2019年10月31日

Haloween costume 2019 River Dragonfly カワトンボ

ナノカのコスチュームの羽作り Making wings for her costume
装着して、登校。I've done and went to the school in it.
田園風景に映えます。たんぼ映え。Fit for the rice field scenery.
毎年、ハロウィーンにコスチュームを、手作りしています。

ニューヨークに住んでいた時に、
「手作りのコスチュームを着て、自分を表現する」
というのは、ユーモアやセンスが問われて、
とても、クリエイティブなお祭りだと、思ったので、
自分の子どもにも、経験させてやりたい。
そんな思いからです。

そろそろ、恥ずかしい、とか、いろいろな感情が芽生えてきて、
「いやだ」と言い出すかと思いましたが、
すんなり、着替えました。

今年のハロウィーンは、
 「カワトンボ」です。

今まで、プリンセスセサミや、妖精、天使など、
女の子ならではの、プリプリした注文が多かったのですが、
今年、「こうばるの生き物に、しようか?」と
尋ねたところ、「カワトンボになりたい」と、返ってきました。

「こうばる」は、石木ダムの予定地で、
今、強制的に土地が収容されようとしています。
収益性、必要性など、いろんな問題がありますが、
まともな議論すら、されないまま、市民の声も上がってきません。

私は、仲間と、「こうばる」に親しんでもらえたら、と
親子連れ向けに、「こうばる探検隊」をしていますが、
そこで、生き物に出会った、ナノカたち、子どもは、
「こうばるの生き物、死んでほしくない」
と、新聞に投書したり、夏休みの自由研究にしたりと、
それぞれの表現で、応えてくれています。

私とナノカも、コスチュームを着るなら、
そんな思いを、表現できたらな、と思いました。

昨今、大騒ぎで迷惑をかけて、
あまり、評判のよくないハロウィーンですが、
もし、風刺がきいてたり、
メッセージがあったり、
思いがあったりしたら、
それは、表現であり、アートになるんじゃないでしょうか?

伝統的なお祭りを見る時にも、
これも、昔は、
「豊作だったらいいね」とか
「支配階級に対する不満」とか
そんな、庶民の祈りや思いの、
表現だったのかなあ、と思うことがあります。

小さな声ですが、、、平和的で、対話的で、
それでいて、インパクトのある、メッセージ。
そんな事を、考えながら、羽を縫っていました。

2019年10月29日

KAEの英語観察日誌「習い事狂想曲」”Afterschool lessons"

旺文社Argumentに連載の、英語日誌より。Nanoka suddenly told me that she wanted to quit Piano lessons with tears. She explained that she lost her passion. She started piano at the age of 4 and she kept practicing for 4 years. In US, I saw many kids taking lessons, too. Omar took dram lessons, Catherine took Viola and art, and James took the Yoga and Japanese. Every kids learnt what they want to do. In Japan, sometimes parents choose the lesson considering what is best for them. It tends to increase numbers since they worry about future. I felt it is difficult to respect kids will, but I said, "OK, we will quit once."

 ナノカが、4歳から習っていたピアノを、
引っ越しと同時に、辞めました。

 泣きながら、声を絞り出すように、
「もう、興味がなくなった」と
言いました。

今まで、「辞めちゃう?」と聞いても、
「イヤだ!やる!」と、しがみついていたナノカが、
まさか、自分から、辞めたいと言い出すと思っていませんでした。
 私の小さな頃より、よっぽど上手で、真面目。
毎朝、毎晩、練習を続けてきたので、
もったいな過ぎて、親としても、ショックでした。
 思えば、上達していくナノカに、
「いつか、ショパンとか、弾いてほしいなあ」と、
勝手に期待してました。
ナノカも、「こんなの、弾いてみたい」と、
いろんなマスターピースに出会うと言っていましたが、
そうした、遠い理想像が、重荷になったのかもしれません。
 大人から見たら、続けていったら、ある程度、
弾けるようになるのが見えている分、
ナノカの気持ちを尊重するのは、とても、切なかった。
でも、これは、私の人生ではない。
決めるのは、この人なのだと、いろんな言葉を飲み込みました。

