2009年7月10日

Riding Time machine タイムマシンに乗って、、、


「タイムマシンに乗って、過去のある所に戻って、何かを変えたい」と思う人はいっぱいいるのだろうか?消したい過去、取り戻したいもの、もう一度欲しいチャンス、やり直したい人間関係、、、でも、タイムマシンは存在しない。多分、ずーっと発明されないと思う。夢がないかもしれないけど、時間って、とっても絶対的なものだと思う。
私には、この過去に戻りたい、という気持ちがない。というか、あんまり後悔自体がない。(だから成長がないのかなあ)やり直したい事もほとんどない。別に失敗が少ない人生だとは思えないけど、現在が大事というか、、、フォローしたいなら今できる事をすればいいし、出た結果を受け入れて、生きていく以外にどうしよう?
過去を「昔起こった事実」とするなら、それはたった一つの絶対的なもので、タイムマシンがない今、変える事はできない。でも、過去を「思い出」とか「記憶」とか、個人的な体と心に刻まれた歴史と捉えるなら、それは、それぞれの人間の中にそれぞれの形で存在しているので、何通りもある。たまに事実とは大きく間違って記憶されてるのかもしれない。その場合、タイムマシンは存在してしまい、過去は変えられるのかもしれない。でも、それを真実に近づける事って大事だろうか?どうせ記憶を頼りに、前に進んで行かなければいけないのだから、自分に都合のいい記憶だけを胸に、生きていけばいいんじゃないかなあ、と思う。
Are there many people wishing to ride the time machine to go back to the past, and change something? Vanish the fact, get the lost staff, have another chance, and bring back the relationship,,,but the time machine does not exist. It won't be investigated forever, in my view. Time is so absolute.
I am the person who does not have any desire to go back to the past. I even do not have regret.(This is the reason why I cannot learn from the past?) I had no so much things I hadn't done. Of course I made so much mistake, though. I just think highly NOW. If I can do something now, I do. But are there anything I can do but accept the result and keep going?
If we talk about the past as "truth that happened in the past", it is only one fact there. We cannot change since we do not have time machine. But if we talk about the past as "memory of personal experience" it is up to the person. It exist in the heart and body of each person and it could be different from the fact. But are there any meaning for seeking the fact? We have to go ahead, with these memory. We just need the memory helping us to go ahead.

My favorite things すきなこと

昨日の夜、「あ、魚が食べたい」と思って、ツルカメランド(すごいいい名前でしょ!でも、実在のスーパーです)にお買い物に行った。セロリとかニンジンとか缶詰とかを買って、すっかり暮れてしまった街を、夕涼みしながら、風を浴びて歩いてると、「ああ、私この時間大好き」と思った。

例えば、朝もそもそ起きて、ドリップでコーヒーを入れながら、ふくらみを見てる時間。充満するにおい。リンゴをシャリシャリむく事。飽きる程聞いてる音楽をかけながら、だらだらメールをチェックして、のそのそ仕事を始め、なんとなく夕ご飯の事を考える。奮発して買ったドラム式洗濯機が回るのを見てるのも好きだ。
爪にたまにネールをする。自分でするので、むらだらけ。でも、ピンクな爪を見ると幸せ。その手に翡翠のブレスレットがぶら下がってるのを見ると、さらに幸せ。
たまに、かかとの高い靴を履いて、カツカツ歩いてると「歩いてるなあ」と思って、気持ちがいい。
近所のネコや金魚を見るとテンションが上がる。お惣菜屋のおじさんは照れくさそうに、江戸っ子風の商売トークをつぶやき続けてる。路上骨董品屋のおじいさんは、夕方になると今日もいそいそ店支度。この街も好き。
3方向に窓がある自分のアパートも大好き。出窓の方に向けてる、大きな作業台も自慢。その前をネコが通って行く。順番に、黒、白、三毛、トラ、などなど。椅子は自分で布ばりしたお花柄。もちろん、大好き。
自分の仕事も好き。多少、差はあるものの、基本楽しい。生み出す苦しさや、自分の限界に向き合って辛い事はあるけど、やっぱり好き。
自分の料理したものも好き。小松菜とか、ほうれん草とか、ゆでておいて、ちょっとづつ食べる。お米は5分付き。麦茶は作って冷やしておく。ふいに友達が来たらいつでも出せて、食事時になったら、簡単におにぎりとみそ汁ぐらいは出せるのが理想。おすそ分けも好き。もそもそ手作業してると気持ちが落ち着く。

歩きながら、自分は好きな事しかしていない、と思った。ふと不安になった。何もイヤな事をしないで、生きている。だから、罰が当たるんじゃないだろうか?みんなイヤな事をいっぱいしながら、我慢して生きてるのに、、、

もしかしたら、私が作り出すこの生活感や世界観が、合わない人もいたのだろうか?一見、害がないように見えるけど、非の打ち所のない程マイペースに自分の空間を作り出して、実は息が詰まりそうなこともあったんじゃないだろうか?私は案外、自分勝手なんだろうか?

