夏休みが終わった。
そもそも長い休校の後で、ご本人が「まったくの自由な時間」を欲してなかったし、私も仕事等を溜め込んでいたため、「ヤッター」というスタートではなかったけど、マイペースな御仁なので、ちゃんと楽しそうに過ごしていた。
なにより、図書館と家の前の川がありがたかった。
50冊まで借りられるというツワモノの図書館ができたおかげで、次々に読破するナノカ。夏の間に、実際に50冊借りた時もあった(私たちの移動風景は、ほぼ本泥棒)。ナノカの夏の間に読んだ本は、ゆうに100冊は超えていて、もしかしたら200冊近いかもしれない。
ひとりで本を読んでくれるのは助かるが、本に没頭して、活動しなくなるのは心配。外に連れ出すのが、私の役目かなと思い、この状況下でも参加できる活動には、参加した。
川の水質調査に参加 |
水質は「とてもきれい」でした。 |
わたしは、専門家の専門的なアプローチが好きだ。水質調査を体験させてもらって感じたのは、川1つの実態を調査するために、ツナギを着て1日中水に浸かって、魚を捕獲して、数を数えて、毎年の記録を残していく、という地道な作業の意味だ。
そうした積み重ねによる定点観測、科学的に考察されてできた指標、そうして集められたデータが、正確に近い「実態」を表してくれて、初めて、客観的な議論を可能にする。
最近、メディアのこと、ネットのこと、考えさせられる。よい状況ではないと思う。あまりに一方的な議論が多い。確証がないのに自信を持って言い切る。そうした、わかりやすさに人は魅力を感じるのか、反響が大きい。一瞬の感情で反応する。そこに大きなうねりができて、混乱や分断が起こる。でも、なんの責任も取らない。曲がりなりにも、名前を載せて、文章を書く身としては、そういうスタンスに、耳を傾ける気分にはなれない。
もっと専門家の意見が聞きたい。そう思って、本を買った。経済学者、感染症学者、社会学等、それぞれの立場で語られる。彼らは、研究を積み重ねる中で、必ず反対側の立場からの視点も、検証する。もちろん、最終的な結論には偏りが生じる事もあるし、間違いもあるだろう。でも、とにかくそういうアプローチが、今は大切だと感じる。
ナノカに専門家のかっこよさを知って欲しい。しっかりと考察する、骨太の立体的な論理を読み取れるようになって、ニセモノ議論に惑わされないでほしい。
ナノカがいま興味があるのは黒曜石だ。縄文時代にはまって以来、郷土資料館などでも、土器や矢じりやに釘付けになっていたが、ここに来て、黒曜石そのものにロマンを感じ始めたようだ。そして、どこで仕入れた情報なのか、黒曜石の加工方法も知っていた。骨などを使って、割るのだそうだ。
やってみたい。そこで、近所で拾った黒い石を、必死で磨いてみる。しかし、(当然)黒曜石ではなかったようで、机の上にゴロンと放置されていた。
面倒くさいが、黒曜石の取れる所に行って、黒曜石を加工させてやろうと思った。小さな研究者を、尊重したいと思う。
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