2010年3月24日

くやしい、、、

実家に帰省していた時、ハルトはじいじとお留守番をしていて、最初2回は自分でトイレに行く事ができたのに(ほめられた)、最後の1回が間に合わず、惜しい所で失敗してしまった。その時、ハルトは、「くやしい、、、」と言ったのだそうだ。それを聞いて、「くやしい」て、いろいろなプライドや自我が育ってきて初めて感じる感情なんだな、成長したんだな、と感慨深かった。

今日、私はちょっと「くやしい」気分になった。同時に、「腹を立てる自分の方がいけないんだ。」とその感情を押さえ込もうとしてみて、ふと、ハルトの「くやしい」を思い出してみた。「くやしい」は悪い感情なのだろうか?そして、ニューヨークではみんな、間違ってると思った事には、「間違ってるよ」と堂々と怒っていた事を思い出した。「こうした方がいいのに」と感じる事は、誰にも同じように与えられていて、部下が上司に感じたり、一人の人間が国に感じても、いい。そこに人間としての誇りさえある気がする。怒らないでおこうと思うと、矛先を収めるために原因探しをして自分を責める事になり、自分のジャッジに自信が持てなくなる。自分ばかり責めて、ちっちゃくなってるのも、楽しくない気がした。気分よく怒って、前向きに対応しよう。

ニューヨークにいた時、図書館や本屋さんによく顔を出した。どこでも、大概、作家というのは歓迎されて(本を扱う施設なのだから、作家と協力関係だから)、私も、自分にできる地域活動にできるだけ参加して、子供の文化活動に貢献したい、という気持ちになったものだ。

ということで、近所の図書館に、「新しい絵本が出るので、よろしくおねがいします」と言いに行ったら、本も見ずに、「寄贈本の扱い」の説明をされてしまった。「自作の本もリサイクル本と同様に引き受けている」という説明。リサイクル本と、作家本人の本を同様に説明する事自体、普通に考えても失礼じゃないか?とムッとしながら、「地元の作家なので、地域の図書館の活動と協力したいと思ってるのですが、、、」と言ったら、「今の説明のとおりです」とのご回答。作家て、全然、歓迎されないんだな、と、ガッカリした。

この図書館が特別なのでもなく、担当者さんが悪い訳でもない。前にも、別の地域で全く同じ対応を受けた事がある。そういう規定になっていて、図書館自体の役割が限られてるから、こう対応するしかないんだと思う。ただ、「豊かな図書体験を育てる場作りに積極的」であるとは思えないし、「図書活動に協力的な作家を育てる意志がある」訳でもない。全然、好きになれない。ニューヨークの、自由で、強くて、元気な、あたたかい図書館が恋しくなった。でも、場所が違う以上、私のアプローチの仕方も変えないといけないのだろう。ハルトと同様、「くやしい」をバネに、頑張るしかないかな。

2 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

お久しぶりです。剛です(ai mikiaiさんの友人の)。
私は、日本である程度やってから海外に出ましたが、似たような体験をしてます。
一緒に出来るかどうかは、微妙ですが、一般的に日本では個人の創作活動を日々の糧にしている人達への評価は、欧米に比べて低すぎるとヒシヒシ戸感じてしまうことが多々…
まだ、言葉が全くできない時に当時働いていた店の近くの調理学校に料理を教えに行くことになったことがありました。その地方では有名店で、言葉できないなりに、私の言うことを分かろうとしてくれ、指示を聞きに来たり、やってることを見に来たり、と若者(ほんとに若者14歳とかもいました)達がちゃんと、尊敬のようなものを持っているのに、逆に感動してしまいました。
こないだまで働いてた店も、研修の形で来てる17歳が、”剛、おれ、このままでいいか?だめなような気がする…”って相談してきたり。
町の人も、コックでイタリア料理やってて、日本人で(イタリアはとても親日です)それなりの店で働き続けてる、って言うのが分かるとちゃんと尊敬をもってかかわってくれます。そうじゃない人もちょっとはいますが。

やはり、娯楽を提供する職業は日本では風俗の括りになっていたのか?と感じてしまいます(本との意味での風俗は、世間一般の娯楽だと思ってます。今は悪い意味の方が強いですよね)。

今になって、多少、いろんな事が見えてきて思うことは、”こっちと同じことは、日本じゃ出来ない。”。多分、私も日本に帰ったらいろんな悔しいって言うがでてくるんでしょうね。同じように、自分なるのアプローチを見つけないといけないんでしょうね。
まぁ、生涯現役で死ぬまでバタバタしてる人生にあこがれる反面、穏やか~に流れる日々に憧れる気持ちも分かる今日この頃。M嬢の言葉にかぶるような(個人的に勝手に解釈しただけです)、勝手な共感を持ってしまいました。今、一番一緒にいるミラノ在住のアーティストの女性(うちの母ちゃんぐらいの歳の人)に”君は、本当の意味で一番揺れ動いてる時期かもね。”って言われたからでしょうか…。人それぞれ、イロイロ有るのでしょう。その中で、いろんな人と交われたらいいな、と、で、それが出来れば幸せなのだろうなと、多少、酒の入った頭で思っています。
乱文、長文で失礼します。

にしむらかえ Kae Nishimura さんのコメント...

剛さん、お久しぶりです。

あー、わかります。
多分、海外って「ものを作る」という事に対して、スタンスが違うんでしょうね。「ゼロからものが出来上がって行く」事に対して、素直な感動があって、だから妥当な敬意がある。「ものつくり」人間にとって、居心地がいいですよね。
日本は違いますねえ。若干、「消費者=お客様」という立場かなあ、とも、「私にはわからない」という判断を避ける立場とも。日本にいるのだから、ここのシステムに合わせなくては、と思ってやってきて、でも、ふと気付くと、自分の意見に自信までなくして、ちっちゃく折り畳まれている気が、、、
むしろ、ちゃんと怒ったり、感動したりして、人から「変な人」と思われてしまっても、素直に暮らす事の方が、ここでは「作家である」自分を守れる気もしました。
どうやら、ドラマティックなイタリア生活を送ってらっしゃるようで、、、いろいろな感情を経験する事によって、より多くのことがわかるようになる、と(確か)向田邦子も言ってたそうなので、存分に揺れ動いて、いいのではないでしょうか。