引っ越してから、4年。しまいこまれていたアルバムを並べた所、娘がパラパラと開いては、
「あ、これ、やったねー。」
と、楽しそうに眺めている。 本人、忘れちゃったんだろうなあ、と思っていたが、「たのしかったなあ」の気持ちは、いつでも、蘇ってくるようだ。
もうすぐ、12歳。「たのしかったなあ」をくり返す娘を見ながら、自分も「たのしかったなあ」を思い返していた。
もちろん、その渦中にいた時は、時間を取られ、仕事に100パーセントの力を費やすことはできず、泣かれるわ、自己嫌悪になるわ、てんやわんやの10数年だった。
それは、ささやかなことのくり返しだったけれど、親にとっても、子にとっても、いっしょになにかをしたことの「たのしかったな」の後味は残っている。
「たのしかったなあ」は、主に、手間と時間を費やして、行われる。小さなバッジ。のりベタベタのカード。家族内通貨。誕生日のティアラ。花の汁で絵を描く。石投げ。あんまり取れない魚取り。
そこで使われた、手間と時間は、なにか確実な成果を生み出すかというと、残ったのはこのアルバムぐらい。お金にもならんし、見える形での能力にもつながってない。
ただ、「たのしかったな」貯金てのが、あるような気がする。すごく辛い時、悲しいことが起きた時、子どもがのり越えていくのに、この貯金が使えたような、、、わたしの個人的な感想ですが。
最近、世の流れが、「みんな、働け」なのかなと感じる。子育て世代が、環境が整って、働きやすくなるのは喜ばしいのだけど、リスキリングとか出てくると、できた時間や手間は、そっちに回せと言われてる気がする。先に向かって、ずっとずっと、向上していこうぜ!と、なんだか、追い立てられてるよう。
親子の「たのしかったなあ」の時間は、なくなりませんように。