 アメリカにいた時、バークリー音楽院とか、ジュリアードとかに
通う学生さんたちと、寮で一緒に住んでたことがあります。
演奏家コースの子だけではなかったので、もあるでしょうが、
みんなで寮でピアノの弾きっこをすると、必ずしも、みんな
日本人の音大生のようには、上手ではなかった。
田舎で、気楽な音楽の先生に教えてもらってた人、
かなり大きくなってから、本格的に始めた人、などなど。

 でも、音楽が好きだから、自分で決めた未来に向かって、
これから学んでいくのだな、と感じました。

 日本の子(アジア圏は、そういう傾向があるかも)は、
習い事の数が多い。
そこには、親の熱意と期待と不安が込められていて、
手がかかっている分、技術は、申し分ないけど、
そこから先の、内からわく、熱がない、と感じる学生さんも多い。
 そんな思い出があったので、ナノカの習い事には、
気をつけたいな、と思っていました。

ナノカが、自分から「やりたい」と言った事を
習わせる事ができたので、尊重できている、と思い込んでましたが、
「辞めたい」に直面した時、初めて、葛藤しました。
そうか、、、尊重するって、こういうことか。
難しい、、、

 知ってる人には、「うまかったのに」と言われ、
お友達が目の前で弾く姿を見て、
本人、複雑な思いを抱えてるのも見受けられましたが、
辞めてからは、ピアノ自体を触りさえしません。

 ピアノ、終わっちゃったのかな、、、
 ところが、この連載記事を書いたのち、ナノカは、半年ぶりに、
ピアノを再開しました。
 夏休みに、参加した、ミュージカルのワークショップ。
そこで、音楽の楽しさを思い出したナノカ。
「気楽な気持ちで、また、弾いてみたら?」の言葉に、無言でしたが、
1ヶ月後、「少しだけ、やってみる」との返事が。
ありがたいことに、音楽家の友人が見てくれることになり、
のんびりペースで、弾き始めました。
 自分で「ブランクがあるから」と言って、開き直り、
前、弾けてたものが、まだ弾けないけど、
楽譜も自分で読んで、決めた時間、練習しています。
 子どもの成長は、必ずしも、意欲が高まり、
できることが増えて、
活動が広がっていくばかりじゃない、
と、知りました。

これは、
私の人生ではないし、
私の努力でもないし、
私の成果でもない、
と、心に刻んでおきます。

2019年10月28日

上五島日記 Visit Kamigoto with Nanoka

上五島行きのフェリー On the ship towards Kamigoto
山添さんに、絵本のご挨拶に行き、ご馳走になってしまった「生姜の漬物」「カマスの桜干し」「大根菜の和え物」釣るところから、育てるところ、加工するところまで、自家製。どれも、美味。ginger pickles, dried flavored fish, boiled green salad, everything is handmade, farmed and fished by her. 
これまた、ご挨拶に行った先で、ふささん自家製のドーナッツと、さつきさんの畑で採れたサツマイモのふかし芋をご馳走になる。Donuts and steamed sweet potato by Fusa and Satsuki.
えんの子ヤギ。ナノカ、メロメロ。
小串のお祭り準備。In the morning, the villagers set for the autumn festival.
見よう見まねでお手伝い。She helped to clean.
お神輿の掃除。cleaning the shrine.
お餅を丸める。Rounding the mochi.
山本さん宅で、今季、初カンコロ切り。She peeled the potato to make dried boiled sweet potato.
ナノカの学校は、宿題もなく、机に座る時間も短いのに、
先週、一週間、学校が休みだった。中間休みだ。
すると、ナノカが「休みの間に、上五島に行きたい」と言いだした。

出発の日、荒れ模様な天気だったが、
「船が揺れても、雨が降っててもいいから、上五島に行きたい」
と言うので、決行した。
船は思ったほどは揺れず、着いたら、次第に、天気は回復していった。
むしろ、雨が降っていたおかげで、芋掘りができず、
みんなが家にいて、会うことができた。

