2023年5月9日

AIロボ AI robbot

 

 
 
今年も大学に通って研究することを決めた娘。

迷いに迷って、研究内容を「ものわすれサポートロボットの開発」にした。

お年寄りの発言、行動を記録し、「ものわすれ」を起こした時に、ヒントを出してくれるロボットを作りたいらしい。

わたしも、「ものわすれ」はどうして起きるのだろうか、どのようなサポートが脳の後退防止に有効なのだろうかと気になったので、認知症や脳の本を読んでみた。 興味深い。

ものわすれサポートロボットは、AIなしでは作り上げられない。ちょうど、チャットGPTの記事を、連日見かけるようになった。

AIに関しては、わたしは、文字文化の衰退が心配だと思ってきた。

機械が作った文章が身近になった時、どの文章が人間の手に残るのか、想像してみる。 説明書や解説文は、AIが合理的な文章を書いてくれるだろう。報告書や記事なども、情報を入れて、書いてもらったものを最終チェックだけ人がすれば、時短となり、人件費も削減できる。そうやって、機械が書いて、人が読む、という構図になっていくのだろうか。しかし、考えてみると、正しく読み取るのだって、機械の方が上手かもしれない。そうこうしているうちに、機械が書いて、機械が読むことになっていたりして?そうしたら、人間は読むも書くも、訓練しなくてもいい???あれ?でも、そうすると、文章は必要ある?

読む、書く、の文化の先々について、もんもんと考えてしまう(ChatGPTは、信頼できる文章をまだ書けないが)。

一方、娘のオンラインの面接を横から見ていると、教授達との話しは、「それは可能だよ」「こんな可能性もあるよ」と、わくわくの世界だった。世の中の困りごとを解決するべく、ああでもない、こうでもない、とAIの活用法を考えていく。

開発側から見るか、社会への影響を考える側かで、視点が変わる。

「なんか、こわいよね」と「めっちゃ、楽しみ」で人の気持ちは揺れる。その時、結論を「いい」「わるい」に単純化してしまうと、議論は平行線になっていく。こんな利点があるけれど、こんな問題点がある。現実を受け止めて、ていねいに話し合っていく必要がある。

わたしは、「社会に、こんな問題が起こりそう」を、想像しがちなので、娘が「こんなことも、できる」の話をしてきてくれるのは、ありがたい。

お年よりの生活を豊かにしてくれる、かわいいロボットが、できあがりますように。

2023年3月22日

物理ですか、、、Physics?

先週末は、娘のジュニアドクターの閉校式だった。

送迎後、わたしは大学構内をぶらぶら歩いていて、掲示板に公開講座のチラシを見かけた。去年、この講座を受けたのが、娘が大学なるものに足を踏み入れた最初だった。

あの時、なぜ大学へ連れて行こうと思ったかと言えば、「勉強しなさい」と言いたくなかったからだ。

その一方で、学ぶことは世界を広げてくれると思うので、自分から選んでくれるといいな、と思っていた。下心はあるが、強制はしたくない。好きな相手に、うまいこと告らせたい、みたいな感じであろうか。

薬草の公開講座では、親子二人で講義を聞き、薬草園を見学した。芥子の実に傷をつけて、アヘンの原料も見せてもらった。キャンパスの雰囲気にすっかりいい気分になった娘は、「また、来たい!」と言った。「ここへ戻って来たいなら、基礎的な勉強を、身につけておく必要があるんだよ」と言うと、「うん!ガンバル!」と答えた。作戦は、大成功に終わった。

その後、県内の小・中学生全員にジュニアドクターの案内が配られた。希望した小学生が大学に通えるなんて、素晴らしい制度だ。思えば、大学は研究をする機関だから、研究をしたい人が、いつでも、行けばいいのだ。そのことを知るだけでも、小学生が大学に遊びに行く価値があると思う。

半年ほどの受講期間を終え、物理の先生から、次年度マスターコースの研究テーマも提示された。 

物理って、あの物理?

