ラジオで、「コスパ」「タイパ」の話をしていた。すべてに、費用対効果、時間対効果を求めがちな時代なのだと言う。
子どもの活動で、結果を求められるな、と感じることがある。文化芸術に親しむことや、さまざまな年代の善意に触れて育つことの価値はプライスレスだと思うが、なにせ子どもが育ってからわかる「よかったね」だ。結果も多岐にわたるし、確実性もない。多忙な生活に追われた子育て世代に、あえてそれに時間やお金を費やすことのメリットを伝えるのは、難しい。
先日、有機農業の田んぼの稲刈りを見せてもらった。下草が生えてるけど、ちゃんと米は実っていた。有機農法は、同時にいろいろ試していくので、合鴨がよかったのか、品種がよかったのか、よく、わからない。これはよさそうねーという事を重ねていって、実りを得る。
大学でもらったサツマイモの栽培比較データでは、化成肥料の量を半分にしたら、芋が激減するというのをグラムで計って、データにしていた。これは、わかりやすい。
大学のサツマイモ的わかりやすさ。これをする→かしこくなる。
昨日、うちもサツマイモを掘ったけれど、なんでこれぐらいの大きさになったのかは、複数の要因がからみあってて、よく、わからない。結局、来年も、今年や去年のあれこれを考えながら、やっていくんだと思う。うちの畑には、なにがなんでも、イモをこれぐらいとらないと生活が成り立たない、までの切迫感がないから、のんびり「自由に育つイモ」を見守れるのかもしれない。
自由に育つイモであれ。
と、子に言ってやれたらな、と思う。