去年、サツマイモは壊滅的な不作だったけれど、
今年は、まずまずな感触で、みんな、機嫌がよかった。
私も、うれしくなってしまった。

私は、絵本のことや、芋のこと、12月にあるイベントのことを話し込んで、
ナノカは、退屈な場面も、あっただろうと思うが、
それでも、いつも、上五島に行きたがる。

ここは、ナノカに、
理解しやすい場所なのだと、思う。
登場人物は少なく、
社会は、一人一人の力で回っているのが、わかり、
そして、言葉は、心のままに現され、率直。
安心するのだろう。

今回、お祭りの日に当たった。
(残念ながら、お祭りそのものが、始まる前に出発になったけど)
人がわーっと出てきて、
神社は、一気に、お祭りの準備が整っていった。

大都会には人がいっぱいいるが故に、
自分の担当することは、社会の限られた場面だ。
一方、島では、何かがあれば、必ず、自分にも役割が回ってくる。
島では、人が減り、社会を回すのも、どんどん、大変になっていく。
そんな中でも、残そう、伝えよう、と
人は、日々を、つなげている。

みな、当たり前に、それぞれが、働くのだ。

社会の中での、自分の役割、親の役割、祖父母の役割、
どこに属して、なにをしたら、社会が回るのか、
子どもにも、理解しやすい。
そして、それを、実感することは、
じつは、大切なことなんじゃないだろうかと、最近思うようになった。

写真を見ると、ナノカは、ずいぶん、大きくなった。
手伝う姿は、子どもの遊び、ではなく、
次の担い手としての勉強、に見えるようになった。
(実際に、役立つかは、まだまだ、これからですが)

こうして、このタイミングで、また、一緒に行くことができて、
本当によかった。

こうばる探検隊 番外編 おおむら湾探検隊 Nature Study of the beach connected Ishiki River

大村湾の干潟で観察会 Nature study at the beach
テッポウエビ、ゴンズイ、ムラサキウニ、ガザニ、ゴカイの卵、テングニシ貝、アコヤガイ、イトマキヒトデ等、さまざまな生き物を見つけました
じゃーん。これは、ホウキガイです。砂にズブっとささってます。踏んだら、怪我するよー。講師の中原さんは、エビの専門家。Mr. Nakahara was the specialist of shrimp. He showed us the unique shell.
みんなで、今まで観察したさまざまな自然を、布に描きました。これから「こうばる探検隊のぼり」になる予定です。We painted nature on the clothes. We will make the flag of "the Koubaru Adventure Crew."
10月22日、大村湾、大崎海水浴場周辺で、
こうばる探検隊 番外編 
おおむら湾探検隊 「海と川のつながりを感じよう」
を開催しました。
We did nature study at the Ohmura Ocean at Osaki Beach on Oct.22th.

海と秋に関する歌から始まり、干潟での観察会、お昼ご飯を食べてからの、旗作り、海水浴場での観察会、おやつと「だいちゃんと海」の読み聞かせ。

こうばる探検隊、という名前でありながら、海に行こうというのは、
メンバーに海の専門家がいたから、思いついたことでしたが、
「川が海につながっている」
「水はすべて、つながってる」
「こうばる」の話は、「こうばるではない場所」に影響がある、
ここだけの問題じゃない
と感じ取ることができる、よい会になりました。
We studied not only about beach creatures
but also "the river ran to the ocean"
"All water ran through"
"When Ishiki river was damaged by dam, it is not only the problem of the area,
but also other area such as Omura ocean"

スタッフが、それぞれの知っていること、伝えたいこと、を持ち寄り、
提示する時間もありました。
 「昔からの歌には、季節が美しい言葉で歌われている」
「海洋プラスチック問題」
「70年前の大村湾が描かれた美しい絵本、だいちゃんとうみ」
「こうばるで、今年も美味しい、自然の柿が実っている」
なにかを、感じて、心に留め置いてくれた子も、きっといることでしょう。
We also studied about plastic problem of the ocean,
read the book which is about 70 years ago of the area
to study how rich nature used to be there,
and we ate persimmons from Koubaru village,
which we could not eat if the Government took their land away
and put the dam there.

