しばらく、仕事でこもってました。一息つきました。
「
診療室に来た赤ずきん」という本を読みました。精神科医の書いた本です。
「物語には、患者さんの病気の原因になった状況を、うまく言い表してくれ、
納得させてくれる力がある」というような、内容でした。
そういえば、心理療法に箱庭療法というものが、あります。
箱庭は、患者さんの心に突き刺さった原因のトゲを、心の奥底から
自然と引き出してくれるのだそうです。そして、箱庭のいい所は、
心の中のぼんやりした暗闇から、箱の中に引き出してみても、事実として
はっきりと表れないで、抽象的なままな事だそうです。
例えば、「私は母を憎んでいる。殺したい。」という幼少期のトラウマを押さえ込んで
今の症状につながっている場合、
その事を言葉にすると、本人がさらに傷つく事があるといいます。
でも、抽象→抽象で発散してしまったのなら、なんとなく癒されてしまう。
(河合準雄氏の著作より)
物語は、そういう代役で、抽象的に誰かの気持ちを代弁し、共感をさせ、
思わぬ所で、そうした意図もなく誰かを癒すのでしょう。
知己の編集さんが、「読者の本離れは、現代人は本を読むという孤独に
耐えられなくなっているからだ」という説があるのだと教えてくれました。
読書に使われていた時間とお金は、携帯電話代に流れているといいます。
その説を、「お友達には、本は勝てなかった」と称してました。
(あくまで一般的な傾向で、今でも、本を読む人は多くいると思います)
なるほど、ポール・オースターも「
孤独の発明」で言ってたけど、
本を書くのは、なかなか孤独な作業です。
それなら、本を読むのも、確かに孤独かもしれない。
でも、現実的には、人間、100%誰かと完全に理解し合って
始終寄り添っていることは無理です。それぞれ個性も価値観も違い、
事情も違うし、その上自分の意思とは関係なく、事件やドラマにも遭う。
携帯などで実際につながっている、生の人間にしか孤独を癒してもらえないのは
危うい気もします。
人は、誰しも、ちょっぴり孤独で、ちょっぴり寂しいもの。
不運な時も、不幸せな時もあるし、ずるい部分もあれば、弱い部分もある。
それを、物語は代わりに、堂々と語ってくれます。こんなにも不幸だけどしぶとく生きてたり、
こんなにもずるい事を平然としていたり、弱くて全然社会に適応してなかったり。
以前、私の「のんびり いもむし」を読んだ、若いお母さんから、
癒された、とメールをもらった事があります。
完璧主義の頑張り屋さんな彼女は、出産を期に仕事を辞め、育児に専念してたのですが、
理想通りに行かない育児や、早く復帰したいという気持ちなどから、
焦りを感じたり、自分を責めたりしてたのだそうです。
そんな時、「どんな事があっても、ま、いいか、と寝てしまう いもむしが
最後まで、結構、うまく行っちゃう」という話を読んで、
「そっか、まあ、いいか、だよなあ」と思えて、楽になったそうです。
私が、その話を書いた意図には、「若いお母さんに、大丈夫だよ、て
言ってあげたい」という、気持ちは別にありませんでした。
4歳ぐらいの子供が読むお話だったので、読みやすくって
場面がよく変わる、明るい話を依頼されて、書きました。
でも、どこかで、私も「ま、いいか」と自分に言い聞かせる生活をしてた時期でも
ありました。そういう意味で、私も書くことで、自分を励ましてた所があります。
どこかで、作者と読者は、つながってるのでしょう。