わたしは、高校の時の壊滅的な自分の物理のテストのことを思い出した。1時間、なにも書くことがなくヒマですらあったテストは、あれっきり。人生最悪だった。そんなの小学生が取り組むなんて、大丈夫?わたしも、サポートする自信が全くない。

とりあえず、科学館の売店で物理の本を買ってみた。読んでみると、、、ん、おもしろい?物理は、世の中のすべてを、数字を使って説明してくれるものだった。

本をざっと読んで、わたしは物理の楽しさを知らないまま、生きてきたのかもしれないと思った。高校生で出会った教科としての難解さに、苦手意識を持ち、その後の人生を、物理と無縁で進んできてしまった。小学生ぐらいで、世界の不思議を説明するものとして物理と出会った方が、よいのかもしれない。

 

2022年10月25日

自由に育つイモ Organic Sweetpotato kids

 

ラジオで、「コスパ」「タイパ」の話をしていた。すべてに、費用対効果、時間対効果を求めがちな時代なのだと言う。

子どもの活動で、結果を求められるな、と感じることがある。文化芸術に親しむことや、さまざまな年代の善意に触れて育つことの価値はプライスレスだと思うが、なにせ子どもが育ってからわかる「よかったね」だ。結果も多岐にわたるし、確実性もない。多忙な生活に追われた子育て世代に、あえてそれに時間やお金を費やすことのメリットを伝えるのは、難しい。

先日、有機農業の田んぼの稲刈りを見せてもらった。下草が生えてるけど、ちゃんと米は実っていた。有機農法は、同時にいろいろ試していくので、合鴨がよかったのか、品種がよかったのか、よく、わからない。これはよさそうねーという事を重ねていって、実りを得る。

大学でもらったサツマイモの栽培比較データでは、化成肥料の量を半分にしたら、芋が激減するというのをグラムで計って、データにしていた。これは、わかりやすい。

大学のサツマイモ的わかりやすさ。これをする→かしこくなる。

昨日、うちもサツマイモを掘ったけれど、なんでこれぐらいの大きさになったのかは、複数の要因がからみあってて、よく、わからない。結局、来年も、今年や去年のあれこれを考えながら、やっていくんだと思う。うちの畑には、なにがなんでも、イモをこれぐらいとらないと生活が成り立たない、までの切迫感がないから、のんびり「自由に育つイモ」を見守れるのかもしれない。

自由に育つイモであれ。

と、子に言ってやれたらな、と思う。

2022年9月6日

読書感想文 writing

 

台風にて、休校。朝から、我が家も涙、涙の大嵐である。というのも、、、

昨日、休校になることが決まって、宿題を持ち帰ってきた。読書感想文である。

学級代表で誰かが書かなきゃいけなくなって、他に誰もいなかったので、引き受けたと言う。課題図書を読むところまでは、順調だった。

さて、文を書こう、という段になると、1行ずつに、「どう思う?」と聞いてくる。そして、3行書いて、2行消して、を繰り返す。なんとかのマーチ状態だ。これで、終わるか?

もっと「大筋の流れを考えてみたら?」とアドバイスしたら、泣いた。

別に、いい文章を書かなくてもいい。自分の思いを言葉にできれば、どんなものでもいい。わたしは、そう思っちゃうのだけど、正解をたたき出そうとして、臆病になっているように見える。

わたしには、1行ごとに悩む意味がわからない。どっちの文章でも、それほど違いがないように思う。ざっと書いて、あとで、修正すればいいのに。その一言で、また泣く。

わたしが、いるせいで、自由に書けないのか?