相方には、「ゆるい観察会」と揶揄されましたが、
自由が許され、それぞれが、思い思いに遊べたからこそ、
押し付けではない、学ぶこと、があります。
(ゆるい、はきっと、褒め言葉でしょう)

他でも、子どもを通して、いろいろな活動のお手伝いをすることがありますが、
たまに、ぶつかる壁が、
「目的」と「結果」を書類にして、提出してくれ、的な、お役所仕事です。
I recently help some activity related to kids.
Sometimes I faced to the problems of paper work
that asked me to hand in: purpose and result.

微々たる助成金のためだったり、公共の場所を借りたり、
団体の立ち上げに必要だったり、
で、さまざまな書類の提出が求められるのですが、
本気で、短期間で、結果が出せると思ってるのかなあ、と思うこと、しばしば。

そこで、思うのが、
教育の現場でも、こうやって、「今週の目的」「活動」「成果」
という具合に、書類が飛び交って、すぐに、
「目的」が明文化できない「活動」
「成果」が見せられない「活動」
は、切り捨てられていくんだろうなあ、と。
I understood that happen to the school.
They need purpose for this week, activity, and result.
If teacher think they cannot show the result at the end of the activities,
they cut those activities. Then they are easily hunting "result" for kids.

そういう意味で、
ワンシーズンに一つ、観察会を淡々と続けるという、この活動、
助成金ももらわず(もらえるはずもないからだけど)
団体として登録もせず(どこに所属するんだ?)
手弁当で続けているからこそ、こうして、自由でいられるのかな、
と、1年過ぎて、ひしひしと感じております。
We are free since we do not get money from anybody,
so we do not have to give papers to anybody.

冬には、また、こうばるに戻って、焚き火を焚いて、
冬の生き物を観察する予定です。
11月18日に、こうばる地区の13世帯が、まだ住んでいる家屋が、
強制収容も可能となることになっていますが、
まだまだ、観察会を続けたいです。
裏山で薪拾いをして、火を焚いて、焼き芋をして、
冬眠の虫たちを見つけて、、、子ども達が、大好きな活動です。
In winter, we want to go back to Koubaru village to make fire
from tree branches and burn the sweet potates
and find the sleepy insects. Those are kid's favorite activities.

私には、石木ダムの件に関して、住人の方が住み続けられるようにする、
解決手段に即つながる方法を見つけられず
ただ、愚直に、淡々と、観察会を続けていくことしか、できません。
Politically, I could not find any solution to save the villager
from taking their precious land and houses.
Only thing I can do is visiting there with some family
to do nature study to find people who loved Koubaru
and hopefully support them.

ただ、「活動」の中には、
すぐに大きな「結果」をもたらさないように見えても、
深く、人の心に響き、染み渡り、
ゆっくりと変化していくものも、あります。
Some activities did not give the immediate big result
but slowly and deeply influence on people's heart,
and change society.

この変化が、時に、間に合うことを、祈るしかありません。
I just this change would happen before the deadline.

2019年10月17日

こうばる探検隊 番外編 Nature Study at Koubaru

We would have one day nature study at beach that connected to Ishiki River.
来週22日、こうばる探検隊の番外編で、大村湾に行きます。

「水のうごき」というのは、科学の本で読んで、
それほど、科学少女ではなかった私でも、頭で、知っていました。

雨が山に降り、川が流れ、海に注ぎ、また、雲になる。

それが、こうばる地区の話になると、

虚空蔵山に降った雨が、木のある森の地下を通って、
石木川となり、川棚川になり、大村湾に注ぐ。

となっている訳です。なんだか、身近に感じます。

通ううち、いろんな人に話を聞きました。

生きものたちは、その水の道を通って
稚魚を上流で育てたり、汽水域で子育てしたり、
さまざまな営みを、行っている。

さらに、人は、
上流のきれいな水を飲んだり、稲を育てたり、
大村湾で魚を取ったり、
穏やかな海で育つ、海藻を採ったりしている。
人の営みも、そこに、寄り添うように、やってきた。

ダムは、この「川」をせき止めることで、作られます。
流れに、断絶が起きます。

まず、上流の岩場にいる生き物が、死滅するのは、
明らかですが、
実は、それ以外にも、溜められた水は、よどみ、藻が生えて、
清流とは言い難いものになり、それが、大村湾に注ぐことで、
大村湾への影響は、大きなものとなります。