そう考えたけど、家に着く頃には、「ま、いいや」という考えにまとまった。

2009年7月7日

Tanabata Bomb 七夕爆破

七夕だ。
去年の七夕はまさに遠距離恋愛中。折しも、私と同時期に付き合い始めた友人も遠距離恋愛中だった(遠距離結婚だったか)。そして、どちらの遠距離恋愛も終わった。かたや見事に破局したが、あちらは結婚して、一緒に暮らし始め、そして赤ちゃんも授かった。めでたしめでたし。なににせよ、遠距離恋愛は終わりがある。永遠に一年に一度会い続ける織り姫と彦星に同情せざるを得ない。で、彼らを破局させてみました。
Today is Tanabata-the day for distanced lovers. I was one of them last year. My friend was, too. Both distance love were over this year. Mine was over, but her ended up with marriage, start to live together, and pregnant. Happy ending! Anyway, it should have end. We cannot meet only once a year forever. I had deep sympathy with Orihime and Hikoboshi. Then, I tried to break them up.
距離を置くと、心にも距離ができるものだ。勝手な妄想が広がったりして、、、
Distance made gap between lovers. Hikoboshi started big business plan to make plantation of the cow, made company, be rich and poplar,,,,

勝手な結論が出てたりして、、、
Then he hit on the selfish conclusion "dear Orihime. you should find your own happiness...Hikoboshi."
とっても悲しい結末。
sad ending,,,
とはいえ、女はいさぎいいのが一番。
But girls should be strong.
まずは、未練を断ち切る。ぶっつりと。
Orihime bombed the bridge to give up Hikoboshi.
あー、なんか、すっきり。
She felt that it is really over.

これから、ぼちぼちですなあ。
Dad"There is many things in life." Orihime,"I know,,"

2009年7月6日

Scream さけび

曲として聴く時に好きな声に特徴があるなあ、と思った。
作業中は音楽かけっぱなしだ。
私は、その人の限界にちょっと近い所で出る高めの声で歌われた歌が好きみたい。叫び、みたいな、切ない感じがするからかな。高ければいい訳でもなく、絶叫もイヤだけど。

この人はジャズピアニストだけど、このCentral AvenueでPanama Bluesていうのが、男の人の声でずっと高音で歌ってて、すごい好き。(ちなみにこの人、私の友人のダニーにそっくり。英語で書くとばれるから、書かないでおこうっと)

Con Te Partiro きみととびたとう

アンドレア ボッチェリ という盲目のオペラ歌手が歌ったアルバムを持っている。
I have CD of Andrea Bocelli, who is a blind opera singer.
こんな感じの人だ。さすが、ミュージシャン。さすが、ヨーロッパ人。赤いバラを抱える無精髭のおじさん、てすごいなあ。でも、かっこいい。
He is like this. European! Musician! An middle age man can hold red rose! But anyway he is cute.

この中に、Con Te Partiro 君と飛び立とう、という曲がある。私はこの曲を聴くと、触感を感じる。手を握った感じ、風にあたる感じ。そして、うすい光。明け方の雲から差す光。あと眼下の荒れた草原。(これは視覚だけど、なんとなく存在を感じる)かすかな風のにおいもあるかな。
目が見えない、という事は、視覚以外のものをより強く感じて生きていることになる。彼の表現は自然、目の見える人とは違ってくる。そして、それは歌に強く薫る。ハンディキャップと呼ばれる部分というのは、決してただ欠けてる部分ではなく、あたたかにその人を作ってる部分なのだ。
同じように、だれしも、それぞれの個性をもっとあたたかく受け入れてもいいんだよなあ、と思う。
There is the song, Con Te Partiro. I can feel sense of touch. Warmth of hands holding, the wind, and soft light from the sky through clouds, existence of the rough earth below. He lives in the world of luck of vision. His sense feels more other sense. Then it smells in his songs. More richness exist there. Handicap, "something different from ordinal people" are not just luck but warm uniqueness of the person and made them up in warmth. We, ordinal person, all should feel that warmth of what we are in everyday life.

