世界中から、いろいろな背景を持って、移住してきた
貧しい人たちと、
世界中の富める人たちが、
隣り合わせに、暮らしている街だった。
だから、不公平さを感じることもあったし、
貧乏だから、損をすることもあった(不動産屋に足元見られる、など)。
週末がくると、公園に、ちょっとしたお弁当を持って、出かけた。
晴れ渡った青空の下、敷物を敷いて、本を読んだり、
野外で音楽を聴いたり、友達とおしゃべりをして、
みな誰もが、その時間を平等に楽しんでいた。
ペントハウスに住む大金持ちも、
20時間労働しているメキシコ移民の家族も。
その時、私は、青空は、誰にも平等で
その下にいる今、私は、どの人とも、対等なのだ、と思った。
そして、いろいろな世界の不条理があったとしても、
この「心の自由」だけは、みんな、生まれながらに、持っているのだと思った。
そう思ったら、とても、幸せに思えた。
選挙権、というのは、そういう「心の自由」の一つだ。
たとえ、会社がいろいろな利害関係で、だれかの支援を決めて、
名簿に名前を書かされても、
それは、会社の仕事の一部であって、
その「心の自由」を渡さなければいけないわけではない。
(会社や組織の推す、候補に入れなかったことで、
仕事がなくなったりすることは、ありません)
この「心の自由」は、人間の当然の権利なのに、
簡単に、奪われてしまった時代があった。
戦争中、「産めよ増やせよ」と言われた。
国が、兵隊や安価な労働力として、必要だったからだ。
そうして、コマとして数えられた「国民」は、
爆弾代わりに、飛行機に乗せて、飛ばされたし、
沖縄では、本土決戦前の時間稼ぎに、降伏しなかったため、
4人に1人の普通の人がなくなった地域もあった。
10ヶ月の赤ちゃんを、防空壕で泣かせないために、
自らの手で窒息させて、その事を、一生、十字架にして生きている
お母さんもいた。
自由な心で、そんなことを選ぶ人がいるだろうか?
本当に、今、憲法改正が必要だろうか?
「現状維持」と思っているのなら、
今まで、70年間、守ってきたルールが、
現状維持、なのではないだろうか。
憲法改正をうたっている「現政権への投票」ではないと思う。
曲がりなりにも、今、私たちには、「心の自由」がある。
選挙に行きましょう。
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