稚魚が育つ環境がなくなり、海藻も食べられないレベルのものに
なっていく。

「頭」では、知っていた「科学」の知識でしたが、
そんな簡単な、海と川の関係を、
私は、この年齢になって、実際の場所を知り、水を触り、
生き物を見て、はじめて、実感することになりました。

世の中には、私よりも、知識が多く、頭の回転も早く、
ちゃちゃっと、計算できる人が、ゴマンといる事は、まちがいないでしょう。
社会的な地位もあって、決定権を持ち、結論を出す。
でも、その人たちの計算、結論、
じつは、この「実感」が足りないということは、ないでしょうか?

その「実感」を持つ人を増やしたい。
そんな理由で、こうばる探検隊を続けてきました。

じつは、すこし、人の意識が、変わってきているのを、
最近、感じます。

とにかく、この日は、いい1日を過ごして、
子ども達と、大きな視点で、自然を感じて来たいな、と思います。

Water was rounding, from rain on the mountain, becoming river and ran to the ocean.
That was basic science knowledge and I of course knew since I was a child.

But after I started to visit Koubaru village, where the dam is planned to construct, I learnt the water round much more realistic point of view: the small river will go to the Omura ocean, very closed ocean.
Not only small creatures unique to the narrow river would die, but also the calm ocean would change drastic way and fish won't lay the eggs since beach would be changed. As a result, big fish would lose their birth place, then they would disappear gradually.

Many well trained, clever people can calculate with lots of knowledge, but they do not go and feel the reality: so they just calculate how much they are going to make money using documents.

It is time to learn from the real. We miss the various points of view if just judging from the papers on the table.

We invite families to just look at the place and touch the lives and feel the nature.
It will give them idea of choosing what kind of future they wish.

2019年10月11日

島じかん Busy Islander

斑島にて。カマスの干物。Drying the fish in Madara Island
漁師さんが、そのお父さんから引き継いだ編み方の背負い紐。ものすごい手間をかけている。Hand made belt-he said nobody could make this anymore.
漁師町の路地をゆく、おばちゃんOld lady walked in the alley.
小値賀に行ってきた。
I visited Ojika Island.

取材費がない中で、島に行ったら、記事何本分かの取材をしなくては、との
ミッションもあり、気ぜわしい所もあるのだけど、
人に会い、現地の空気を吸うと、
やはり、行かなきゃ、書けないなあ、とも思う。
I got no money for travel, so I could only visit limited times to research.
This time, I met three people to write three articles.
Still I really felt it important to visit real place, meet real person and feel the air.

今回も、3本分の取材をしたが、
いずれも、現代のあり方を考えさせられた。

都会の人は、「田舎は、のんびりしている」
と思ってる人も多いかもしれないが、
島の人も、実は、いつも、忙しそうだ。
People said, "Country people are slow."
but actually islanders are always busy.

畑仕事や、家のメンテナンス、
近所の行事のお手伝いから、家族の世話など、
次から次へと、することが、待っていて、
どれも、なかなか、時間を取られるからだ。
They have much things to do:
farming, mentain the house, help the relatives,
prepare the festival.

ただ、忙しさの本質が、都会とは、違う。
"Busy in island" is different from "busy in the city"

今回、海外から、小値賀に来て、滞在している人たちと
話をする機会があったが、
オーストラリアから来ている女性が、
うまく、東京と島の違いを、表現していた。
The woman from Australia explain the difference
very well.

「東京の人も、親切で、困っていたら、いろいろ、手伝ってくれた。
でも、みんな、とにかく、先を急いでいた。
だから、おしゃべりや、ちょっとした会話を続けるのは、できなかった。
島の人は、立ち止まったら、おしゃべりする時間がある。
英語は通じなくても、それが、とても、楽しい」
People in Tokyo are kindly helping me
but I see them in a harry, so I had no chance to have a chat.
Islanders stopped and talked to me even they could not speak English.

やっぱり、島の人は、「時間」があるからじゃないの?
と思うかもしれない。
でも、どちらかというと、立ち止まって、おしゃべりをしても、
次の用事を後回しにしたり、作業を次の日に回したり、と
時間配分を、自分で決められる、「自由」がある、
というのが、真実かな、と思った。
You might think, "See? Islanders have more time than city people"
but I want to say, they have freedom to put their business
later or change the schedule by themselves.

