2008年8月2日

read emotion from text 文章から感情を読み取る

あるカップルが大ゲンカをした。
女性は何通もの手紙やメールで、ていねいに心情を説明したが、どうしても相手にわかってもらえなかった。最後に、、、と思い、顔を見ながら説明したら、「そう言ってくれればいいのに」と一瞬で仲直りできたという。女性は、相手がまったく文章を読解できてなかったのだと気付いた。書いてある事実はわかるのだが、そこに存在する感情が実感できてないようなのだ。「かなしい」と言われれば、かなしいんだなあ、と思う。しかし、それは、言葉の羅列にしか見えてなかったのだ。

文章は難しいなあ、と思うのは、書く方にも、読む方にも、それぞれ力がいる、ということだ。
さらに、トピックが感情となると、ハードルがはね上がる。
例えば、「犬が道いく人にほえた」という事実を書けば、誰しも、犬がほえた事を読み間違えることはない。知識がさらにあれば、「ラブラドール犬が、道を歩いていた検察官に吠えた」という、さらにちょっと専門的な文章が正確に読める。
ところが、個人的になってきたり、内容が抽象的になってきたりすると、知識だけでは読めなくなる。「あなたが私の名前を呼び間違えた時、私はドキリとする程、切なかったんだよ。あれから、ずっとぽっかり心に穴が空いたみたいだった。」とか、「その日、月はまるかった。そう、あの日と同じように。月は私の10年間を見透かしたように、こうこうと私を照らした。」とかなってくると、とても微妙になってくる。
ドキリとか、切ない、とか、あるいは、このちょっと安っぽくもなりそうな言葉をあえて使ってきた心情やら、2人の関係に対する相手側の意識など、自然と読み取ることを迫られる。後者に至っては、月は科学的に言えば、人の過去なんて見透かさない。事実は、月が丸かったことぐらいだ。論理的根拠はゼロ。 でも、そんな気分、というものは存在する。その「なんとなく」を表現しようと、四苦八苦してるのが、そうした抽象的な文章のすべてだ。

この感情読み取り能力、感情ある文章を読んだ経験によって養われる所が大きいように思う。人は、なんとなくを、こんな風にも、あんな風にも、書き並べ立てるのだという事例。そうして、「ふむふむ、このように書かれたものは、自分も感じたことがある、あのなんとなく、のことかしら」という共感体験。次第に、文章から感情が読み取れるようになっていく気がする。そう思うと、たーくさん、感情ある文章を読んだ方が、ちょっとばかし豊かになれそうだ。

4 件のコメント:

やっさん さんのコメント...

国語の教師に、「ただ、文章を読むのではなくて、行間を読め」と教わったことがある。母親が読書好きの影響もあり、中学生までは、図書館の本を片っ端から読んだが、私は、はたして行間を感じることができたのだろうか?
顔を突き合わせて、話しても、自分の言いたいことをわかってもらえないことが多い。メール等なら、なおさら、伝わりにくいだろうな~。
ありがとう。いろいろ考えさせられる書き込みでした。

匿名 さんのコメント...

やっさんが言う通り、面と向かって話していても伝わらないこともあるから、文章だけで感情のすべてを伝えることはムズかしいよね。

言葉や文字は、地球上で人間にのみ与えられたもの。
人前で自作の曲を歌ったり、電波を通して人に伝えることを趣味(?)としている一人として、考えさせられますね。
僕のコトバは伝わっているのでしょうか。。。

にしむらかえ Kae Nishimura さんのコメント...

やっさん、
そういえば、国語教師、「行間を読みなさい」て言ってましたねえ。でも、きっと読書好きでたくさん読んでいたなら、意識しないでも行間を読んでたんだと思います。じゃないと、本なんて、おもしろくないですもん。
正確に伝えることは、難しいですよねえ。難しいからこそ、人はそういうつながりを探すのかな、と思ったりもします。
やっさんのコメントの文は、短くても、いつも誠実な感じがします。

にしむらかえ Kae Nishimura さんのコメント...

Blue-chanさん、
本当に、言葉ですべて伝えることなんて、難しいんでしょうね。
でも、伝えられなかった感情や表現できなかった気持ちが、本や音楽の中に、奇跡的に見つけられることがあります。形のないものが、ひとつの形を見つけて、誰かと共有されてるんだな、と思うと、やっぱり伝わるときもあるんだな、とも思います。
ちなみに、私、仕事中はラジオつけっ放しのヘビーリスナーなのですが、ラジオという媒体、私はとても好きです。出てくる人達が1人でこちらに語りかけてくれている、素直な媒体に感じて、こっちも素直な気分になります。blue-chanさん、頑張ってください。