2022年3月9日

「人のはなし」を聞くのを辞めてみた I stopped listneing to people and tried to choose.

そんな訳で、読もうと努力。社会主義のその後をほとんど知らなかった。難しい、、、

 ここ1年、「人のはなし」と「現実」のギャップにとまどってきた。

 それまで「おもしろいな」と思っていた人が話すことと、自分の身に起きたこととの間に溝ができ、その溝がマリアナ海溝のように深かったからである。

 そのことは、とても不安定な気持ちにさせた。

 今まで、気に入った作家の作品を読み、うんうんとうなづき、気に入ったラジオを聴いて、なるほどと思ってたのだけど、これから先何を信じたらいいのだろう?と思ったからだ。

 なにか勘違いをしているのだろうか?でも、実際目で見て体験したことほど、確実なものはない。

 世界が嘘だらけのように感じて、なにを信じていいのか悩んだ。そして、当たり前といえば当たり前の結論に至る。

 人は、わりと、まちがえる。

 ある一つの専門家であっても、他のものごとに関しては、詳しいわけではない。それぞれが、自分の持ってる情報から、「私見を」述べているだけなのだ。それ以上でも、それ以下でもない。当然、まちがいもある。

 すこし考えればわかることなのに、人の脳みそは頑固だ。一度「いいこと言うなあ」という体験をしていると、その人が言うことは他のことまで正しいように思ってしまう。

 世界は、私見であふれかえっている。私見がいけない訳じゃない。「人のはなし」は、それぞれがそれぞれの思いで語っていて、その中にはよい情報もある。率直な思いが、人を動かす。好物や趣味程度の話なら、私見ベタベタの方がおもしろいぐらいだ。

 でも、いくら賢い人の意見であっても、私見には、井戸端会議のおしゃべり程度の確実さしかないものもある。ジャッジが難しいことに対して、社会的責任をともなう事柄に関して、確証なしに影響力最大で垂れ流されている情報もある。それらは、責任を取る覚悟で発信されてるだろうか?

 そう考え始めたら、情報の海が、魑魅魍魎がぷかぷか浮いた、混沌としたものに見え、船出する前から船酔いしそうになった。

 このままじゃダメだと、一度「人のはなし」を聞くのを辞めてみた。

 できるかぎり、その分野の専門家の見解を読み、より当事者に近い人の話を聞いた。考察は公正であるか、データは正しいか、十分な母数あるか、改ざんや切り取りはないか、検証しなくてはいけない。それは素人にはできないから、研究者を信用することにした。研究者は、感覚で論文を書いてはいけないからだ。

 より責任を持って発信されている情報を集めるようにしたら、一個の行動をするのに、一個の発言をするのに、今までの何倍もの時間がかかるようになった。

 先日の知事選も、わたしはそのようにして過ごした。候補者の討論番組を見せてもらい、選挙公報を読んだ。そして、自分だけで決めて、一票を投じた。

 気持ちが落ち着いた。なんだか、混沌の中で、羅針盤を見つけたような心地になった。

 そうして、人のはなしを聞くのも、また楽しめるようになった。そうかもね。どうかなあ。違うんじゃない?いやいや、それは、言っちゃいけないことでしょう。それは、ぜひぜひ、みんなにも伝えるべきだね。

 そう。いろいろだ。人はまちがえる。立派そうな人も、めっちゃ、まちがえるのだ。

 自分の目で確かめるというのは、とてもとても、手間と時間と心を使うことだけど、子どもには、めんどうな作業の大切さを知ってほしい。パッと目で見たから、はなしを聞いたから、そう感じたから行動するのではなく、情報を選んで確かめて、その後のことを想像しながら動いてほしい。

 それは、大人の自分にも難しかった。だから、「そうしなさい」ではなく、「いっしょにがんばろう」だ。

2022年3月1日

カンコロの島紀行2月 Goto Aricle Feb

 


 カンコロ紀行、2月分。

  キリシタン迫害の歴史は、どちらかというと、記事で触れないようにしてきた。

 悲劇の物語の部分を強調することで、今、ここにある文化を伝える趣旨から、ズレていくように思ったからだ。

 また、加害者も日本人であったという事実。だれかを傷つけることにもなりかねないし、センシティブで取り扱いにくかった。

 今回、そこにスポットライトを当ててみることにした。今、人や社会の歴史から、学ぶべきことがあると思ったからだ。

 キリシタンたちを転び(棄教)させるために行われた拷問の数々は、想像を絶するものばかりだ。布に包んで、海の中に沈めて、絶命前に引き上げて、を繰り返したり、火の中に生きたまま吊るしたり、無理な体勢に縛り上げて力を加えていく、指を切る、鼻を削ぐ、爪の間に針を入れる、などなど。

 恐ろしいのは、すぐ死なないように、長時間苦しむように工夫されていたことだ。5日間、10日間と、その苦しい時間が続くように考えられている。また、その様子を晒し者にした。見せしめの意味もあったからだ。

 今から考えると、常軌を逸してたとしか思えない、非道な行為の数々だが、これは、時の中央政府が決めた「禁教」という法律にのっとっていて、違法者への処罰として、正当なものであった。

 キリシタン側から見てみれば、数十年前まで藩主が推奨して、キリシタンが国教のようになっていたところに、秀吉がキリシタン追放令を出し、江戸幕府が禁教にした途端、日本中が一変。突然、ただ信じているだけで罪人になり、残酷な殺され方をされるようになった訳だ。

 どれだけ残酷か、という点を知っても、息苦しいだけかもしれない。ただこの歴史を通して、一般人は社会の中でこんなに弱いのだということ、権力者の意向は絶対的な方向性を持つということは、理解しやすいのではないだろうか。

 人間は、社会の中で生きる動物。社会がどうあるかで命を左右されるのは、避けられない。そんな中、一線を越えた残酷なことが起こらないように、苦しみの歴史を知るのは意味があると思う。

 今、この時も、世界のどこかで、だれかが苦しんでいる。いくらでも残酷になれる1面を持つ、人間という生き物。それぞれの国に主権があるとはいえ、「たが」が外れないよう、世界的最低限の基準があったのなら、と思う。だれも、こんな風に、自分や家族を失いたくない。