都会は、時間で回っている。
この時間まで働き、この時間の電車に乗り、この締め切りまでに提出する。
終われば、休日が来て、自由時間がやってくるが、
とにかく、この時間に行かねば、ここまでに提出せねば、が決まっていて、
旅人と、しばしのおしゃべりをしたり、
友人のSOSに、すぐさま、飛んでいったり、
という、融通は、あまり、利かないのだろうな、と思った。
The city is operated by the time base:
Work from this time to that time, take this time train, and finish the work
until this due. When you finish the work, you would get "free time"
but when you are in the working time, you do not have freedom
to enjoy the chatting with travelers next to your seat.

時間とお金は、計算しやすく、社会を回していく上で、
便利な概念で、公平性も保ちやすい。
でも、一方で、とても、機械的で、無機質でもある。
割り切って、うまく、それに乗っている時は、
人は心地よく、動けて、なにも問題を感じないが、
一度、自分のリズムと合わなくなると、
そこに所属しているだけで、どんどん、調子が悪くなる。
それが、いろいろな、現代の病気の原因じゃないかと思う。
Time and money are very convenient concept
in order to make the society work, at the same time,
they are very mechanical and inorganic.
When you are in a good condition, you are comfortable
working in this systematic society, but once you have
some trouble fitting the system, you are getting worse and worse.

私は、たまに、次に、どんな社会がやってくるのか、
想像してみる。
よく、頭の良さそうな人たちが、「こんな仕事はなくなる」とか
「好きなことを、やればいい」と言ってるのも聞くけど、
合ってる部分もあるだろうけど、どうかなあ、と思う部分もある。
Sometime, I imagine what kind of the society coming next.
Some clever people said,
"This kind of works will disappear"
"You can only do whatever you like in the coming future"
but I felt some points might be true, but other points are question.

生産現場に近い、島やら、地方なんかを回ってると、
「でも、この作業は、ぜったい、誰か人間がしないといけないのでは?」
とか、
「地球環境に、悪いよね?そのやり方」
とか、
「そもそも、それを、人が望んでいるのか?」
とか、考えちゃうのだ。
I walked around islands or some rural area
close to producing farm, factories,
and feel, "still some work should be done by human being by hands"
"This automatizing is bad for the Earth"
"Is it really people wishing?"

今回、すべての道具を、自分たちの手で作っていた、
島の昔の暮らしを知る人と会ったが、
その人が、今、一番、したいことは、
「自分の親たちがやっていた、あの、手作りの道具を
もう一度、自分の手でも、作ってみたい」
だと聞いて、人間の本質を、見た気がした。
I met an old man who was the last immigrants from
abandon island and he told me that what he wanted to do now
was making tools that his parents used to handmade by themselves.

確かに、ものすごく美しい網目の縄を見て、
ただ、尊敬の念しか、生まれなかった。
The handmade tools are just beautiful and
I just felt respect to who made them.

学者さんや、ベンチャー起業家や、政治家やらが
これからの社会の話をする。
でも、あんまり尊敬できない人の未来予想図を聞いてると、
それを、正解だと信じたくない、自分がいる。

自分なりに未来を想像するのは、自由だ。
守りたいものを、守り通すのも、自由である。
時間の配分も、なにを糧にするかも、自由。
なにに価値を感じるかも、自由だ。

一人で、島の風に吹かれたら、
そのことを、思い出させられた。
当たり前のことなのだけど。
Visiting Ojika, stand in the wind of island,
reminded me that I have freedom to imagine the future
from my point of view, not some scholar or venture president said.
I also have freedom to keep what I want to keep,
to use time for what I feel important,
and to evaluate things in my own heart.