部屋を別室に変えてみた。

そもそも、読書感想文って、なんなのだろう。書評ってことか?それとも、本にまつわり、自分のおもしろ話でも聞かせるべきなのか。

すったもんだで、1日かけて、書き終わった。あとは、清書するだけ。頭が痛いと言っている。脳を使いすぎたのか。

2022年9月5日

リトルアーティスト「かさねて、つくる色」Little Artists "Color made by colors"

今回は、色を重ねてできる効果を使って、絵を描くことにした。

もともと、日本画と、油絵など洋画の絵の描き方は、違う。

わたしが、最初に個人的に絵を習った先生が日本画の方だったこともあり、日本画の見方もわたしには馴染み深い。日本画は画材の特徴もあり、色をパレット上で混ぜるのではなく、重ねることで、ねらった色に変化させていく。子ども達にも、背景を空気のように、重ねて作っていくことを、体験してみて欲しいと思い、今回のプロジェクトになった。使うのは、アクリル絵の具。日本画の画材ではないけれど、「重ねる」というところを体験する。

 参考になる画家の作品を見て、色見本を見る。自分でも色を重ねるサンプルを作った後、それを参考にベースになる色、重ねる色を決めて、作品を作った(彼杵では、時間の関係で、色見本を作る工程を省いた)



シンプルに、色を重ねた効果を楽しんで、それを遊ぶように、作品に仕上げた、子ども達。ふだん、原色をそのまま塗ったままだったり、混ぜて作った色が意外に沈んだ色になってしまうことに比べて、重ねて作る色の透明感に、ワクワクしている様子が伝わってくる。

色見本を見て、どちらも「夕やけ」を描きたい、と思った子たち。最初に作ったピンクが鮮やか過ぎて、色を重ねたり、さらに、絵を描くことに戸惑う様子も。それでも、だんだんと、描き入れてみて、新しい発見、美しさに気づく。手と目で、「新しい」に出会う。
こちらは、最初に見せた日本画の作品に、感銘を受けたようで、シンプルな構図を選び、視点も、水の流れと岩、というとても、日本画的なテーマを描いた。最初に参考で見せる画家の作品は、プロジェクトを言葉ではなく、感覚で理解してもらうためのものだけど、流してみてもらって、構わないと思っている。でも、時々、その作品が、ものすごく響く子がいる。

 リトルアーティストに来てくれている子の中には、毎回のプロジェクトの意図をしっかりと受け止めて、その内容に応えようとする子がいる(わたしは、新しい経験ができるように、プロジェクトを組んでいるので、なんとなく参加してくれるだけでも、じゅうぶんだと思っているのだけど)。すると、プロジェクトによって、しっくり自分のものにできるものと、なかなか苦労する会が出てくる。気持ちよく描けた会も、葛藤のあった会も、それぞれ、意味がある。まじめで、情熱的だからゆえに、葛藤が続いてるな、と子どもから感じることもある。それでも、続けて通ってくる様子を見ると、葛藤自体は、その子にとって、決して、いやなことではないのだな、と思う。試行錯誤の中で、大きなものを得た瞬間を見ることもある。その時の顔の輝きは、なんとも言えない。


 大人が加わってくれることもある。大人は、それぞれの人生が絵の取り組みに表れて、とても興味深い。一緒に描いていると、子どもと大人は、互いに刺激になると感じる。大人ゆえのアートが、もっと身近になるといいなと思う。

 2回同じ内容で実地して、ここにない、ステキな作品がいっぱいあったが、抜粋してある。

2022年9月1日

2022 夏

 夏の間に、娘がでかくなった。測ってみると、身長が1学期の測定より5センチ伸びていた。足もでかくなって、トウシューズもサンダルもサイズアウトである。 

 成長期なのだ。 疑いようもなく、大きくなっている。

 そうした、子どもから大人へと、成長しています!という人と40日間過ごすのは、まあまあ大変だった。

 この年齢になると、子も、こっちに気を遣ってくれる。何ができなくて、何ができるかを考慮の上、誘ってくる。無茶なワガママは言わない。

 逆に言うと、向こうの提案は、断れない。めんどうくさい、暑いからは理由にならない。都合をつけて動いていると、意外と引きずり回されてることに気づく。

 そして、宿題も、行動も、高度化してくる。即答できないような質問を、気軽にしてくる。移動中に、発電の仕組みを聞かれたけど、電気というものがなんなのか、わたし自身の中であいまいだと気づく。本を読んでみたけど、やっぱり、わからない。そんなこんなで、一日中一緒にいると、重たい。

