2021年11月24日

舞台で学ぶ Life Instruction

 

真顔だぜ。

  先日、ナノさんは、劇団HIT!STAGEの「白雪姫と美女と野獣を佐世保弁で読んでみた!」に、語りとして、参加した。

 私は、「ステージママ」と化して、ビジネスホテル泊まりで直前稽古に付き合った。 ありがとう、長崎県割。

 音楽も踊りもそうだけど、自分の体を使って、自分を表現することって、ごまかしがきかない。

 演劇は、自分の持っている「なにか」をさらけ出さないと、観客を納得させられない。自分じゃない「なにか」を演じるのだけど、それは、自分の引き出しの中からしか、出てこない。引き出しの中に、何があるかに向き合い、引っ張りだす作業なのだ。人間のダメさ、弱さも含めて、真理を探す作業。

 

 ふだん、子どもが生きている世界は、大人の社会に引きずられ、不条理がいっぱいだ。

 問題は提起されない方がいい。思っていることを、みんなで口を噤んでいる。そんな日常を社会勉強だと言われれば、大多数を前に引き下がるしかなく、どうすることもできない。でも、そうした世界が、受け止めきれない子も存在する。

 追及する性格は、やっかいなものか。でも、知りたい、考えたい、わかり合いたい。それは、新しい何かを生み出す、原動力でもある。押さえつけてばかりでは、わきあがる自分が否定されてるよう。

 それを、存分にやらせてもらえる世界は、表現の世界だけなのかもしれない。その世界と関わることで、救われる子どもがいるのだと思う。

 ナノカに、なぜ演劇が好きなのかと聞くと、「自分じゃないものに、なれるから」と瞬間で答える。目立ちたいからでも、褒められたいからでもない。外から見える「わたし」は、わたしの100%ではない。社会で(便宜上仕方なく、も含め)隠されている「わたし」を、舞台の上で解放する。

 自分も、表現者の端くれとして、わたしの言葉は、わたしとむきあっているのだろうか?と考えさせられた。それでいて、仕事として、人に伝え、共感していくことの、難しさ。

 ナノさんが、舞台に立ってくれたから、興味を持ってくれたから、わたしも、新しい世界に触れられた。世界は、まだまだ、広くて、混沌としていて、表現しなければいけないものがいっぱいあって、追求しなきゃいけないものが、いっぱいある。そして、わたしは、まだまだ未熟だ。

 あなたは、人生も折り返したわたしに、新しい課題をくれる。

2021年11月11日

カンコロの島紀行10月号「キリシタンの聴いた音楽」Goto Article October




カンコロの島紀行10月分が出ました。今回は、音楽について。

原画展会場で、友人でもある井上周子さんに、リュートを弾いてもらいました。

 わたしも、バロック以前の西洋音楽に少しだけ、馴染みがありました。もう、今は昔のこととなりますが、大学時代に、西洋音楽史を選択して、初めて、グレゴリオ聖歌やフランスのバラードなどの舞曲に触れました。当時は、テープを録音して、聴くのが宿題だったんです(時代が、、、)

 クラシック音楽といえば、バッハ以降のものしか聴いたことがなかったわたしは、その精神性の強い音楽に、惹かれました。キリストの神秘性を表すために複雑化した旋律、空間を効果的な祈りの場にするための演出。とても、興味深いと思いました。

 人が、音楽を奏で始めたのは、いつなんでしょう。記録に残らないため、わかりません。でも、ナウマン象を追いかけてた日々にも、歌っていたんじゃないかと思います。

 今も、人は、音楽と共にあり、生きています。祈るため、心を落ち着けるため、悲しみを受け止めるため、喜びを共にするため。 

 昔の人が、聴いた音楽を聴くと、その時、それを聴いていた人の気持ちと寄り添える気がします。どんな場面で、それを聴いたのだろう。希望にあふれた日?絶望的な悲しみを抱えた日?