2019年10月6日

リトルアーティスト「モンスターをかこう」Little Artist "Monsters"

私の、コレクションの中から、パーツを探す They looked for the papers
切って、貼って cut and paste
それを、自分の線で、描き直していきます。then drew from them
なんだか、おおらかなきもちになる、モンスター Friendly monster
戦士?いい勢いで、ばんばんと組み合わせていき、Worrier?
塗り込みました。おもしろい!good drawing!
コンテで、世界観をかきこみました。シュールなストーリーが、できあがってそう!unique world.
うすい水彩を背景に足して、線画を生かしました。もはや、現代アート!Very artistic!
ひとつひとつの、キャラクターが、ていねいに、あたたかいラインで描かれてます。どれも、ゆるキャラ以上の、ゆるさ!Each has very relaxing atmosphere.
こちらは、5歳の子の作品。初めての木炭に四苦八苦しながらも、がんばって、描きました。コラージュも、ひとつひとつ、選び方がいい感じだね。Youngest girl's work. She concentrated on the work and finished till the end. Good work!
魚を分割して、真ん中に、人の骨を入れて、小さな人たちをいっぱい加えました。木炭の使い方は、とっても、濃くて、迫力があって、よかったね。very funny combination, fish and human being bones. I liked the strong bold line.
優しい線とトーンで描かれた、スフィンクス?この生き物が、悪者なのか、正義の味方なのか、まったく、想像がつきません。たぶん、ただ、そこにいるんでしょう。脱力感が、たまりません。Soft lines and pale grey tone made this picture special. Sphinx? I have no idea this guy is good one or bad one. Fun.
おしゃれなコラージュが、自分の線で描いたら、とても、かわいらしい世界に。極楽浄土のおとぎ話みたい?掛け軸にしたら、すてきだろうな。Stylish collage and charming drawing. It looks like a Paradise.
こまかく、いろんなパーツを組み合わせた、コラージュ。狛犬を散歩させてる異形の神様?おもしろいストーリーが、浮かんできます。Lots of parts from different papers made funny story. God tried to take a dog for a walk?
こちらは、ビッグさん。木炭のトーンを、うまく使い込んで、劇的な雰囲気が出ています。かなり、気味悪い感じで、いいです。 Grownup draw very well and made creepy atmosphere. Some white high lighting worked effectively.
このモンスターを描こう、は、3度目の開催ですが、
いつやっても、スタートは、ものすごく、ワクワクで始まります。

いつもは、既存のキャラクターや、自分のいつものパターンに
引きずられがちな「モンスター」も、
こうして、切り貼りを楽しんで、作っていくと、まったく、
新しいものを、作り出すことができます。

さらに、それを、
自分自身の線で描くことで、自分の世界観に引き込むことができます。

絵を描くのが好きな子は、
すでに、自分のスタイルがあるがゆえに、新しい絵をなかなか
描き出せなかったりするのですが、
今日は、みんなの、いつもと違う発想や、スタイルが見れて、
とても、楽しかったです。

2019年10月2日

カンコロの島紀行2−12「野崎島」 Goto Article, Nozaki

24th article about Goto islands. This issue is about Nozaki island-where many hidden Christianities lived before, but now it is uninhabited island.

I visited last winter to search for the future of many islands which reducing population radically.
カンコロの島紀行の2年目、最後の記事が出ました。

かつて、多くの潜伏キリシタンが暮らし、
今は、無人島となっている、野崎島を訪れた時のことを書きました。

2年以上、かんころ餅のルーツを追いかけて、
たくさん資料も読みましたが、
足を運ぶことでしか、得られない、臨場感、があります。

舟森集落の坂道を歩き、
急な斜面で暮らすことの厳しさを実感し、
また、石で囲んで作った、小さな敷地を見て、
そこを耕して、芋を育てた生活を、想像しました。

同じように、
旅行のツアーで、人に連れられて、ついて回るだけでは
理解できない、人の感情や歴史があります。
米の作れない土地で、なんとか食べ物を確保していた事や、
信仰のあり方、歴史などを知って、訪れたら、感慨もひとしおでしょう。

野崎島訪問は、
多くの過疎地の、考えられる未来、の姿でもあり、
その原因や、そうならない未来を探る旅でもあります。
もちろん、答えは、簡単に見つかるものではありませんが。

この野崎島を訪問した後、最後の移住者の方とお会いすることができました。
来週、その方と、もう一度お会いして、
ゆっくり、お話をしてこようと思っています。
次回の記事は、その方を特集しようと思っています。

次回、、、そう、この「カンコロの島紀行」
なんと、3年目も続くことになりました!!!