 最後の5日間は、自由研究のまとめだったが、あいまいな理解で実験をしていたようで、まとめの段階で、固まる。「水蒸気蒸留で、なぜ、エッセンシャルオイルがとれるのか」、二人で、頭を悩ませた。「TLC」クロマトグラフィーって、なに?わかっていない母が、わかっていない娘に説明しようとするから、もはや大混乱。

 9月1日になって、登校して行って、ホッとした。多分、向こうも同じだと思う。「ママとパパと遊ぶのは楽しいけど、ちょっと飽きた」と言っていた。それが、まともな感覚だと思う。

 しんどいのは、この成長中の生き物と活動することで、自分がいかに、ものごとを曖昧なまま、流して生きているか、問われるからだろう。娘は、新聞記事を読んで、気候変動の番組を見て、自分なりに発電のアイデアを考えようと思ったのだ。一方、こちらは電気がなんなのかもわからないまま、ただ消費している。わたしが、発電の装置を開発することは、もうないだろうけど、発電のアイデアを考える人たちを育てる役目は、残っているのだと思った。

 たいそう疲れたので、今日1日は片付けと休憩をもらって、明日から、自分の仕事と思考に戻りたいなと思う。

2022年8月29日

自由研究 Independent Reserch during summer


 なつやすみも、あとわずか。さっさとドリル系の宿題を済ました娘は、一夏をかけて、自由研究をしてきた。

 今年は、早々にやりたい事が決まった。薬草の蒸留だ。それに関して、太良のみかん加工所に見学に行ったり、自作の実験装置を試作したり、大学の薬学部の先生に分析の方法を相談したりした。まあまあなボリュームの材料が集まっている。あとは、まとめるだけだ。

 

 先日、自分で写真を選び、注文していた。

 

 去年の「忍者が着ていた服」は、かなり手伝った。まとめ方がわからず、泣きじゃくるので、叱咤激励しながら、言葉も一緒に考えた。 写真も、わたしが選んで注文した。これだけ手伝ってしまったら、娘の作品と言っていいのだろうか、と思ったが、一人では、形にできそうになかった。どこまで手を出していいのか、悩みながら、かなり、手も口も出した。

 

 今年は、だいぶ違う。去年、一緒に取り組んだノウハウが、彼女の中に蓄積されて、やれる部分は確実に増えた。

 

 去年のあれは、手伝っても大丈夫だったんだなと、ホッとした。親が介入すると、子どもの探究心や自立心がつぶれるんじゃないかと、心配していた。でも、ちゃんと探究心も自立心も進歩していた。教育とか育児には、いろいろな説があふれていて、何をしても、不安に感じるから、やっかいだ。

 

 今回のテーマは、わたしもあんまり得意じゃないことだった。 そのせいもあって、失敗して、二人して、あたふたした。でも、失敗したから、悩んで、改善する、という経験ができた。それだけの余力のある経験は、まさに、夏休みぐらいにしか、できない。

 

 そもそも、夏休みの宿題なんて存在しない国もあるし、それもよいなあ、とも思う。でも、宿題があるならあるで、学ぶところもある。個人の向き不向きもあるだろう。どんな内容で、どこまでの規模でやるかが本人に任せられている自由研究を、うちの娘は喜んでいた。でも、好きじゃない子も当然いる。夏休みの宿題、悲喜こもごも。何が正解なのか、わからない。

 

 ガタガタ何が言いたいかというと、、、ドタバタで、手伝いにも手がかかったけど、一緒にやった私も、まあまあ楽しかった、ということかな。あと数日、なんとか、終わりそう。