ちなみに、本当の歌詞はこうらしい

ひとりでいる時
地平線に想いを馳せる
でも、言葉は届かない
そう、光なんてない
日の差さない部屋には、
きみがぼくのもとにいない時には。
窓に
人々に僕の心を見せておくれ
君が灯した心を、
僕の中に閉じ込めて
君が道で出会った
光を。

2009年7月2日

Possible writing 書ける文章

本日も工事音朝8時から夕方5時まで、きっかり。スタバで仕事も慣れてきました。今日は、なんか文章も打ち込みたい気分だったので、アップルちゃんも持ち込み、打ってみました。書けるようになったのは嬉しいのですが、いったい、この文章どこでどうしたらいいのだろう、、、というようなモノばっかり、書いてしまいます。
I worked at Starbucks today, too. I brought apple there and tried to write. I ended up finish some text which I was not sure where to bring.
私は、具体的に課題をもらえば、その時は小器用なので、、、
When I got the offer to write on specific matter (ex. friendship between two lions with tears)
なんとか書き上げちゃうのですが、、、
I could do anyway,
本人の自発的な創作意欲に任せると、(せっかく待ってくれてる企画もあるというのに)
But if I tried to write from my motivation,

その時の気分のものしか、書けません。
I only wrote what I felt at that time.
最近、大量に書き上げた、どうしたらいいのか、わからない文章の山。どうして、期待されてるものが書けないんだろう、、、
What should I do with these recent stories? Why couldn't I write what people expect me to do?
商品である以上、本も受け入れ先があるものじゃないと、売れません。私の状況を心配してくれる様々な人がいろいろ「売れる」アドバイスをくれます。
Books are products for publishers. Then we have to sell. Many people gave me advice what I should write.
でも、知識ばっかり増えても、なかなか、その通りに書けるもんじゃありません。不器用な私。この「こういうものが、いいんですよ」という意見が、身にならないのは、、、
Although I gained the knowledge, I cannot write as I was told. I am not so clever. 

既婚者の恋愛アドバイスにも似て、耳が痛いけど、全然、身につかないものですねえ、、、
It is similar to the advice from the married women. I can never follow even I got.

2009年7月1日

I am fine after all いろいろあったけど わたしはげんきです

I am fine after all-from "Kiki"
いろいろあったけど、わたしはげんきです。(魔女の宅急便)

今日も朝から、隣の工事のガガガガガという音から避難すべく、スタバへ。静かに仕事をするつもりだったけど、そこに「試験勉強をする女子高生2人組」というのがいて、そのうるさいこと!でも、女子高生ってこわいモノなしだなあ、と感心してしまいました。学校の教師のことを、「きもい。刺されればいい」とか「あいつなら、もうちょっとオシャレしてくれたら、つきあってあげてもいい」とか、男論(ありえなくね?とか)、友達論(まじ、むかつく、とか)、人生論(大学いくの、うぜー、とか)、まあ、すごいなあ(盗み聞きしなくても聞こえてきた)。私もあんな風だったのかなあ、と思ったら、「女ってちゃんと成長するんだなあ」と少し、安心しちゃいました。
彼女達が強気なのは、親の庇護のもと、世の中がとっても安全なんでしょうね。それで、「魔女の宅急便」を思い出しました。宮崎駿は、角野栄子作の「魔女の宅急便」を「都会へ出ていく女子大生」への応援歌に焼き直したのだそうです。強気でやる気がいっぱいのキキが、新しい街で一人で自分自身の可能性や弱さや絶望までと向き合って、一度は飛べなくなっちゃう。空回りや、自分のふがいなさを知ったり、恋をしてみたり(トンボ君は鈍いし)、で少し大人になって、そして、「いろいろあったけど、わたしはげんきです」のセリフが出てくるのです。
すでに、私もこんなに育ってしまいましたが、いつも共感しちゃいます。すべての女性は常に、このセリフを胸に、都会で暮らしてるんじゃないかなあ。
I went to starbucks today again to escape from the construction noise, but I happened to sit next to high school girls who were super-noisy. They talked about teachers, boys, friends and life. They had no scare in the world. Everything is existing for them as center. I might be like them when I was at that age, and I felt that girls will get mature by age. I thought about "Kiki." She moved to new city by herself to train herself as a witch. She was strong minded at the beginning but soon she faced on the reality-her ability, her weakness, her loneliness,,,then she got over them and became a little matured. "I am fine after all the things." is the girls (even aged girls in the city) common quotation.