夏休みの最後の週、宿題がないナノカは、溜め込んだものがなかったが、わたしは仕事を溜め込んでいた。
かなり邪険に扱って、数日を過ごし、一区切りがついた昼下がり、伸びをしながら見渡すと、部屋の角に、「わたしは、平気よ」という顔をして本を読み続ける、不憫な娘を見つけた。
「なにか、したいことはある?」と聞くと、「工作がしたい」と答えた。
話し合いの結果、紙粘土で何かを作って、色を塗ることが決まった。なに、作る?「うーん、じゃあ、麒麟!」
「麒麟がくる」 は現在、絶賛、撮影中で、放送が止まっているが、首を長くして待っている人も多いのではないだろうか。ナノカも、その一人だ。
これは筒や新聞紙などを芯にして作ったベースで、ここに紙粘土を貼っていく。
こちらは、設計図。想像上の動物とは、なんとも、いい味わいを出す。
ナノカは、じぶんの作ったものに、すぐ魂を吹き込んでしまうので、この未完成のハリボテを「かわいい」と抱きしめていた。
そういえば、先日、友達と車に同乗し、ごっこ遊びをはじめた。友達はぬいぐるみを持ってきていたが、ナノカは持ってきてない。すると、ハンドタオルの一部を紐で縛り、「アノコ」という名前をつけて、対等に、ごっこ遊びに加わっていった。一瞬にして、タオルに心が宿り、アノコは個となった。
完成品でなくとも、想像力でいくらでも、羽ばたける。むしろ、もっと自由に、軽やかに。 人の想像力は、すごい。
同時に、こわい。なにも、ない所に、悪や災を作り出してしまうこともある。
不透明な時代に、想像でなにかを生むのだとしたら、「希望」につながっていたい。そんな願いが、かつて「アマビエ」を作り出し、「麒麟」の伝説を生んだのだろう。