かんころ餅の現状は、厳しさを増していくばかりですが、
今思えば、2年前に、取材を始めておいて、よかったと思います。
だんだんと、文化、風景、が消えていく中、
それが、人の営みの中に、はっきりとある姿を、捉えることができたからです。

個人で、できる範囲の、取材の中、それでも、
あるがままの姿を、地道に残せたことを、財産だと感じています。

3年目、さらに、いろいろな人に出会い、
過去、現在、未来の姿を探り、
絵本にまとめる時の、背景として、取り込んでいけたらと思います。

どうぞ、これからも、いろいろな場所にお邪魔して、
いろいろなお話を伺ったり、体験させてもらったりと、
ご迷惑をおかけするかと思いますが、
ご協力、いただけたら、光栄です。
This is the 24th article, the last one of 2nd year,
but Mainichi Times offered me to keep writing next year,
so I would keep visiting Goto and writing about them
relating to this unique food, Kankoromochi,
which allow the Hidden Christians to survive after immigrant
to the very difficult land of islands.

2019年10月1日

令和のききんと、一揆 Tax and Foolen Japanese

ナノカは、イギリス目指して、紙を切る She cut the paper
手作業 コツコツと and put decorations on each
たくさん、できた!to make lots of Christmas Cards.
消費税が上がった。
そして、民衆は、淡々と、受け入れた。

前回の消費税、全部、社会保障に使われる約束だったのに、
16パーセントしか、約束通りに使わなかった。
また、上がっちゃって、それで、いいの?

日本人って、従順だ。

子どもの7人に1人が、相対的貧困にあるのは、自己責任?
この割合になってくると、国の失策か、
国の全体の力が落ちていて、支えきれてないからでは?

江戸時代に、ききんがあれば、働いて、米を作って、
国を支えていた、民衆が、死ぬ。
死ぬのは、将軍でも、大奥でも、越後屋でもない。


今も同じなんじゃない?

最近、日本の教育に興味があって、何冊か、本を読んでいる。

日本の教育制度は、明治時代に、
勤勉で、従順で、優秀な、労働者たる国民を
大量生産するために、作られた、「富国強兵」時代のもの。

それは、高度経済成長時代に、安価な労働力を大量に提供して、
一時期、日本を支えた。

でも、ただ、目的に向かって邁進する、
均一の集団は、変化だらけの、今の時代には、そぐわない。
日本は、世界経済の中で、負け戦を続けている。

縮小していく、経済の中の、小さな氷山の上を目指して、
みんなが、競争している。
氷山の一番上に乗っていれば、生き残れるかも?
下の7分の1は、まず、沈んでしまっても、仕方ないよねー?

ナノカが公立小学校に通い始めた時、
あまりの古い考え方に、あれこれ、疑問に感じた。
ナノカも、いちいち、いろんな所で、つまづいて、引っかかった。

今思うと、ナノカは、すこし繊細過ぎるところがあるのかもしれない。
でも、繊細な子は、まあまあな割合でいる。
それらの感覚が、将来、生み出すものも、いろいろとある。

学校のシステムは、まっすぐに進む、ミスの少ない、勤勉な
国民を作るためには、そうした繊細さは、切り捨てても
仕方のない要素なのだよ、と言っているように感じた。

でも、大量の勤勉なワーカーだけでは、
日本は、先細りしていくだけでは?

時代にそぐわない、意味のない鈍さを求められて、
(鈍感力とは、言うけれど)
能力を伸ばせないで、縮こまって、
輝きを失う子がいる。

教育って、何なんだろう?

私は、すこしだけ、造形を教えたりして、子ども達と出会うけれど、
その頃の彼らは、本当に、それぞれが、それぞれの輝きを放ち、
可能性の塊みたいに、感じて、まぶしい。

これらを、のびやかに、成長させていくことが、教育では?

理由のわからない「しかたない」だらけの世の中で、
それに、染まっちまわないよう、まっすぐ立って、
子どもたちの背中を押し続けたいと思う。