知人と、書籍の話になった。
以前、デジタルマガジンの発信をしている方とお話しした時に、「デジタルには、デジタルの文章のコツがある」と教わった。流れるようにやってくる読者を、惹きつけ続けないといけない。その一瞬で興味を引くことができないと、数秒後には、すぐにページを去ってしまうからだ。
ということで、さっと答えを言ってのけたり、すぐに画像を差し入れたり、おもしろコメントを入れてみたり、いろんなテクニックがあると言う。読みやすく、流れるように、後ろへと誘導していく。いわば、サービスのいい文章なのだ。
かたや、紙の文章は、ちょっとした構築物みたいになっていて、行って戻って、読み直して、、、しっかりと読まれることを前提としているので、骨組み、土台があって、まあまあ、ものものしい。
デジタルと紙書籍の違いの話なんてされても、新鮮味ないだろうけど、デジタルに優れてる部分と、紙書籍のよい部分があるのは、本を読む人なら理解してることだろう。
紙書籍のよさは、「サービスの悪さ」にある。それは、文字がただ羅列してあるだけ。言葉という抽象的なものの組み合わせを、読み手は、自分の感覚や体験の中にあるものに照らし合わせて、理解しなくてはいけない。想像力で埋めていく作業だ。
サービスの悪さゆえに、読み手が入り込む部分を多く残し、深く関わらせる。心の奥まで行く、深い旅をさせる。脳の体力も消耗する。
紙の書籍を読む人は、年々、減っている。必要性がなくなったからだ。生きていくために必要な情報は、ネットで取ればいい。そんな中で、「やっぱり、紙の書籍を読んでもらいたい!」と願う、旧書籍時代の活字原人たちは、どんな抵抗ができるだろうか。流れを変えるほどのことは、なにもできない。
されど、なんにも、やらないのは、どうなんだろう。
ということで、「なんか、しましょう」と話して、終わった。
「コロナ収まったら、なんかするぞと、原人が、腕まくりする、昼下がりかな」
わが家は、それぞれが読み聞かせをして、みんなで一緒に本を読む習慣があります。これは、今、相方が読んでくれている時代小説。なかなかに、ハードボイルド。 |
戦国時代の話なので、大河ドラマで見た「明智光秀」とか、わたしが追いかけている「潜伏キリシタン」とか、先日訪れた足立美術館で見た「姿絵」とか、名護屋城とか出てきます。いろんな体験が、本の中で結びつくって、とても、心地よい。 |
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