真顔だぜ。 |
先日、ナノさんは、劇団HIT!STAGEの「白雪姫と美女と野獣を佐世保弁で読んでみた!」に、語りとして、参加した。
私は、「ステージママ」と化して、ビジネスホテル泊まりで直前稽古に付き合った。 ありがとう、長崎県割。
音楽も踊りもそうだけど、自分の体を使って、自分を表現することって、ごまかしがきかない。
演劇は、自分の持っている「なにか」をさらけ出さないと、観客を納得させられない。自分じゃない「なにか」を演じるのだけど、それは、自分の引き出しの中からしか、出てこない。引き出しの中に、何があるかに向き合い、引っ張りだす作業なのだ。人間のダメさ、弱さも含めて、真理を探す作業。
ふだん、子どもが生きている世界は、大人の社会に引きずられ、不条理がいっぱいだ。
問題は提起されない方がいい。思っていることを、みんなで口を噤んでいる。そんな日常を社会勉強だと言われれば、大多数を前に引き下がるしかなく、どうすることもできない。でも、そうした世界が、受け止めきれない子も存在する。
追及する性格は、やっかいなものか。でも、知りたい、考えたい、わかり合いたい。それは、新しい何かを生み出す、原動力でもある。押さえつけてばかりでは、わきあがる自分が否定されてるよう。
それを、存分にやらせてもらえる世界は、表現の世界だけなのかもしれない。その世界と関わることで、救われる子どもがいるのだと思う。
ナノカに、なぜ演劇が好きなのかと聞くと、「自分じゃないものに、なれるから」と瞬間で答える。目立ちたいからでも、褒められたいからでもない。外から見える「わたし」は、わたしの100%ではない。社会で(便宜上仕方なく、も含め)隠されている「わたし」を、舞台の上で解放する。
自分も、表現者の端くれとして、わたしの言葉は、わたしとむきあっているのだろうか?と考えさせられた。それでいて、仕事として、人に伝え、共感していくことの、難しさ。
ナノさんが、舞台に立ってくれたから、興味を持ってくれたから、わたしも、新しい世界に触れられた。世界は、まだまだ、広くて、混沌としていて、表現しなければいけないものがいっぱいあって、追求しなきゃいけないものが、いっぱいある。そして、わたしは、まだまだ未熟だ。
あなたは、人生も折り返したわたしに、新しい課題をくれる。