2022年1月14日

皿洗いバイト earning money

 

 一昨年、サンタさんに頼むプレゼントに迷って、第2希望の「新しいリュック」を自力で買うことにしたナノカ。皿洗いをまるまる1日分500円として、5000円稼ぎ、見事、リュックを手に入れた。

 今年の冬休みも、お金の話になったので、「去年と同じように、皿洗いのアルバイトしてもらってもいいよ」と言うと、「やりたい!」と言う。ところが、休みが始まっても、遊びに宿題にと、大忙し。 皿を洗う様子はなかった。

 あと冬休みも数日となってから、「皿洗い、やろうかな」と言いだす。そこから2日間、がんばって、1000円を稼いだ。

 冬休みが終わり、朝や昼のお皿洗いはできなくなった。現在、1食分150円でのお皿洗い契約となっている。

 鉄製のフライパン、ご飯を炊いた鍋、ちょっとお高いお皿。扱い方を教え、一つずつ、片付けられるようになった。

 お金がかかっているので、きちんとしようと思うのだろう。普段、お手伝いをしてもらう時には、やり方を教えようとすると、ダメだしをされたと思って、へそを曲げてしまうこともあるのに、妙に素直だ。一気に、片付け上手になった。

 お金の扱いに関しては、家庭によって、マチマチの考えがある。ナノカのお友達は、先日、お小遣いを1年分、まとめてもらっていた。一月500円で、6000円だ。1年で、それを計画的に使うなんて、大人でも、難しい。チャレンジだなあと思うが、やりきれたら、自信がつきそうだ。

 子どものお手伝いに、お金を渡すことに対し、否定的な文を読んだことがある。それをすると、金銭でしか働かなくなる、と書いてあった。逆に、お小遣いを定期的にあげると、社畜になると書いてあった本もあった。なんだか、子どもにお金を渡すのが、恐ろしくなってしまう。

 でも、人生は、お金との付き合いを避けては通れない。触らないまま、大人になって、突然、やりくりするのは、大変。渡し方は、それぞれの考え方があるだろうけど、お金とのお付き合いは、段階を追って、必要だと思う。

 お金のない世の中を目指す思想も見かけるけど、しばらくは、生きていくのにお金が必要そうだ。それに、万が一、貨幣がなくなった世の中が来たとしても、社会に貢献し、そのことで、自分も社会から報酬を得て、生きて行くというスタンスは、変わらないのではないか。そもそも、きちんと、分配がなされていたら、貨幣でも、物々交換でも、いいように思う。結局、必要なものを、必要なだけ受け取って生きて行くことを、わたし達はできていないのだろう。

 縄文時代から、弥生時代に移った時、米を得て、安定した食生活で、人は幸せになるかと思いきや、即刻、身分ができて、戦争が始まった。縄文や弥生文化が好きなナノカに引きずられて博物館に行くと、その話のところで、考えてしまう。弥生時代の遺跡になると、一気に鉄製の武器が、ずらりと並ぶ。

 その時から、ずっと、人は奪うことで、豊かになり、権力を得る、という構図を繰り返してきたんだろう。そう思うと、人間の歴史が、重たく感じる。問題は、お金じゃない。搾取なんだと思う。

 スマホ脳を読んだ。今の人間の脳は、生き延びられた人間たちの脳だ。より多くの食べ物を、欲張って食べる人間の方が、今日の分だけ食べる人間より、生き延びる確率が高かった。それが、過食の原因。長いサバイバルの歴史の中で染み付いた脳の傾向は、今の社会に合っていないかもしれない。SDGsじゃない、わたし達の脳みそ。

 子どもに、お金を触らせるのは、うまく社会を動かす人になって欲しいという希望をこめて。 稼ぐことは、悪くない。使うことも、悪くない。たくさん稼いで、うまく使ったらいいと思う。たくさんの体験を通して、お金の特性を理解して、社会を体感して、広い視点を持って、生きていっておくれ。

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