迷いに迷って、研究内容を「ものわすれサポートロボットの開発」にした。
お年寄りの発言、行動を記録し、「ものわすれ」を起こした時に、ヒントを出してくれるロボットを作りたいらしい。
わたしも、「ものわすれ」はどうして起きるのだろうか、どのようなサポートが脳の後退防止に有効なのだろうかと気になったので、認知症や脳の本を読んでみた。 興味深い。
ものわすれサポートロボットは、AIなしでは作り上げられない。ちょうど、チャットGPTの記事を、連日見かけるようになった。
AIに関しては、わたしは、文字文化の衰退が心配だと思ってきた。
機械が作った文章が身近になった時、どの文章が人間の手に残るのか、想像してみる。 説明書や解説文は、AIが合理的な文章を書いてくれるだろう。報告書や記事なども、情報を入れて、書いてもらったものを最終チェックだけ人がすれば、時短となり、人件費も削減できる。そうやって、機械が書いて、人が読む、という構図になっていくのだろうか。しかし、考えてみると、正しく読み取るのだって、機械の方が上手かもしれない。そうこうしているうちに、機械が書いて、機械が読むことになっていたりして?そうしたら、人間は読むも書くも、訓練しなくてもいい???あれ?でも、そうすると、文章は必要ある?
読む、書く、の文化の先々について、もんもんと考えてしまう(ChatGPTは、信頼できる文章をまだ書けないが)。
一方、娘のオンラインの面接を横から見ていると、教授達との話しは、「それは可能だよ」「こんな可能性もあるよ」と、わくわくの世界だった。世の中の困りごとを解決するべく、ああでもない、こうでもない、とAIの活用法を考えていく。
開発側から見るか、社会への影響を考える側かで、視点が変わる。
「なんか、こわいよね」と「めっちゃ、楽しみ」で人の気持ちは揺れる。その時、結論を「いい」「わるい」に単純化してしまうと、議論は平行線になっていく。こんな利点があるけれど、こんな問題点がある。現実を受け止めて、ていねいに話し合っていく必要がある。
わたしは、「社会に、こんな問題が起こりそう」を、想像しがちなので、娘が「こんなことも、できる」の話をしてきてくれるのは、ありがたい。
お年よりの生活を豊かにしてくれる、かわいいロボットが、できあがりますように。