きれいな海で、おだやかな時間を過ごす人々。この平和な時間が、ずっと続きますように。Peaceful time at the beautiful beach. I wish it last forever. |
8月9日は、佐世保の小学校は登校日で、平和集会が行われます。
昨晩、NHK東京児童劇団に所属している甥っ子が、原爆の特集番組で
朗読を担当すると聞いたけれど、4歳のナノカには、まだ、衝撃的すぎると思い、
見せることができませんでした。
原爆に関しては、まだ、なにも、教えていません。
わたしは、主に、絵本や映画から、原爆の話を学びました。
子供心に、とても、こわくて、痛くて、悲しい話ばかりでした。
目を瞑りたくなり、耳を覆いたくなる。
ただ、「絶対に、起きてはいけないことなんだ」ということだけは、
深く、深く、残りました。
それは、主義や思想が違っていても、日本人の共通のきもちで、
世界にも伝えれば、伝わる気持ちだと、思ってきました。
最近、驚くような意見を耳にすることが、増えました。
「ISの撲滅のためには、やっぱり核が必要なんじゃない?」というネット上の意見。
冗談や極論だとしても、日本人として、見過ごせない意見です。
政治上不安定な地域にいる人々は、無差別に核攻撃で殺されても、いいのでしょうか?
そういう地域で起こる紛争のためなら、核を「運ぶ」手助けをしてもいいのでしょうか?
では、自分たちの政府が混乱した時に、同じことをされても「仕方ない」のでは?
「戦争に行きたくないという学生は、わがままだ」、という政治家の言葉にも、びっくりしました。
「国のため」が、信頼ならないのは、歴史で証明済み。
国は間違えるし、責任を取らないし、命は戻ってきません。
わたしは、自分の子供たちが、「戦争に行く」ようなことを国に求められたら、
全力で逃げてほしい。
国を敵に回しても、自分の子供の命の方が大切です。
でも、実際には、国を敵に回したら、生きていけないので、
そういう国にならないように、みんなで、見張っていかなきゃいけないのだと思います。
軍人ではないし、自分には関係ない問題、というのも、ちがうと思います。
イラク戦争の時、ニューヨークの公園で、こんな展示がありました。
亡くなった若い兵士たちの、遺品である靴が、えんえんと、並べられている。
その多くは、高校を卒業したばかりの、移民の少年たちのものでした。
アメリカは、徴兵制ではありませんが、実際に危険な戦地に赴くのは、
大学に行く費用を稼ぐために、数年間だけ、軍に所属していた、若い少年たちだったのです。
銃を持たされ、人を攻撃し、心も体も傷ついたのは、裕福でない家庭に生まれながらも、
向学心にあふれた、ふつうの青年だったのです。
70年という節目の年。
そして、1年のうち、一番、戦争について、原爆について、被害者の方や、遺族の方の思いを受け止めるべき時期。
まだ、娘には、戦争や原爆の悲惨さを伝えられる時期ではないけれど、
少しずつ、「話し合いが大切」「力づくでは、相手の心も体も、傷つける」「ただしいと信じていることは、言っていい」ということから、平和の話を、してやりたいと思います。
August 9, 70 years ago, The atomic bomb was burned out Nagasaki city.
Here, in our town, the elementary school students went to the school in the middle of the summer vacation for studying the tragedy of the atomic bomb and praying for the dead and their family.
I met many people who were second or third generations of the atomic bomb experiences here. I felt much closer to that tragedy.
Recently I felt the fear about the world tendency.
People got a bit radical idea. Some people insisted that we need to use the atomic bomb to IS.
But remember, there are so many ordinal people are living there. Is it OK just because the politicians there are crazy, we kill the kids and mothers, people there, for no reasons?
Then can you allow the other country to throw the atomic bomb over your and your child head when your country in collapse?
This is what we had to learn form the history.
There is no right reasons to use atomic bomb anywhere.
It is too early to tell the story of the atomic bomb to my 4 year old daughter.
But one by one, I want to teach her the importance of the communication, and meaningless of the violence.
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