが上がる。

先日、友人と「子どもの習い事」のことで、話していた。

なにが、羨ましいかと言えば、 子どもは、
どんなに、のんびりした歩みでも、続けていれば、
確実に、成長していく、ということ。

私達、大人は、どんなにがんばっても、
「楽しいね」と趣味の範囲に、収まってしまうが、
子どもには、可能性が、いろいろ、ある。

それゆえに、期待して、
いろいろやらせ過ぎてしまって、追い込んでしまったら、
本末転倒なのだけど、
「好き」「楽しい」と言うなら、可能な範囲、やらせてやりたい。

なにもかもが、得意である必要はない。
いつも、輝いている必要もない。
でも、自分が、「これだ!」と思える瞬間に出会えるって、
すごいこと。
これを通して、うれしい気持ち、悔しい気持ち、
いろいろ、経験して、成長していってほしい。

リトルアーティスト カードサンプル2

こちらは、紺ベースの場合の下絵。
帰宅後のナノカに、版作りと刷りを手伝ってもらう
しっかり、刷っていく
完成
ナノカの下絵
もう1点。色の濃いベースを使ったカードのサンプルも作った。

このカードは、染色などでも使う、型刷りを、
身近な材料でアレンジした、多色刷りになる。

とても、シンプルなのだけど、
色ごとに分解して、版を作り、
どの色を、どの技法で、どの順番で刷っていくのか、
頭で組み立てていく必要がある。

実際に、手を使って、作っていくと、思わぬ失敗をすることもある。
本来、切り残すところを、切り抜いてしまったり、
色の順番を間違ったり。

この、失敗も含めて、
「工程のある、造形」は、経験だ。

こういうことを、くり返すことで、
頭の中で、紙や版が想像でき、
しっかりした計画が立てられるようになる。

私のカードを手伝った後、ナノカも、デザインしていた。
デザインは、技術的なことを想定して、なされていた。

手仕事は、手が器用になるだけじゃない。
ものができあがるには、材料選びや、計画、そして、工程がある。
しっかりと、手と脳を連動させて、
かわいいカードを作ってもらえたら、と思う。

2019年12月4日

リトルアーティスト「カラフル・カード」サンプル

下絵
1版→2版
10枚 完成
12月8日のリトルアーティストのサンプル作り。

下絵から、3版に分解して、刷る。

さあ、どんなのが、できるか、楽しみだなあ。

2019年12月3日

カンコロの島紀行26 Goto Article


(カンコロの島紀行11月分です)

週末、ふるさと自然の会の忘年会に出席してきた。

自然保護観察に携わってきた、多くの専門家が、
一同に会して、お酒を飲む、この会に出席するのを
わが家は、1年の楽しみにしている。

そこで、話題になったのが、
「生物学的に見れば、人間は」
という話だ。

生物学的に見れば、生き物は、環境に適した者だけが残る。
私達は、みな、環境による、ふるいにかけられて、生き残ったものなのだ。

生物学的に見れば、「頭がよい」というのは、「体が強い」より、
生き延びる力がある。
一生懸命、手で土を掘るより、よりよい道具を工夫して、作れる人間の方が、
生産性が高いからだ。

さらに、生物学的に見ると、人間なんて、地球の歴史の中で、
ほんのちょびっとしか、生きてなくて、
たいした実績がないとも言える。

そして、このまま行けば、確実に、滅びる、
と、一同が、同意した。

そして、それは、
「生物学的に見て、まあ、これも人間、と思うなら、
原発も作ったらいいし、ダムも作ったらいいし、
海も汚染させて、好きなように開発すればいい、て事だよ」
と、笑った。

人間は、愚かだなあ、と思う。
必要な自然まで壊してでも、財をなす。
だれもが、その欲望の頂点に立とうと、後先考えず、自然を貪るように開発する。
それが、強い個体なら、生き残るのだろうか。
でも、その事で、結局、人間は、滅びるのだろうか。

私は、まだ、幼い娘がいるから、
「ですよねー。みんなで、諦めて、滅びましょう!」
とは、思えない。
 (自然保護のプロ達も、本気で諦めてる訳じゃないです)

瀬戸さんに聞いた、野崎島の生活は、
貧しく、物がなく、過酷であったけど、
決して、不幸せではなかった。
そのことは、とても、重要な意味があるように思えた。

今、人は、自分のやっている事が、生きるための事と、実感に乏しい。
(働くことは、食べるための貨幣を得て、食べ物を得ることなのだけど)
社会システムが、複雑になればなるほど、人は生き物として混乱して、
心と体が、病んでいく、ように思う。

ちなみに、生物学的に言えば、
「一夫多妻が、いい」
んだそうです。
厳しく、却下させていただきました。

王子さま、お姫さま princess and pirne

おうじさま
おひめさま
これは、2つ合わせて、カップルで使っていただいても、
かわいいかな、と思います。

2019年12月2日

オシャレな会話 

We ate breakfast with the radio on. It talked about birds and they said, bird year people could eat messy on table as a joke.
In a while, she dropped some food from mouth and chopsticks etc. I told her to eat more carefully. I said too much about manner.
She became silent and started to clean up herself. Did I say too much? Was she going to be blue?
She opened her mouth and said, "I am not bird year birth, but I dropped much" I like your sense of humor in the conversation, always.
ナノカは、たまに、気の利いたことを言う。

相手との関係や、共通体験、
一緒に観た映画など、いろんな所から、うまいこと引用してきて、
その場に、ピッタリの事を、さらっと言う。

「オシャレなやつ」
と思う。

こうした、「ちょっとした、機転の効いた会話ができる」
ことを、とても、私は、価値があると思う。

相手が、外国の人であろうと、辺鄙な場所に住んでいようと、関係ない。
この人と話をすると、楽しい、て思ってもらえる。
それって、すごい、大切なことだと思う。

しかし、当たり前だけど、
そんな事は、学校の成績にはならない。
文章にセンスがあるとか、
会話がウィットに富んでるとかは、
数値で表せない。

他にも、いろんな「魅力」「能力」がある。
でも、数値化できないと、評価対象にならない。
結局、数値化しやすい、基準が作りやすいもので、
人を測って、並べるシステムが、今の「教育」のように思う。

そもそも、なんで、教育って、
評価して、点数つけなきゃいけないんだろう?
順番に並べなきゃいけない理由って、何なんだろう?

点数をつけなきゃいけないから、逆に、
評価基準にならない、能力を、軽視している、と感じた。

例えば、ナノカは、活字バカで、
文章を書くのも大好きだったけど、
どんな、意欲的な作文を書いても、字の形だけ、直されて、返されてきた。
内容にコメントがつくことは、ほとんどなかった。

それで、彼女が思った結論は、
「こくごが、にがて」だ。

たぶん、1年生の単元では、字をしっかりと、書くのが、「めあて」。
だから、そこから、はみ出た部分は、評価対象ではない。

こうやって、できる事は、無視されていくのかな。

うちの子のはみ出た部分を評価してください、
というのは、難しいかもしれない。
でも、
うちの子を、なんの基準でも、評価しないでください、
ということなら、可能なのかもしれない。

点数をつけられなくなった今、
彼女は、「私は、これが、にがて」と言わなくなった。
目の前にあることが、 できたか、できなかったか、
わかったか、わからなかったか。
それしか、感想がない。

そうしたニュートラルな状態で、日々、新しい挑戦と出会っていく。





オシャレな会話が、このまま、育っていってくれるといいな。