お家で、たき火とか、バーベキューが、たのしい季節です |
「マクベスは、わかりやすいけど、ハムレットは、ややこしいんだよ。」
ロミオとジュリエットに始まり、シェイクスピアにはまって、読んでいた時期があった。初期の作品と、後半の作品の違いを言ってるんだろう。先週末は、まだ読んでいなかった12夜を見つけた。今日は朝から、その内容について、熱弁をふるい始めた。
シェイクスピアについて、いろいろ思うこと自体は、いいことなんだろうけど、その話でお友達と盛り上がるのは、きっと難しい。難しいどころか、変人か、自慢か、よくてオタク扱いだろう。人に合わせて話題が選べるようになればいいんだけど、それが、まだできない。
学校に馴染めるかなあ、、、 と心配になる。そもそも、4年生になってから、固まった子ども達のコミュニティに入っていくのは、簡単なことではない。加えて、マイペースな性格。体調が、まだ安定しない中、毎日が、戦いなんだろうなあと思いながら、送り出す。
ふと、自分の大学時代を思い出した。わたしは日本の大学で、人文科学科にいた。専攻は美術史だったけど、宗教、文学、音楽、哲学といった専攻の人たちとともに、学んでいた。学科の新入生宿泊の時、学科の男の子たちが、哲学について語っていた。
「かえさんは、朝、家を出ようとした時に、晴れていたら、傘を持っていく?」
わたしが、持っていかないと答えると、
「きみは、哲学的じゃないんだな」
と言われた。そこで傘を持っていくことが、哲学なのだそうだ。彼らは、一晩中、そんな感じの議論を繰り広げ、まったくもって、眠かった。その日から、わたしは、彼らのことを、「哲学の人たち」と、遠目に見るようになった。
ちょっと不器用な娘は、哲学の人たちを思わせる。あの夜、彼らは、今までできなかった話をできる仲間を見つけ、水を得た魚のように、盛り上がっていた。ナノカは、その日が来るまで、まっすぐにオタク道を歩んでいかねばならないのか。まだ小学4年生。長いなあ、、、
あの時、哲学の人たちの話を、もっと聞こうとすればよかったな、と思う。人生について、深い考察を交わせる相手だったのかもしれない。わたしは、彼らの言う通り、哲学的じゃなかったのだ。
わたしは、12夜は、舞台を見たことがあるけど、本は読んでない。ドタバタで、おもしろかった覚えはあるけど、話の筋は覚えていない。今、ナノカの議論に付き合うためには、まず、12夜を読まないと、いかんのである。
でも、本当は、同じテキストを読まなくても、内容のおもしろさを抽出して、シェアすることができれば、議論は成立するのかもしれない。それには、ナノカが自分の感動をもっと整理して受け止めて、わかりやすく人に伝えることができなきゃいけないし、受け取り手も、知らない世界について、受け入れようという気持ちがないといけない。
大人でも、それって、難しいことだ。年を取ると、「目の前のメッセージ」を、そのまま受け止めようという柔軟性が、失われていく。自分の知識や実績にとらわれて、自分の勝ちパターンでジャッジしがちだ。何歳になったって、目の前のことに、ま新しい気持ちで、知ろうとしないといけないと、最近、とみに思う。
世界中で読まれて、解釈され、何千回、何万回と上演されてきたシェイクスピア。それを読んで、いろいろと思うことは、きっと、世界中のいろんな人と議論するチャンスを手にしたということ。ガンバレ、なのさん。君の道は、まだまだ、つづく。