 昔の人の心に寄り添うことで、今を生きる、他人の心にも、寄り添いたいと思えてきます。

2021年11月9日

黒島天主堂、お絵描き大会 Night drawing time



  

原画展が終わった。

その翌日も、松浦まで話をしに行ったので、バタバタ。帰ってきたら、真っ暗だった。

 原画展開催中、ナノカは学校から帰宅すると、自分で宿題を済ませ、オヤツも食べて、時には、ご飯も適当に食べていた。お風呂も済んでいる日もあった。いつの間にか、こんなに手がかからなくなってたんだなあ、と感心するばかりだ。

 さて、簡単な夕食を済ませた後、ナノカが、「黒島天主堂、描き比べしようよ」と言い出した。いやいや、仕事を思わせること、疲れた日にやりたくない、、、

 と思ったが、長らく、いろいろ我慢させてただろうし、付き合うことにした。寝る前の20分ほど、二人で、並んで、教会を描いた。

 建築物を描くのは、子どもには、まあまあ、難しいだろうと思う。実物があるので、適当に描くと、収拾がつかなくなる。建物、生き物、地図。ナノカは、見て正しく描くのが、好きなようだ。

 子どもの個性やら、人格やらは、本当にマチマチで、なにが好みで、どう描くかは、そこに関わる問題だと思うので、「もっと自由に」とか、「もっと大きく」とかも、ある意味、乱暴な言葉だなあ、と思う。なので、ナノカが描くものの本質部分に関わることは、言わないようにしている。

 具体的に、「色は混ぜても大丈夫だよ」とか、「消しゴムをあとで、かけたら、きれいだよ」とか、そんな言葉なら、きっとヒントになるだろう。あとは、自分で、成長していくものなのだと思う。

 好き、という気持ちで描かれた教会は、とても、やさしいラインで、魅力的だと思う。

2021年11月2日

忍者が着ていた服 Ninja Study

 学校帰り、迎えに行くと、「ちょっと、自慢しちゃおうかな」とランドセルを開けて、賞状を見せてくれた。なにかと思ったら、夏休みの自由研究の表彰状だった。

 夏の初め、忍者で自由研究をしたいと言い出したが、なにをすればいいのか、わからない。とりあえず、持っている3冊の忍者の本をせっせとノートに書き写していた。薬草に興味があるようだったが、毒草の実験とか、危ないから、できないよなあ。

 そのうち、衣装を作ると言い出した。そこに実験を組み込まなきゃいけないわけで、、、いろいろ話し合って、色の違いによっての、目立たなさの実験をすることにした。

  実験は、楽しかったのだが、まとめるのは、けっこう大変だった。

 規定では、模造紙1枚にまとめなきゃいけなかったらしい。ファイルの形になったのは、手伝ったのが、わたしだったせいだ。まとめる、といえば、やっぱり本の形が、一番保存ができ、読みやすいと頭の中にインプットされている。そのせいで、彼女の作品は、自由研究ではなく、作品という扱いになった。すまぬのう。

 自分も、子どもの頃、あれもこれも調べてみたい、やってみたいと思ったけど、その実験の結果、なにがわかったのか、 どうまとめていいのか、わからなくて、やりっぱなしだったなあ、と思う。どんなに小さな試みでも、検証して、まとめて、自力で考察して、ていう作業は、なにかを運営していったり、難しい問題を解決していく、土台みたいなもので、これが一人でできるようになるまで、子どもの頃から、何度も、くり返していくといいのだろうな、と思う。年に一度ぐらい、付き合ってやりたい。

 ちなみに、出だしの、「わたしも、忍びになってみたいと思っています」という、率直な一言が、好きだ。 

Nanoka got the prize from three town educational department for her summer work about Ninja. She did experiment which color clothing was least standing out in different time, different situation. 

I love her starting-"I like Ninja and and I want to be Ninja. " That is lovely 10 years girl opinion.